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2005.12.28 |
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古事記を読み解く [大国主の国づくり]「オオクニヌシの神」派は“根の国参り”を通じて、旧来勢力を打ち破る力を得ることに成功した。いよいよ、“大国主の国づくり”時代が始まったのである。→ 「古事記を読み解く [根の国参り] 」 (2005年12月21日) 早速、「大国主」は徹底した八十神勢力撲滅に動く。 (追避其八十神之時. 毎坂御尾追伏. 毎河瀬追撥而.) しかし、以後、ことがスムースに運んだ訳ではない。 まず、この動きを見て、木の勢力の「ヤガミヒメ」(八上比売)がかけつけるが、摘妻の「スセリビメ」(須世理毘売)を恐れて、離れていく。 「大国主」は続いて、「スサノオの神」が勝利した高志の国を傘下にすべく、「ナカワヒメ」(沼河比売)との婚姻を図る。 そして、懸案だった、高志との和解をついに実現する。 当然ながら、「スセリビメ」はおだやかでいられない。 出雲の長で留まるか、全国の長を狙うかで、「大国主」の勢力の内部でも、意見は必ずしも合っていなかったのである。 とはいえ、宗教の象徴でもある矛の拝領を通じ、最大の武器庫は着々と覇権への道を歩んで行った。 (自出雲将上坐倭国而.) しかし、そこで大事件が発生した。大陸側の変化が及んできたのである。 船に乗って、鵝の皮の衣を着た渡来神が来訪したのだ。 (天之羅摩船而. 内剥鵝皮剥為衣服. 有帰来神.) 古事記物語では「ひとりむし」となっているが、漢字“鵝”を、“鳥”の“我”ではなく、“虫”の“蛾”と読むらしい。なにか理由があるのだろうが、素人からすれば、この漢字はガチョウを指すとしか思えない。いつも集団行動しかせず、リーダーの指揮に忠実に従う鳥が選ばれていると考えてしまう。 一方、船は“羅摩”となっているが、この植物の写真を見るとわかるが、奇妙な花が咲く。おそらく、妖怪が好む植物のイメージで使われたように思われるが。 今までも渡来の神はあったろうが、特定の文化に特化していた筈だ。ところが今回は全く違った。今までの知識では、全く判断がつかないタイプだった。 そこで、知識人「クエビコ」(久延毘古)に解明してもらうと、神産巣日神の系列の少名毘古那神だという。 (問時. 答白. 此者神産巣日神之御子. 少名毘古那神.) 新しい哲学が伝わってきたのである。 大陸では、新しい思想が普及していたのだ。 もともと、大陸とのコンフリクトを避ける知恵を駆使するできることをウリにして勃興した勢力である。全く新しい思想をどう取り入れるかは大きな問題になった。 しかし、外交センスが優れている「大国主」勢力は、大陸からの協力の確約を獲得することに成功した。そこで、今までの哲学観と融合する形で普及をはかることに決定した。呪術を重視する点では、類似だったと思われる。 要するに、「大国主」勢力は、この思想に基づいて、“葦原中国の国づくり”運動を開始したのである。 しかし、そうこうしているうちに、この渡来勢力は大陸に帰ってしまう。日本に興味を失ったのではあるまいか。 (二柱神. 相並作堅此国. 然後少名毘古那神者. 度宇常世国也.) 思想的後ろ盾を失ってしまえば、全国統治の夢は閉ざされる。そこで登場したのが、海外事情に明るい「おおとしの神」(大年)との二人三脚体制だ。 (吾能共與相作成. 若不然者国難成爾大国主神曰.) 今までは、天香具山近辺を拠点にした宗教勢力と提携して、出雲近辺を基盤として実権を握っていたが、宗教的基盤は「おおとしの神」に任せて、「大国主」勢力は軍事経済面で圧倒的な力を発揮し、全国統治への道を進むことにしたのである。 結節点は、倭の青垣の東山(御諸山)に「おおとしの神」を祀ることだった。 山を御神体にする話が登場したのは始めてである。おそらく、渡来したのは、深山を重視する神仙思想であろう。 このことで、新時代の幕開けを、国中に知らしめたのである。 天の香具山近辺から、宗教の拠点が移ったのである。 *** 附記 *** 「古事記を読み解く」は、ビジネスマンが読めばこうなるという一例を示しただけの話。一先ず筆を置こうと思う。 何をおもって突然こんなお話をしたのか、最後に記しておこう。 先ずは、“まともな”資料を“素直”に読むことをお勧めしたかった。すぐに専門家の解説を読む人が多いが、生のデータを眺めて、自分の頭で考えても、それなりのものは作れるのである。もしも、そんな作業を面倒と感じたなら、状況を“読み解く”つもりが無いか、人真似が好きな体質であると考えた方がよい。 次に、人によって見方は様々という点を訴えたかった。どうにでも読めるのだから、つまらぬ常識や、ドグマに惑わされてはならない。様々な見方を知るために専門家の解説を読むという姿勢が望ましい。 そして、どのような見方であろうが、確実に言えそうなことを見つけることが大切だ。そこから簡素な基本ストーリーをつくる。これが“読み解く”際の出発点だと思う。 しかし、このストーリーにはたいした価値はない。ここで終わってはいけないのである。こんなもので満足なら、信頼に足る専門家の説を真似た方がましである。 一番価値があるのは、作り上げたストーリーの骨格を生かしながら、いくつかの“お話”を創作することである。そのなかで、自分達で納得できる“お話”を「正解」として選定する。 「正解」とは、実は、自分達の叡智の結晶のことである。 言うまでもないが、資料を徹底的に読み込むとか、様々な見方を参考にしたからといって、「正解」が見えてくることなどありえない。・・・ 要するに、戦略構築作業の一端を感じてもらえれば、と思って書いてみたのである。そんな感覚は伝わっただろうか。 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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