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2008.12.18
 
 


宗教建築の見方[続]…

 建築家が、“豪華絢爛”な日光東照宮を何故褒めないのか、説明してみた。
  → 「宗教建築の見方」 (2008年11月17日)

 しかし、この話はそう簡単なものではない。
 神社のイメージは、伊勢神宮に象徴される無垢な素材の建物とされるが、その宗教的背景を理解していなければ、その「美」がわかる筈がないからだ。
 無垢こそが、神道の「美」と言う人もいるが、それなら丹塗りの厳島神社はどういう位置付けになるのか。
 しかも、それは例外的とは言い難い。全国隅々まで、稲荷神社の朱の鳥居が並んでいるからだ。もちろん、京都や奈良でも、平安神宮や春日大社は朱の世界の建造物と言ってよいだろう。

 これだけでお分かりになると思うが、日本の宗教は多種多様なものが混然一体化しているのである。当然ながら、宗教建造物もそうなる。

 このことは、宗教的背景を理解できないと、建造物の意味はわからないということ。
 特に、経典が無い神道の場合は理解するのがホネである。
 お祭りはあるとはいえ、導師の下で信徒が集団礼拝するなど聞いたことが無いし、布教活動としての社交の場があるようにも思えない。
 つまり、神社とは信徒が集まるための施設ではなく、神が訪れる場所ということ。従って、神の性格によって、建物の風情が変わって当然なのである。どんな神なのかわからないと、建造物を観賞したところで、なにも理解できないということになる。
 家康を知らずして、日光東照宮のヨサはわからないのである。

 ただ、日光東照宮は、神社といっても、天台密教の僧侶の国家安然祈祷場でもあったから複雑極まりない思想だが。
 ともあれ、宗教施設新造といっても、建物の構造自体には全く興味がなかったようである。必須なのは、桃山時代の派手な装飾。家康を祀る上で“威厳”上どうしても必要だからだ。しかし、装飾美を追求したのではなかろう。狙ったのはあくまでも、家康の訓示を想い起こさせる“話題性”。
 だからこそ、構造材がさっぱり見えないほどのゴタゴタした装飾になったのだと思う。従って、その結果、なんとも言い難いバラバラ感が生まれる。これが、この建物の一大特徴。日光東照宮  このことは、それぞれの彫り物や装飾物になんらかの意味が与えられているということである。

 世界広しといえども、細部にこれほど関心を払った宗教建築物は滅多にないのでは。
 以下の珍しいモノも、その文脈で考え意義がわかってくる。
  ・最新技術を投入したと思われる高価な鉄製灯篭
  ・柱が石造りの手水場
  ・彩色された校倉作りの保管庫
  ・寺社には不似合いな猫の彫り物

 要するに、宗教的伝統を踏襲しているが、家康候らしさを出すために、新しいものを雑炊的に加味したということ。実に、日本的な対処の仕方。

 と言っても、なかなか実感は湧かないかも。
 それなら、比叡山延暦寺根本中堂を拝観するとよい。こちらも、徳川3代将軍家光候が建設を進めたから対比するとよかろう。
 と言う事で、少し眺めて見よう。

 根本中堂の一番の特徴は、なんといってもその巨大さ。山中だから余り大きさを感じないが、相当なもの。
 ただ、残念ながら、お堂のなかに入れない箇所が多いので、全体構造はよくわからないが、見慣れているそこらのお寺とは相当違う。ここが着目点。
 密教だから秘仏のご本尊を安置している厨子が中心にある。しかし、これは厨子というより、小さなお堂。と言うのは、地面に直接設置されているからだ。普通は、板の間に須弥壇を設置しその上に仏像を設置するのだが、そうなっていないのだ。従って、僧侶は地ベタで儀式を行うことになる。この護摩を焚く祭祀域を覆う屋根がある訳で、二重構造の建屋なのだ。
 これだけならわかるが、参拝者も同じ屋根の下に入る。しかし、祭祀域には入れない。だが、拝礼の場は、板の間である。つまり、参拝者が僧侶を見下ろすことになる。本来なら、拝礼用お堂と、厨子を覆うお堂は別棟として、両者を繋ぐべきと思うがそうはしなかった。
 おそらく、多数の参拝者での儀式を重視したからに違いない。実際、板の間は相当広い。さらに、その内側は段差をつけた上座とした。そして、中門は小振り。大きな山門から拝礼する習慣を廃したのである。そのかわり、周囲に回廊を設置した前庭を拝礼用に開放したのだろう。
 数多くの人々が集まり、国家安寧の祈願の読経が響きわたる様が想像できよう。
 これこそが、この建造物の意味するところでは。

 だが、その本質は、日光東照宮とそう違わない。
 実は、根本中堂拝観での一番の見ものは天井画だからだ。200枚になろうか。様々な植物の絵が描かれている。およそ宗教観とはかけ離れているし、生物画の美を追求したとも思えない。おそらく、“話題性”の追求だ。各地域の為政者が第一級の作品を揃って奉納したに違いない。これこそが、日本流の国家安寧の証だったのだと思う。

 --- 参照 ---
(鳥居の写真) (C) 2000ピクセル以上のフリー写真素材集 http://sozai-free.com/index.html


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