表紙
目次

■■■ 本を読んで [2019.12.20] ■■■

インフルエンサー北斎

"マインドセット解放のための鑑賞"いうことで葛飾北斎「富嶽三十六景」を眺めたことがあるが[→]、どうしてこのような傑作を生み出すことができたのかは今一歩よくわからない。ついつい、芸術に対する姿勢の変遷が読めないせいもあるのでは、と考えてしまう。

そこで、北斎の創作活動全てを扱った書を読んでみたくなるが、生憎と、網羅的に検討した書は徳川慶喜時代のフランス人の仏語著作のみ。(Project Gutenberg公開)

遠からず邦訳も、と期待していたが、さっぱり音沙汰無し。
マ、北斎ブームといっても、商業的には二の足を踏むような企画になりそうだし、致し方無いと思っていた。ところが、ついに登場。翻訳作業に10年かけられとの一大労作である。

全60章あり、「富嶽三十六景」は「諸国滝廻り」、「諸国名橋奇覧と一緒で32章に収録。その前章の「百橋一覧」では、北斎は俳諧に秀でており、誌的なセンス抜群なことが指摘されているのに引き続き、富嶽シリーズでは"あらゆる光の相のもとで自然の色に近づこうとする意欲にあふれている。"との評。
実に素直な鑑賞眼と言えよう。

注目したのは「凱風快晴」で、"全く独創的"と。
"この日本の芸術家は、見たままをありえそうもない実相のもとに表現する勇気をもっている。"と見たのである。
もっとも、小生は、これぞ実相と感じてしまうクチだが。

そういうことで、「神奈川沖浪裏」でも、モチーフは「波」であり、畏怖の対象を神格化した表現と考えることになる。

ついでながら、42章は「富嶽百景」だが、"科学と美術に関する実に秀逸でユーモアあふれる観察の妙を詰め込んでいる。"とのこと。小生は、理屈っぽそうでフォーマットに矢鱈に拘る西洋絵画思想をおちょくっているように感じるが。
「富嶽三十六景」でも遠近法を笑いの対象にしている可能性もある訳で。そんな手法は、騙し絵と同じで、実相とは無縁と言わんばかり。
この辺りの感受性はヒトそれぞれだとは思うが。

尤も、日仏の思考の違いも大きいのは確か。実際、エドモン・ド・ゴンクールは、即興訳と熟考錬成した文章のどちらが本質を捉えているか頭を抱えたらしいし。100年以上も前のことだから当然とも言えるが、逆に、それだからこそ、北斎の思考のインターナショナル性に驚かされたのではなかろうか。

そうそう、仏語に訳すのが不可能と思ったそうだが、挑戦している。
La poésie de la derniere heure, qu'il laissa en mourant, fut celle-ci, presque intraduisible en francais:
日本では穀物を栽培する畠ではないが、仏の風土感覚から考えればそれは正しかろう。気晴らしを精神の自由とみなす訳も秀逸。もちろん辞世の句の話。
 "死すべき体を残して、夏の田野をゆく。
  ああ、自由よ。
  なんと美しき自由よ。"
 Oh! la liberté,
 la belle liberté,
 quand on va aux champs d'été pour y laisser son corps périssable
 人魂で 行く気散/きさんじや 夏の原

(本) エドモン・ド・ゴンクール [隠岐由紀子 訳]:「北斎 −十八世紀の日本美術−」平凡社東洋文庫 2019年11月18日
 Edmond de Goncourt:"Hokousaï: l'art japonais au XVIIIe siècle, @Paris, 1896年

 本を読んで−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2019 RandDManagement.com