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■■■ 本を読んで [2015.1.19] ■■■

羊冒険話の恐ろしさ

「Je suis Charlie運動」は、日本国内では、おそらく無理だろう。
アノ手の風刺作品は、ユーモア表現ではなく、侮蔑に近い描き方と、「皆で」決めつけるから。それに、フランスと違い、日本では、ロシア同様に、宗教嘲笑は社会的に禁忌である。
平均的なフランス市民から見れば、そうした姿勢は、おそらく、狂信主義者に民主主義の生命線である自由な表現の規準を決めさせているように映る。民主主義を護る気がないと言うより、本質的に反民主主義的な人々と見なされよう。それは致し方ない。

しかし、日本では、今のところ、意見表明は比較的自由である。不文律的な自己規制は存在しているものの。
従って、西欧に受け入れられる文學作品も生まれることになる。そうしたものとして、村上春樹モノがあげられよう。
その典型として、羊のお話をあげておこう。小生にとっては、好みとはほど遠い手の作品だが、楽しくお読みになっている方が多そうなので、一応お勧めということで。

ストーリーはWiki辺りでご確認頂くとして、どうしてそう感じるか、登場人物ご紹介を通じて、その辺りをご理解頂こうと思う。
 主人公たる"僕"
  ・・・もうすぐ30。
    貯金200万円。中古車1台。借家。
    名無しの老雄猫を飼う。
    「僕には失って困るものが殆どない」
結構、勝手な男である。個人主義そのものだが、よくある、格好をつけて悩み考え込むタイプではない。社会に合わせて「大人になる」ことになんの価値も覚えないが、さりとて独自の価値観があるとも言い難い状態。

話は、身近なところから始まる。
<冒険物語以前の女性関係>
 昔のガール・フレンド、"誰とでも寝る女の子"
  ・・・「トラックに轢かれ死亡」との連絡。
    10年前、大学そばの喫茶店で知った昔の子。
    東京下町生まれで16歳で家出と判明。
 離婚した妻
  ・・・4年の結婚生活。
    僕が共同経営する事務所の事務員だった。
    「本当のこと言えば、あなたと別れたくないわ」
    「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」
 現ガール・フレンド、耳専門パーツモデル
  ・・・出版杜のアルバイトの校正係でもあるし、
    コールガールでもある。巫女的耳。
およそ、社会の一般通念とはほど遠い状況が開陳される。実に不安定な関係であり、それは続けられないということかも知れない。何れもが、プツンと途切れるからだ。

そして、唐突に羊冒険話が始まる。

その発端は友人。
<羊冒険物語の背景となる友人達>
 相棒
  ・・・僕の大学時代からの友人。
    僕の事務所の共同経営者。
    広告コピーや翻訳業者。アル中化。
    「あの頃は楽しかったよ」
    「いろんなものが変わっちゃたよ」
    「今ではなんだか搾取してるみたいな感じがするんだ」
 親友"鼠"
  ・・・放浪者。
    以下の2人に「さよなら」を伝えてとの便り。
 ジェイズ・バーのバーテンダー"ジェイ"
  ・・・独身中国人。あくまでもバーに拘る。
    若い時に僕が通って、"鼠"と出会った。
 "鼠"の恋人
  ・・・最初の結婚はすぐに破綻。
    設計事務所に勤務。
    突然"鼠"が消えた。
    「彼はなんていうか……十分に非現実的だったわ。」
いかにも時代性を感じる配役揃い。ヒッピーなる造語が生まれた今は昔の頃を彷彿とさせる。
どう生きるか、なんとも決め難く、道は色々ということ。古典的な友人関係とは全く異なる。この環境から、突然、冒険話が生まれるのである。"鼠"が蠢いたからである。

どういう訳か、巫女的耳の仰せの通り、一大事発生。・・・"鼠"が提供してくれた「羊」の写真を出版物に使ったことが波紋を呼んだのである。
無視を決め込んでいたつもりの、全く違う社会に引きずり込まれるのだ。そこは、一見、異常な社会に見えるものの、大人が棲む現実社会そのものである。それを否定して生きようとしても、なにかあれば無理矢理引っ張り込まれるのである。

我々が住む世界では、所詮は、こんな人物が取り仕切っている訳だ。ただ、組織の状況に合わせていれば、それなりにのんびり生きていける環境が整っているから気にならないだけ。問題が発生するのは、組織の至上命令が下った時。そうなれば、構成員はそれに従うしかない。構成員と思っていなかったし、それを拒否して生きてきたつもりの僕だが、同じこと。そこで生活している以上。
従って、突然降ってわいた「写真に写っている特別な羊と、写真提供者がどこにいるか明らかにせよ」との命令を拒否できないのである。
<「羊」話を持ち出した人々>
 右翼の大物である"先生"
  ・・・敗戦を期に巨富を得る。
    保守党の派閥と広告業界を握る黒幕。
    死にかけている。
 先生の第一秘書こと"黒服の秘書"
  ・・・ビジネスライクで英語文化圏臭。
    背が高く黒色スーツを着用。
    組織のナンバー・ツー。実質的最高権力者。
    「君の凡庸さはパセティックな趣がある。」
    「君の辿る運命は非現実的な凡庸さが辿る運命でもある」
    「私はマルクシズムを認めない。あれはあまりにも凡庸だ」
 先生の運転手
  ・・・クリスチャン。先生を尊崇。
    僕の老猫の世話をしてくれる。

その結果、"鼠"が写した「羊」が存在した地へと、僕は向かうことになり、そこで奇妙な人達と遭遇することになる。社会との繋がりを断って生活しており、何をしているのかさっぱり見えず、危険な香りがする世界へと足を踏み入れることになる。
しかし、そこは黄泉の世界のような異次元ではなく、現実社会の一部でしかない。
<北海道十二滝町関係者>
 羊博士
  ・・・仙台旧士族長男で帝大卒のエリート。
    農林省入省。
    満州で緬羊視察に出かけ行方不明。
    帰国後、左遷され、辞職し羊飼いに。
 いるかホテル支配人
  ・・・父を愛する、羊博士の息子
    「私の人生に目的というものがない」
 十二滝町営緬羊飼育場の管理人
 羊皮衣装の隠遁山中生活者"羊男"
  ・・・町生まれ。戦争拒否。
    低身長猫背で足が曲がる。
 歴史本に登場するアイヌの青年"月の満ち欠け"・・・開拓と緬羊飼育活動。

だが、"羊男"との会話を続けることで、なにが起こっているのか、ようやくにして、主人公にも見えてくる訳だ。
<背中に星形の波紋をもつ「羊霊」の入霊の動き>
 [@満州の洞窟]
  ↓
 羊博士
  ↓
 右翼の大物"先生"
  ↓
 僕の親友"鼠"
  ↓
  ×["鼠"自殺]
"鼠"は、「羊」の支配体制を拒んだのである。

結局のところ、上記の登場人物は12使徒ということになるのだろうか。

それはともかく、このような小説が出版される社会が続くことを願う。それが表現が自由な世界ということ。もっとも、そう考える人は滅多にいないから、たいした意味はないかも。なにせ、トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」をオードリー・ヘップバーンの映画のイメージで読む人の方が多いそうだから。村上的作家にとってはこれはいかにもつらかろう。

村上春樹氏のニューヨーカーへの翻訳寄稿文をつい思いだし、書いてみた。
   「ボストンマラソンテロ考」[2013.5.5]

(本) 村上春樹:「羊をめぐる冒険」 講談社文庫(上/下) 1982年@「群像」

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