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2004.6.18 |
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インターネット・オタクの怖さ…小6事件の余波で、あちこちで、「電子掲示板オタクの怖さ」が囁かれている。→ 「小6事件の背景」 (2004年6月10日) ホームページ作りにのめり込み、仮想現実の社会に迷い込んでしまう危険性が指摘されているためだ。(1) この主張には一理あるが、子供に対して当てはまるか、疑問を感じる。 もともと、幼児なら、「○○ごっご」は極く普通の遊びだ。しかも、1人で遊ぶ子供もいる。仮想現実での遊びは、身近なものである。 しかし、こんな遊びを大人になっても続けていたら気味が悪かろう。普通は、物心つくと、仮想現実遊びは廃業するものだ。 ところが、日本では、そうとも言えない。仮想現実遊戯に溺れてしまう大人が結構多いのである。 不思議な現象だ。 米国文化がこれだけ流入しているのに、この領域だけは、日本は独特なのである。 米国人と付き合うと、社会との係わりができないような人を「Childish」と呼ぶことがわかる。現実から逃避し、仮想現実に生きようとする人は、幼稚だと見なされるのである。 当然ながら、大人として扱われない。まともに相手にされることはない。 ところが、日本のインターネット・オタクには、「Childish」タイプが多いようだ。米国のオタクは、強烈な自己主張があるし、社会と係わりを持つが、日本には、全く異なるオタクが、大勢いるのである。 こんな状況になる理由は、自明である。日本社会が、仮想現実に耽溺している「大人」を容認するからである。 社会に適合できなくても、年齢だけで「大人」になれるのだ。 「大人」がこの状態なのだから、子供達が仮想現実に入り込むのを止められる筈がなかろう。 議論を見ていると、この実感が欠けている気がする。 頭で考えるだけでなく、一度、秋葉原を訪れるとよいのではないか。考えが変わると思う。 かつての秋葉原は、パーツと電子機器の世界だった。こうした分野のオタクの溜まり場になっていた。 今もオタクだらけだが、昔とは様相が違う。アニメとゲームのオタクに変わったのである。 アニメと言っても、もちろん、「ジブリ」の作品ではない。 部外者には「得体のしれない」作品ばかりである。そこには、無機質な少女や、奇妙な主人公が跋扈する。こんな作品を求めて、どこからともなく、若者が集まってくるのである。 ただならない数の若者が仮想現実に住みついているのは間違いない。 こうした現実を直視すべきである。 どう考えても、社会は病んでいる。 事件をおこした小六の女児は、単に、早熟だっただけかもしれない。 --- 参照 --- (1) 企画「私は思う」、「ネット世代の闇」 http://www.nagasaki-np.co.jp/press/syou6/ 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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