↑ トップ頁へ

2006.12.5
 
 


中国工場論の意味…

 先日、中国は、安価な労働力を武器にした組み立て型産業が得意な国であるとの話を聞かされた。日本の特徴と正反対との主旨だから、日中両国は、互いに補完関係にあると言いたいのかも知れない。

 う〜む。

 かつて、韓国企業は日本から部品を輸入し安価な労働力を駆使して同じような製品をアセンブリすることしか無理だ、と言う人が大勢いた。そこには洞察力のかけらも感じられなかったが、それとどこか似た発想ではなかろうか。
 こんな発言をする人達は、韓国から、世界に雄飛する企業が登場すると、単純組み立て型の製品で、資本集約型産業なら、果敢な投資が成功の決め手となるから、これができたから地位を築けたと言い始める。見方を変えた訳ではない点がミソである。単純寄せ集め産業が得意な国との主張は続けたいのである。
 ところが、今度は、乗用車分野で、韓国企業が躍進。この分野は、単純寄せ集め産業とは違うから、日本がお得意という主張をしてきた筈だ。どう説明するつもりなのだろう。韓国は両刀使いができ大変優秀だが、日本はひとつのことしかできない、とでも言い出すつもりだろうか。
 なにせ、韓国車は日本以上に高品質で、開発期間も短いと言う人もいるのである。

 ステレオタイプの見方で、物事を説明するのは楽だが、目を曇らせることになる見本である。
 日本強しの1980年代の発想に懲りたと思っていたが、又、復活しつつあるようだ。

 それでは、中国の強みをどう見たらよいか。リアリズムに徹して考えてみよう。

 一番の特徴は誰の目から見ても明らかである。安価な労働力ではなく、膨大な労働力供給力だ。安価な国は中国だけでないからだ。

 特に、重要なのは、資金さえあれば、この力を活用できる工場をすぐに作れるという点である。小規模生産だろうが、超大量生産だろうが、短期間で実現できる。投資家がいるなら、全世界の需要に応える巨大工場建設も有りだ。まさに、「中国は世界の工場」。
 ある日突然、生産量シェアナンバー1の企業が登場し、世界の需給関係が崩れてもおかしくない。

 しかし、我々が注目すべきは、このような表面的なことではなかろう。これが可能なマネジメント上の根拠を考えた方がためになる。

 先ず忘れてはならないのは、巨大組織だろうが、小規模組織だろうが、この国には、卓越した労務マネジメント能力が存在するという点である。そして、労働者の高い労働意欲があるから、このマネジメント力が奏功することも重要なポイントだ。
 従って、この特徴を活かせるなら、圧倒的な競争力が発揮できる筈だ。一方、この観点でのマネジメント力強化ができない企業の競争力は一過性で終わる可能性が高い。

 実際、こうした労務マネジメントの成功例はよく知られている。

 よくあるのは、高価な検査機器によるチェックを廃止し、人の手と目の点検に変える方策。マネジメントの仕組みが優れていると、超人的能力を発揮する検査要員が生まれたりする。当然ながら、製品欠陥率は驚くほど低い。
 又、高価な、統合部品や部品数極小構造を止め、部品数増加を厭わず、細かな分業化を図ることでトータルコストを削減し、同時に不良率の飛躍的減少も図る方策が奏功したとの話もよく聞く。
 個々の労働者の質で見れば、日本がいくら高いといっても、意欲ある膨大な数の労働者のなかでの優等生と比べたら勝負になるまい。と言うより、特定の作業で、とてつもない優れた能力を発揮する労働者が雇用可能と見た方がよい。
 日本は、臨機応変に対応できる多能工を抱えているから、いつでも柔軟に変化できるし、問題発見・解決力も備わっている。これを、“労働力”の質の高さと呼ぶ人が多いが、仕組みが違うものを比較してもたいした意味はなかろう。

 一般に、質が高い労働者は意欲も高い。開かれた労働市場なら、より高度なことができる場で、高く評価してもらえる企業を目指して、移動するのは当然のこと。日本のような長期雇用を前提とした人づくり型労務マネジメントを、中国に直接持ち込んで機能する訳がない。ジョブポッピングが一番の問題と語ったり、その経験から、中国の魅力とは安価な労働力利用と言う人もいるが、質の高い労働者を活用するマネジメント力の無さを吐露しているのではなかろうか。

 ワーカーレベルの話をしてきたが、労働力というと、こんな話に集中してしまうのも悪い癖である。これも、ステレオタイプなものの見方かも知れない。
 中国は、農民と工員の国から脱する方向に走っているからだ。
 → 続く  [2006年12月7日予定]


 アジアの先進性の目次へ>>>     トップ頁へ>>>
 
    (C) 1999-2006 RandDManagement.com