表紙 目次 | ■■■ 本を読んで [2015.12.18] ■■■ 庭鶏の出自が気になる 研究分野もその遂行に必要なスキルも違う研究者のオムニバス的小考集かと思ったら、意外と言っては失礼ながら、面白かった本があるので、その読後記。 おとなしいタイトルだが、要するに家畜化の本質に迫るといった内容。 執筆者の専門分野はこんなところ。・・・ 動物考古学/環境考古学 生き物文化誌/野鶏家畜化学 日本古代史/木簡学 先史人類学/同位体生態学 地球環境史/人文地理学 動物学/動物園飼育学 栄養学/微生物学 海水増殖学(養殖) 動物学/在来家畜種学 様々な分野でそれぞれ色々とわかって来たことがあり、それらをザッと眺めているうちに新しい物事が見えて来たりするもの。学際的な論議の良さはそこにあるのはご存知の通り。ただ、日本では研究風土的に理想論に近い訳だが。 この本はそういう点では、刺激を与える良書に仕上がっていると言えそう。 と言うか、総合討論が秀逸。 この分野に関心を持てば、すぐに家畜化で考えるべきポイントは2つに絞られると思うのだが、それをそれとなく示唆する発言がそれぞれから発せられている点。 一つ目は、卵や乳の生産問題である。 本当に効率が良い食料生産体系かがはっきりしてもいないのに、アプリオリに家畜化のメリットありとする議論だらけのなかで、清新な感じがする。 「血・乳」を「靈」が籠ったものと見なし、呪物的に扱うモンスーン高湿度島嶼の日本的視点から見れば、どうしてそのような習慣が生まれたのかえらく気になる。小生は、今迄、これに関してのまともな説明を見たことがない。 この問題に迫るには、他地域とは本質的に違う可能性がある、擬似沙漠的乾燥地域たるモンゴルの乳文化を探るべきと示唆しているのも好感が持てる。 この辺りで、新しい風土的な分類概念が生まれることを期待してのこと。 🐓もう一つは、卵の扱いとも関係するのだが、庭鶏の家畜化について。この分野に素人である小生は、鶏は、どう見ても他とは家畜化の筋道が異なるとしか思えない。しかし、そのような主張はさっぱり見かけないので不思議に思っていた。この本を読んで、そういうことでもないことがわかったのは大いなる喜び。 マ、駱駝・馬、羊・山羊、牛・水牛、豚、犬、猫については、定説があるとは言い難いが。家畜化ストーリーはそれなりに説得力あるものが描ける。すべて、生活スタイル全体と密接にかかわるから、それが当たっているかどうかは別として、それなりに納得できそうな理屈をつけることができるからだ。水鳥類に関しても、それなりの位置付けがつくだろう。 しかし、野鶏は生物上の分類は鳥だが、もともとは森棲の跳び歩く動物である。 家禽としての鶏の原形と見なされている野鶏は、インドシナ半島一帯〜雲貴高原〜アッサムに至る広い地域が原産地。 → 「庭鶏の原種を考える」[2014.6.14] 積極的に活用して生活スタイルを作り上げるという家畜とは言い難い。なにせ、見つかり難い所に、年間10個しか産卵しないのであるから。このことは、鶏は食用以外の目的で家畜化され、それが後に食用化したとの筋道の可能性を示唆していると言えよう。 と言って、エジプトの猫のような信仰対象でもなさそうだし。もっとも、たとえ信仰対象動物だったとしても、それが家畜になる必然性は無い訳だが。 小生は、鶏トーテムの主は雲南の苗族とみた。比較的新しく移住してきた部族らしいが、飛べないニワトリを鳥居の上にあげるなどそうそうできることではない。 → 「十二支の「鶏」トーテム発祥元を探る」[2015.8.25] それと、まだまだ偏見が残っていることがよくわかる。ペット的扱いと、食用家畜の扱いは、ともすれば対立的に捉えがち。子供の時から、遊び相手として同居してきた動物であっても、ゆくゆくは食用にされるもの。それが当たり前だった時代は、そう昔のことではないのだが。 (本) 松井章[編]:「野生から家畜へ (食の文化フォーラム 33)」ドメス出版 2015年9月30日 本を読んで−INDEX >>> HOME>>> (C) 2015 RandDManagement.com |