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2009.2.16
 
 


「檸檬」時代の終焉[続]…

 ずいぶん前に、梶井基次郎の「檸檬」(1)に絡めて、本屋受難の時代との話をしたが、その後まもなく丸善京都店が閉店してしまった。
  → “「檸檬」時代の終焉” (2004年8月19日)

 ところが、それだけではすまなかった。寺町(2)の果物店「八百卯」も2009年1月25日に閉店。創業130年の歴史に幕が引かれた訳だ。(3)
 ただ、ご近所に本屋さんはあるようだから、(4)これからは、ここら辺りを梶井ファンが訪れることになるのだろうか。

 梶井基次郎は三高の理科の頃、すでに肺結核に冒されており、そこかる来る「不吉な塊」の重圧感は読むものにも緊張感を与える。ただ、それは同時に、当時の時代感覚でもあったろうし、京都の古さからくる“しがらみ”と言い換えることもできるかも知れぬ。
 暗い将来しか思い浮かばずに、俗っぽい色彩の街をいくら散歩しても、さっぱり心が晴れないのも当然だ。それを取り払ったのが、頬に冷たい果実という訳だ。
 時代を超える出色の作品だと思うが、そう考える人は今では少数派だろう。そもそも、漢字のレモンを読めない人の方が多そうだ。
 お店同様、作品も作家の名前も消え去っていく運命にありそうだ。

 そんな悩みとは正反対な作家といえば、時代は古いが、“浮世”を描いた井原西鶴だろうか。
 その代表作、「好色一代男」は、なるようにしかならないといった調子で生きる男の、放蕩三昧話の集大成。
 内容から見て、読書推奨本にされることは稀だと思うが、中央公論新社は2008年に吉行淳之介訳(訳者覚書付)の改版を行った。文体は変わっても、それなりに読まれ続けているということか。現在の時代感覚に合うのは、「檸檬」でなく、「好色一代男」ということでもあろう。
 そして、歴史的人物として、西鶴の名前が残っていくのだろう。

 --- 参照 ---
(1) 梶井基次郎: 「檸檬」1925年 [青空文庫]
   http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424_19826.html
(2) 京都市中京区寺町二条角  http://img.map.yahoo.co.jp/ymap/mk_map?lat=35.0.35.81&lon=135.46.12.72&width=620&height=400&sc=3
(3) “中京、「檸檬」の果物店閉まる 梶井基次郎の小説 4代目急逝で” 京都新聞 [2009年1月27日]
  http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009012700037&genre=K1&area=K00
(4) 現在、本屋としては若林書店がある。
   http://www.books.gr.jp/bookstore/index.php? e=50&PHPSESSID=05ec8efc9f4956d09dbae5442723399f
(レモンのイラスト) (C) Hitoshi Nomura NOM's FOODS iLLUSTRATED http://homepage1.nifty.com/NOM/


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