表紙 目次 | ■■■ 本を読んで [2014.9.6] ■■■ "残念"なタイトルの進化論本 "残念。" 古代生物の大人の絵本を読んでいて、突然、思ったこと。 → 「魚の進化を考えさせられた 」[2014.8.31] この素敵な本に引用されている、「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」という本の話である。 以下の注釈がついていたから。 邦題からはいわゆる「恐竜本」にみえるが、 実際には 大気と動物の相互進化についての本である。 原題は「Out of Thin Air」。 そう、「Out of Africa」を示唆しているのは自明である。 などと言うと、映画のタイトルを思い出す方が多いか。ただ、この場合も邦題は全く違っており、「愛と哀しみの果て」。メリル・ストリープ+ロバート・レッドフォード出演の1986年度アカデミー賞作品である。長編なので現代のニーズには合わないから、そのうち絶滅の憂き目かも。 もっとも、小生の感覚では、追憶のストーリーよりは、"What have you done to us in bringing us out of Egypt?"[Exodus 14]を感じてしまうが。 これはあくまでも映画の話であって、古生物の話ではない。 後者では、「Out of Africa, hypothesis」を暗示させることになる。 化石としては、タンザニアに文字通りの足跡というか直立二本の証拠らしきものがあるそうだ。他地域には、ヒト祖先らしき化石が発見されていないので、古代ホモ属がこの辺りに棲んでいたのは確実ということのようだ。従って、ここから「出アフリカ」を敢行した種が、"Exodus"地域を経由して、世界に広がったとのシナリオが広く受け入れられている訳だ。 この仮説が示唆しているのは、アフリカでなんらかの絶滅的危機に直面したホモ属のうち、それを切り抜けることができる能力を持ったニッチ種のうちの僅かな数が大移動しその後の繁栄を築いたということ。 現代人類は単一種だが、それは「Out of Africa」の試練を乗り越えた選良と考える訳だ。 そのような適者生存原理はダーウィン進化論が打ち出したものだが、それが高度化していると見ることもできよう。 「Out of Thin air」では、その淘汰圧は空気中の酸素濃度であり、酸素分圧低下の脅威に晒されても対応可能だったニッチ種が一気に繁栄の道を歩む様が描かれているのである。 そのハイライトが「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」というお話である。 空気が極めて薄い高空で、膨大なエネルギー消費が必要な飛行行動可能な鳥類は、高酸素濃度条件下で謳歌していた恐竜族から進化した種であり、そうなった理由は自明だといわんばかりの解説。鳥類は、最初はニッチ的存在でしかなだったが、低酸素濃度に耐えられない種が次々と絶滅するなかで、一気に主流にのしあがったという訳だ。 この説に納得感を覚えると、ジュラ紀に大繁栄していた、恐竜から魚竜までの「様々な竜類」のイメージが大きく変わるのではなかろうか。・・・もちろん、人によって受け取り方は違うが、なかなか読ませる話であるのは間違いない。 小生は、「竜類」とは、図体が大きいだけで、鰐君のようにココ一番は敏捷に動くが、それ以外はのろまな動きで寝ているような生活信条の生物と見なすようになった。お気軽な食生活を謳歌していたが、酸素濃度急変でそうはいかなくなってしまったのである。息が切れるので、一瞬の動きもままならなくなり、今迄視野に入っていなかったような小動物が、自分達の周囲を、わが物顔に敏捷に動き回る事態に陥ってしまった。 そんなシーンを想像するだけでも面白い。しかし、この仮説の一番重要な主旨をそんな風に見るのはどんなものか。 言うまでもなく、この本の価値は、古代生物のボディプラン大変革を、酸素をどう取り入れるの違いで"ほとんどすべて"説明できるとした点にある。シナリオ作成を学びたい方必読の書と言えるかも知れぬほど、しっかりした構成なのも秀逸。 だが、素人にしてみれば、この仮説、難点がありそうな感じがしないでもない。 この仮説は、実は2段階論だからだ。 1つ目は、環境変化で絶滅に直面した際に、ニッチ的存在の種からボディプランの変更が発生する動き。例えば、変化に対応して竜的生物が生まれる訳だ。ところが、それに異質な脱恐竜種も僅かだが生まれる。そのなかに鳥の始祖が存在していたことになる。竜の大繁栄のなかで、どうにかニッチ的に生きているだけの存在。 その後、新環境移行が広範に進んできて、今迄の主流は没落一途。僅かな適応可能な種は残ることもありうるが、ほとんどの種は絶滅を余儀なくされる。ニッチだった種がその地位を次々と奪っていったと見ることもできる訳だ。 しかし、この過程で、ニッチ種こと進化種は、新しいボディプランを保ちながら、更なる環境対応的進化を果たすことになる。 つまり、多様化が始まるのである。微妙な差違に応じた棲み分けである。 問題は、この2分類が、一般論として通用するのかか否かという点。「進化」という点だけとれば、本質的にはどちらも変わりない訳だし。 この2段階論、ボディプランに大きく影響したか否かという点で峻別しているだけとはいえまいか。つまり、それは種の分類の視点で決まる話。両者の本質的な差違を示す「原理」が示されている訳ではない。つまり、結果的に大多数派を形成すると「ボディプランの大変化」が生じたと見なされ、狭い地域種誕生でしかない場合は「ボディプランの維持」とされると言えないこともなかろう。 しかし、酸素濃度仮説は、こうした見方を一掃させる説得力を持っているのは確か。 多様化的進化が生まれたのは、酸素濃度が急激に増加した時という説明ができるからである。一方、ボディプランの抜本的変化に当たる、新しい呼吸システムを持つ種が生まれるのは、その逆の酸素濃度が急激に減少した時となる。 酸素濃度は呼吸という点のボディプランに結びつくが、餌の多寡が、捕食機関のボディプランに関係するという理屈もありえそう。餌が不足し試練に見舞われて、口蓋を持つようになり、今度は餌が豊富になって多様化にという理論があってもおかしくなかろう。 ・・・まさに素人にもわかる生物進化論だが、この話が無闇に心に沁みるのは、おそらく、民族文化の発展論とそっくりという点ではなかろうか。 環境大変化で異端文化が生まれ始め、それがやがて既存文化を打ち倒すことになる。そして一世風靡で驕り高ぶり、多様化一途に。そのうち、再度、環境が大きく変わり始め、それは行き詰まりに直面することになる。 実に、考えさせられる本である。「恐竜本」と見なされがちだとしたら、なんとも惜しい限り。 (本) ピーター・D・ウォード/Peter D. Ward[垂水雄二訳]:「恐竜はなぜ鳥に進化したのか―絶滅も進化も酸素濃度が決めた」文芸春秋 2008 (2010年文庫化) 本を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2014 RandDManagement.com |