表紙 目次 | ■■■ 北斎と広重からの学び 2015.1.7 ■■■ しばらくぶりに、葛飾北斎「富嶽三十六景」 v.s. 歌川広重「東海道五十三次」を。 タイトルからして、両者は、「自然の景色」 v.s. 「宿場辺りの情景」であるから、モチーフが異なるのは当然だが、それこそが両者の思想性の違いでもあろう。 「宿場辺りの情景」と言うのは、ある意味、インフォーマティブな絵であることを意味する。景観そのものを描くのではなく、対象「地域」の情報を組み込むことが最優先されているということ。 いわば、東海道旅の栞的な作品であり、だからこそのヒットとも言える。 例えば、絶賛される「蒲原 夜之雪」など典型。 これを単なる「絵」として眺めると、雪に埋もれた山村の「寂」とした風情が漂ってくる。 しかし、ココは駿河湾沿いの蒲原宿である。・・・常識的には、積雪で難儀するような土地柄ではない。 → 「雪景色鑑賞」 [2013.1.18] しかも、富士川を前にして作られた宿場。当然、大いに賑わった大規模な町である筈。本来なら、山がちの場所に存在する訳がない。 だからこそ、雪の夜道を歩いていこういうことで、降雪中の夜間でも行き来している情景が、情報発信となっているということ。 全宿場、その手の「語り」が存在しているのが広重流。 三島にしても、そこは街道に面して大鳥居が構えており、そこは行きかう人々で大混雑する地点。交通整理の「たたり石」があった場所。(現代の解釈は、箱根に向かう交通安全祈願石。)それを象徴する出立の様子が描かれている訳だ。 朝霧が描かれているが、ここは、もともと霧雨多き地。晴れていれば富士山一望だが、そうならないことも少なくないのである。そこが、しっとりくるところでもある。 どむみりと あふちや雨の 花曇 芭蕉@1694 北斎はこうした作品群とは全く異なり、描く対象は「自然」であり、その象徴としての富士山。 人、鳥、船も描かれてはいるものの、それは風景画の添え物。創作過程からいえば、おそらくまずは風景。そして、それを引き立たせるために、人等が登用される。どのように加えると、自然の崇高さを感じるか考えに考えた結果の構図と見てよかろう。 ただ、そうは感じさせないのは、凱風快晴と山下白雨の印象が強いからだと思う。この2枚は、風景画というより、抽象画に近いからだ。 しかし、相州七里Mと相州箱根湖水図をじっと眺めていると自然とわかってくる筈。 ここに、人、鳥、船は不要なのである。 北斎と広重は本質的に違うものを追求していたということ。 北斎と広重からの学び−INDEX >>> HOME>>> (C) 2015 RandDManagement.com |