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2006.12.6 |
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エビス様とは七福神巡りが盛んである。旅行パンフレットにも大々的に取り上げられているから、ご近所散歩や、知らぬ街歩きだけでなく、旅としても人気がでているようだ。街おこし観光の目玉になっているのかも知れぬ。 眺めてビックリ。 日本全国、これほど沢山あったのか! → 文化・文政期の「隅田川七福神」(1)が盛んだった頃と状況が似ているのかも知れない。 それにしても、不思議な信仰である。 様々な観音様(聖,千手,馬頭,十一面,不空,准胝,如意輪)や、お薬師様巡り、あるいは、お遍路はなんとなく巡礼としての思想性を感じるが、七福神は様相が違う。ご利益志向はわかるが、神様の由来がバラバラなので、どういう根拠で回るのか、さっぱり理解できないからである。 そんなことに無関係に、人気が出るのだから恐れ入る。 どうなっているのか、少し考えてみたくなった。 先ずは、七福神で一番先に呼ばれる、エビス様から。 エビスの漢字は、恵比寿、恵比須、恵美須という文字が使われているが、いかにも当て字といった感じがする。もともとは、戎、夷、胡、であるに違いない。「東夷・西戎・南蛮・北狄」の様に使われてきたから、辺境から来訪した外来の神との意味だと思われる。 ところが、エビス様は、日本古来の神とされている。 実際、エビス信仰で有名な、神戸市の西宮神社(2)には、1,000年も前に皇族が参詣しているそうだ。ご祭神が日本の創成神に係わっているかららしい。 由緒によれば、祀られているのは、イザナギ・イザナミの最初の子、蛭子神。この蛭子神は、足が不自由だったため、葦舟で流されたことになっている。(3) そんな神をお祀りしている理由は、蛭子神が西宮に漂着したため。 現代流に解釈すると、流されっぱなしで可哀想だから、お祀りしたと見がちだが、古代の話だから、そんな感情とは無縁だろう。西宮に到来した外来神「戎神」を、創成神話に繋げたと考えるのが自然だ。 それにしても、戎神社は全国で3,500にものぼるというから、ただならぬ影響力と言えよう。 戎神は、もともとは、漁業の神である。ところが、神社で、定期的に「浜の市」を開催して、交易拠点としての地位を確立し、力を得たようだ。そのため、日本の神と融合せざるを得なくなったというところではなかろうか。そのお蔭で、さらに発展することができたのだと思う。その結果、商売の神の役割も果すことになる。 今日でも、1月10日の初恵比寿(本戎)は人々を集める大イベントであり、まさに大賑わい。エビス信仰が脈々と続いているのである。大阪文楽、淡路島人形浄瑠璃も「えびす舞」が発祥だという。 仏様は死後の世界を約束するが、エビス様は現生での商売成功をかなえてくれるから、信仰は廃れないのであろう。 ところで、十日戎と言えば、大阪市浪速区恵美須にある今宮戎神社(4)や、「商売繁盛の笹」で知られる祇園の京都ゑびす神社(5)も同じ位有名である。 ただ、こちらのご祭神は、蛭子神ではない。事代主だ。 今宮という名称は、“今”西宮だったという話もあるから、ご祭神が変更された可能性が高い。 何故、このようなことがおきたかは、神戸の長田神社(6)を見ると、その辺りの事情が想像できる。 長田神社のご祭神は事代主(エビス様)だが、実は、父神の大国主(大黒様)と一緒に祀られている。大黒様が國家鎮護、エビス様がそのもとで産業発展に尽くすという強固なイメージができあがっているのだ。七福神のエビス、大黒の基本形が見て取れる。 ここでは、蛭子神は末社で祀られる。 言うまでもないが、事代主とは、国譲りの当事者そのもの。国譲りを迫られた大国主は、美保ヶ崎で釣りをしている息子、事代主がそれに答えると語った。その結果、事代主が国譲りを迫られる。結局、事代主はこれを了承。船を青柴垣に変え、お隠れになる。 これだけでは、流石に、エビス様と呼ぶ根拠不足である。 それでは、どんな説明がされるのかというと、「だんじり」で知られる石津神社(7)の由緒を見るとよくわかる。事代主[八重事代神]が降臨するのである。そこが、戎宮とされる。石津神社は最古の戎宮だとされる。 とは言え、事代主の発祥地は、釣りをしていた島根半島東端の美保ヶ崎である。 ここには事代主を祀る神社、美保神社(8)が存在する。事代主を祀る神社の総本宮ということになる。 当然ながら、交易日の色彩が濃い戎祭は、美保神社の重要な神事ではない。4月7日の青柴垣神事と、12月3日の諸手船神事が最重要と言えよう。 ともあれ、日本の神が降臨したからといって、その神を「エビス」と呼称する話には無理を感じる。 ひょっとすると、江戸の人達もそう考えていたかも知れぬ。 そう思うのは、関東では、関西のように“ゑびす祭”は隆盛をほこっていないからだ。 地名としての渋谷区恵比寿の名前が広く知られているから、そんなことは無かろうと、勘違いする人もいるかもしれぬが、この地名はビール名からきた。恵比寿神社も存在するが、これは、後からの命名だ。(9) といっても、東京でも、エビス様が祀られた神社は結構見かける。代表格は、べったら市で有名な宝田恵比寿神社(10)。江戸時代、もともとあった鎮守様に、後からエビス様が加わったらしいが。 ただ特徴がある。江戸のエビス様は出雲出身ではないのだ。 と言うのは、この神様、神無月に開催される“出雲の神在祭”には出席しないからである。他の神様が出雲に出張して留守にしている時、街を守る役割を一手に引き受ける「留守神」様役を担う。従って、お祭りは神無月に行われる。何時もはひっそりで、この時期だけは大賑わいという訳。 にもかかわらず、高天原系でもない。となると、外来神ということになる。 なかなか洒脱な設定ではないか。 江戸の恵比寿様も、関西同様に、一番のご利益は商売繁栄。しかし、それは、関西のエビス信仰より、ずっと現実的なもの。 都市型金融システム“恵比寿講”の元締めが、この神社だったという。大儲けを狙う、ベンチャー金融がその実体。それこそ、儲かれば、百倍返しが要求されたと思われる。 江戸の恵比寿様は、一大金融商標として人気をはくしたのである。 --- 参照 --- (1) http://www.sakura-catv.jp/~sirahige/ (2) http://www.decca-japan.com/nishinomiya_ebisu/history.html (3) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE (4) http://www.imamiya-ebisu.net/htm/rekishi/rekishi.html (5) http://www.kyoto-ebisu.jp/yuisyo.html (6) http://www1.neweb.ne.jp/wb/jinja/html/yuishiyo.htm (7) http://www.ishizu-jinjya.jp/yuisyo.html (8) http://www.genbu.net/data/izumo/miho_title.htm (9) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%AF%94%E5%AF%BF%E9%A7%85 (10) http://www.nihonbashi-edoya.co.jp/bettara2.html (エビス様のカット) http://www2.nkansai.ne.jp/users/harumi/ 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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