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2006.12.7
 
 


中国の本質は科教大国…

 中国のワーカーレベルの労働力をどう見るべきか話をした。
  → 「中国工場論の意味 」 (2006年12月5日)

 ワーカーレベルとことわりをつけたが、実は、この見方は、高度な知的労働者でも通用する。
 日本にとっては、どちらかと言えば、こちらの問題がより重大だと思う。この先、どう対応すべきかじっくり考える必要がありそうだ。

 未だに勘違いしている人がいるようだが、中国は「科教大国」である。膨大な数の研究者・エンジニアを輩出することで国富を増そうという考えである。毛沢東思想の、政権は鉄砲で生まれるという部分だけは受け継いでいるが、ケ小平が考えていた“生産力”とは、科学技術である。当然ながら、生産手段の国有化などという発想は皆無だ。
 国家の基盤を、モノを作る農民と工員から、研究者とエンジニアへとシフトさせるということでもある。
 中国の為政者は、知的財産の感覚が遅れているどころか、実のところは、日本よりずっと先を走っていたのである。

 改革開放政策とは、このシフトと見ることもできる。日本の発展を眺め、大転換を図った訳だ。科学技術政策上では、1986年のこと。(836計画)
 1960年代の核兵器開発と1970年代のロケット・衛星を主軸の体制から、産業技術優先へと一気に舵を切ったのである。言うまでもないが、ハイテク重視だ。そして、1997年には基礎研究重視路線を明確にした。(973計画)
 ケ小平が規定した、将来はハイテク技術を経済成長のエンジンにするとの方針のもと、着々と歩を進めて来たのである。

 こんな話をすると、中国共産党の方針のもと、科学技術に邁進する人民というイメージで見る人もいるかも知れない。共産党独裁体制だから、頭のなかで考えれば、そう見えるが、おそらく実態は違う。
 “権力”のお墨付きを得た研究者・エンジニアが走っている状態と見た方がよい。中関村など典型。ハイテク研究開発へのシフトの原動力はあくまでも、研究者・エンジニア。政府はそれを追認し、その流れに乗るために、さらにエンジンをふかすしかない。
 どうでもよいが、日本とは全く逆である。どちらが、力を持つかは言わずもがな。

 このような動きは今や全土でみることができる。
 目立つのは、至るところで、巨大総合大学化が進んでいる様子。国が重点大学・重点科目方針を打ち出したからと見ることもできるが、これも実態からいえば、逆。自発的動きだから、そのスピードは凄まじい。
 人材育成競争に晒されているから、巨大化と総合化を急がざるを得ないのだ。対応が遅れれば、衰退は避けがたいから、どこも必死である。
 中国の場合、大学といっても、教育と技術シーズ創出だけでなく、技術提携・製品開発・ベンチャー創出・コンサルティング業務といった現実のビジネスをしっかりと抱えている。従って、動きは機敏で利に聡い。政府の方針に従って、粛々と進めるなど考えられない。

 さらに、欧米からの帰還者達が増加一途だから、この流れは益々加速する筈だ。
 各大学は、膨大な数の学生を、競争環境で育てあげる。そのなかから、意欲ある人材が米国に流入していく。そして、さらなる活躍の場を求めて母国に帰ってくる。
 この循環構造が中国の強みでもある。優秀な人が力を発揮できる場を用意しているから、帰国して成果をあげようとの熱気が生まれているのである。
 この点も、日本とは全く逆だ。

 これが実感できないなら、米国のバイオ分野の研究機関で働いている人に聞いてみるとよい。おそらく、半分近くは中国人だと答える筈だ。この人達が故国での大成功を夢見て次々と帰還していくのである。中国のバイオ産業は、すでに数十万人の雇用を生み出しているだろう。
 そして、その数は確実に増えていく。なにせ、大学は、膨大な数の研究者・エンジニアを輩出する体制を揃えてしまったからだ。この知的労働者を活用して、成果をあげようと考える人が出てこない訳がない。

 ここまで書けばおわかりだろう。
 中国の競争力は安価な労働力というステレオタイプの見方がお好みなら、研究分野でも同じことが言えるということ。こちらの衝撃を考えておく必要があろう。

 今までの常識では、後発の国は、コピー商品の生産から始め、次に改良、そして、独自設計、研究開発と、上流へと産業が進展していく。このモデルなら、中国は、今、どこまで到達したか測ろうということになるかも知れぬ。
 だが、この産業進展モデルが通用したのは、垂直統合企業が圧倒的な力を発揮していた時代。今は、違う。知的労働者を揃えることができ、労務マネジメント力があるなら、一番上流の基礎研究から始めるモデルが成り立つのである。

 などと言っても、信じられない人もいるかもしれぬ。発展途上国の側面だけ見ているから、基礎研究で力が発揮できるのはまだ先のことと思ってしまうからだ。
 典型例をあげておこう。
 世界の巨大製薬企業から基礎研究を請け負っているのは、欧米のベンチャーと相場が決まっていたのは一昔前のこと。今や、中国企業が大人気。ライフサイエンスの基礎研究領域でのビジネスが、中国ですでに立ち上がっているのである。

 くり返すが、中国は「科教大国」を目指しているのである。
 これは、政府がお金をばら撒くためのスローガンではないし、将来の夢を表現した言葉でもない。大学は膨大な数の研究者・エンジニアをハイテク分野で育て上げることに邁進しており、その卒業生は、人より先に大きなビジネス成果をあげようと、大学を利用しながら全力で走り始めている。この状況を指す言葉こそ「科教大国」である。


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