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2007.9.19
 
 


徒然草の魅力[1]…

 「これも仁和寺の法師・・・」といえば、誰でも徒然草とわかる。
 思慮を欠き、およそ、僧侶らしからぬ振る舞いを描いたお話である。この前後段でも、法師の失敗話が描かれている。[52〜54段]
 ご教訓モノとして、よく紹介される面白いお話だが、なにも、仁和寺と特定しなくてもよさそうである。
 と言う事は、なにか理由があるのではないか。

 仁和寺を訪れればわかるが、ここは、二王門、金堂(紫宸殿)、五重塔、御殿、御影堂が立ち並ぶ、立派な大伽藍である。権威の象徴のような所である。仁和4年(888年)宇多天皇が創立し、歴代天皇/上皇が使用してきた由緒ある場所なのだ。ただ、戦火で焼けたから、現在の寺院は、江戸幕府が再興したものではある。(1)
 つまり、仁和寺の法師とは、権力の周辺で蠢く知識層のこと。およそ緊張感の欠片も無く、日々の生活を淡々と送る知識人の姿勢を痛烈に批判しているのだと思う。

 こんな風に考えながら読まないと、徒然草はたいして面白くないのではないか。
 枕草子風の随筆に見えるように書いているだけで、本質的には全く性格が違う作品だと思う。

“法師ばかりうらやましからぬものはあらじ、「人には木の端のやうに思はるゝよ」と清少納言がかけるも、げにさることぞかし。” [第1段]

 この感覚を欠くと、出家した人が著わした、鎌倉時代の警句と説話集という扱いになってしまう。実際、現代にも役立つ、人生訓的な本として扱う解説書も本屋に並んでいるから、一般には、そうみなされているのかも知れぬが。

 ちなみに、中学校で教える兼好の人物像とは、“貴族社会での仕官生活の中で、しだいに俗世間との交わりを嫌う心が高じ”、“山里での隠遁生活”に入ったが、“山中の隠遁生活でも飽きたらず、ならば市中での閑居生活を楽しみながら、歌人として立つ決意をした”というもの。(2)

 全く違うのではないか。

 おそらく、和歌とか、書は、生活の糧。プロとして食べていける腕前を持っているが、それだけのこと。
 徒然草では、そんな能力を臭わすような記載は極力避けている。徒然草を書き下ろすことにすべてを賭けているのであって、閑居生活を楽しむとか、歌人として立つ気など、はなから無い筈である。そう見せかけているだけのこと。

 実際、つまらぬビジネスもしていたようである。
 歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で知られる、『太平記』の“塩冶判官讒死”話(3)を読めばなにをしているか一目瞭然。
 “文をやりてみばやとて、兼好と云ける能書の遁世者を呼寄て、紅葉重の薄様の、取手もくゆる計にこがれたるに、言を尽してぞ聞へける。”ということで、時の権力者の恋文代筆屋として登場。
 もっとも、この手紙、開けられずにそのまま庭に捨てられてしまい、役に立たなかった。そして、“今日より其兼好法師、是へよすべからず。”との結末。権力者の横恋慕のお手伝をしたが、お前などいらぬと言われてしまったのである。

 言うまでもないが、兼好にとって、こんな商売は、どうでもよいのである。おそらく、歌や書で、随一などと言われたところで、嬉しくもなかろう。そんなことを臭わすような記載を注意深く避けているようだし、権力者周辺の話題は始終取り上げるが、決して自分の思い出を語ることは無い。そんなことに意義を認めていないからである。
 なにせ、まる一日、硯を前にして、心のなかに浮かぶことを、自然体で書き続けていると、不思議と、気が狂ったように没入できるのだ。簡単な話に聞こえるが、それは練りに練った主張なのである。

“そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。” [序]

 要するに、兼好は、自分がなにをしたいか、そして何をすべきなのか、はっきりわかっているのである。
 だからこそ、つれづれに書きとめる所業に、すべてを賭けることができるのだ。

“一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、其の外は思ひ捨てて、一事を勵むべし。” “一事を必ずなさんと思はば、他の事の破るゝをもいたむべからず。” [第188段]

 つまり、この作品の本質は、鋭い目で社会を見た、問題提起にある。
 しかし、それなら、通常ありそうな、見方を変えさせるための知識提供や、社会評論的なものになりそうだが、そんな文章はほんの一部にすぎない。啓蒙的な批判は意味が薄いと分かっているのだ。
 従って、兼好自身の意見表明が多い。そして、ところどころにコネタ。気分転換を狙ったのだろうか。あるいは、小難しい顔をした批判など効果無しと見たのかも知れぬ。
続く>>> (2007年9月26日予定)

 --- 参照 ---
(1) 「仁和寺縁起」  http://web.kyoto-inet.or.jp/org/ninnaji/enngi.htm
(2) 「平成18年度版『現代の国語』2 基本情報 枕草子・徒然草」 三省堂
  http://tb.sanseido.co.jp/kokugo/kokugo/j-kokugo/baseinfo/2nd-honpen/24makuratsure.html
(3) 太平記21巻-7塩冶判官讒死事  http://j-texts.com/taihei/tk021.html
(参考) 山極圭司著「徒然草を解く」吉川弘文館 1992年
  鎌倉幕府の崩壊、南北朝動乱という激動の時代を生き抜いた卜部兼好。
  彼は草庵に清貧の生活を送る閑人ではなく、“つれづれなるままに”筆をすすめた徒然草は、いわゆる隠者文学ではなかった。
  徒然草に秘められた、宮廷人・兼好の思惑や苦悩とは。危機の中で生きのびるためにとった手段とは。
  常縁本『徒然草』をもとに、従来の兼好像に一石を投ずる。 [「BOOK」データベース]
(徒然草) Japanese Text Initiative [日本古典文学読本IV日本評論者 1939]
  http://etext.lib.virginia.edu/japanese/tsure/YosTsur.html
(仁和寺の写真) (C) studio AGE http://www.inariage.com/


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