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■■■ 本を読んで [2014.10.15] ■■■

文化的な地域つくりを安易に考えると危ない

文化的な地域つくりが盛んな時代があった。そのため、全国的に立派なハコモノだらけ。その多くが閑古鳥の棲家と化しているのは有名な話。維持費負担に耐えかねる自治体だと、取り壊しも有りえよう。
文化的な地域つくりの掛け声が盛んだから、またゾロ同じことを始めるつもりかと思いきや、今度はかなり違うようだ。

なにせ、アレックス・カー氏が意気に感じて頑張っているくらいだから。
  「皮肉写真を堪能」 [2014.10.14]

ともあれ、お座敷シンクタンク報告書に基づく税金バラマキから脱皮する動きが始まったなら喜ばしい限り。
もっとも、それが「創造的」活動の勃興につながるかと言えば、なんとも言い難し。文化的地域おこしのご紹介頁は色々あるが、小生には似たり寄ったりに映るからだ。
まあ、欧州での動きを真似ようとしても、体質が違うから、どうしてもそうなるのだろう。もっとも、小生の理解力不足ということかも知れぬ。なにせ、以下のような全国一律的な動きがどうして地域おこしになるのかさっぱりわからないのだから。
  ご当地検定
  B級グルメ
  ゆるキャラ
  ローカル・ヒーロー
昔は、銀座通りとか、商店集合ビルという、町並みの真似だったが、これからは、文化の真似でいこうという動きにしか見えないのである。

そんな感覚の持ち主だと、必読書として推薦したくなる本がある。
そのものズバリ「創造的地域づくりと文化」。訳書だが、日本の例も研究対象に含まれている。尚、原題は「La culture et le développement local」。
本屋には類書が山のように並んでいるが、多分、他とは全く違うと思う。

そう思ったのは、以下の実例表記があったから。
 -観光乗数- -国-
   1.73   イギリス
   0.97   モーリシャス
モーリシャスは、お洒落で落ち着いた雰囲気であり、欧州からの観光客が大勢渡来するので成功しているかに見えるが、経済的に見れば必ずしも成功とも言えないことがわかろう。お金は落ちても、その稼ぎのために国外に大枚をはたかざるを得ないのである。

そう、この当たり前のことを忘れて地域おこしに励むと、経済発展は望めない。この肝心なことを頬かむりした動きは大損だと思うが。
簡単に言えば、観光業で喰う話と、人の関心をひくような文化創生活動とは別次元の話ということ。
映画興しと称して喝采を浴びた都市が、どういう末路をたどったか知らぬ人はいまい。陳腐な○○博という手の大イベントの膨大な出費でモトがとれることは稀なのも、当該自治体の財政をみればわかる筈。(ただならぬ乗数効果発揮で大成功という報告書もあるかも。・・・税収が減るという乗数効果としか言いようがないが。)
人集め文化イベントのお蔭で、ファミレスとコンビニは大幅売上増だが、一般店、なかんずく高級店では来客が大幅減になったとは、よく耳にする話。

もっとも、その現実を十分知り尽くしているからこそ、物真似大好きになっているとも言えよう。
安直に、類似のことを始めるだけで、集客可能なのが日本の風土だからだ。それで十分ではないか、という意見も捨てたものではない。ただ、問題はそんな流行はすぐ終わること。まさに自転車操業でじり貧化は避けられないのである。それでも、その程度の税金バラマキで皆が食べていけるなら万々歳だろう。

もちろん、少数だが、そんなことがまるっきりお嫌いで、適当なお付き合いだけで流す、ケチな自治体もある。そういう地域はもとから文化的発信地としての気概を持っているのが普通。人真似不愉快体質のようで、思いもよらぬ分野に大枚をはたいたりするもの。成功の保証はないが、一家言あるので、たとえ目論見が外れてもタダでは起きまい。
本来は、こういう地域を応援して、飛躍につなげるのが政策の冥利。政治家にとっては、それでは、地方票獲得にむすびつかないから致し方ないが。

この本では、これに加えて、さらに重要な指摘もなされている。
創造性発揮には、それなりの環境が必要なのは誰でもわかっているが、その実態を認識しておくべしとの主張。
これではなんのことかわからないか。

要するに、地方はハンディキャップを負っていると、真正直に記載しているのだ。当たり前だが、同一分野で、創造的文化発信地があちらこちらに分散するなど、考えにくかろう。換言すれば、クリエイティブな人材がリッチでもない地域が、後発にもかかわらず、新たな発信地になれるとの思い込みは無理があるということ。
もっとはっきり言えば、人口密度が低い地域は、クリエイティブな人材は枯渇状態でもおかしくない訳で、大都市とははなから競争にならないということ。
しかも、日本の場合、地方は異端を嫌う風土があると、誰でもが語る状況。クリエイティブな人材が集まる必然性はほとんど無いとみるべきだろう。にもかかわらず、クリエイティブな動きを立ち上げようというのだ。
そうだとしたら、イノベーティブな発想で、独創的な仕掛けを考案している筈。その自信がないのなら、諦めた方が賢いのではなかろうか。
これは、お祭りとかスポーツで頑張るのとは訳が違う。
それらは、排他性発揮の場と化してもどうということもないが、従来文化を揺り動かそうというなら、そういう訳にはいかないのである。

おわかりになると思うが、このことは、「創造的」地域文化へと進む道は茨かも知れぬということ。既存文化とコンフリクトが生まれてもおかしくないのである。
それだけの決意をもって取り組んでいるのか、考えておく必要があろう。
これは、起業促進のためのインフラ作りとは訳が違う。社会の体質を抜本的に変えることになりかねない一大施策を始めている自覚を欠いたままだと大いに危険である。

この本では、そうした話を真正面からとりあげている。

(本) OECD[寺尾仁 訳]:「創造的地域づくりと文化―経済成長と社会的結束のための文化活動」 明石書店 2014年9月21日

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