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2009.11.12 |
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韓国食文化は余りに異質でよくわからぬ…〜 食器の独自性発揮にどんな意味があるのだろうか。 〜日本と朝鮮半島は箸の食文化圏とされているが、底流が全く異なる文化である。ここを理解しておかないと、誤解だらけになりかねまい。 古い話だが、ビジネスで初めてソウルを訪問して、料理をごちそうになった時に味わった違和感は強烈だった。 小生は、焼肉屋イメージしか持っていなかったのだが、高級料理をごちそうになり、それとは全く違うことに初めて気付いたのである。当時は、なんの知識もなかったから当然だが。 皿数がとてつもなく多く、ニンニク臭や強烈なトウガラシの刺激もないものばかりで、考えていたのとは全く違う食文化であることを実感させられた。 箸は添え物扱いだった。基本的にはスプーン食。しかも取り皿無しで、直箸ならぬ直スプーン。コレ、初めてだと、日本人にはかなりのショック。 しかも、太くて重い金属の箸と大きくて薄いスプーンだから、慣れないと食べにくいことおびただしい。焼き魚の細かな骨を取るとか、鯛の頭をこわして食べることなど、とうていできないから、食習慣が違うことは一目瞭然。 カトラリーだけでなく、食器を金属にしているのも、違和感発生の原因である。 日本人からすれば、古代からの土器や木の伝統を捨て去ったように映り、実に味気ない。そんなつまらぬことにこだわるより、高価な材料を使った方がよいとの感覚だろうか。 だが、どうしてそこまでこだわるのか不可思議。陶工がおり、日本向けの陶器作りをさせていたのだから。 (日本では、豊臣秀吉の朝鮮出兵前は陶器は輸入品だろう。食器は椀で十分だったし、加熱容器は土器が主流だったに違いないから、土器食器も結構ありそうだ。) そうなるると、奴隷階層の食器が無地の陶器なので、そんなものを使うのは沽券にかかわるということかな。 (参考までに、インドの話。浄化思想から金属容器が好かれるが、儀式では思想を徹底するため、使い捨ての個人別土器と葉を使う。もちろん手食。当然ながら金属容器にもこだわりがでる。上流階層では鉄製容器はご法度で、真鍮工芸品を用いるのが普通。カースト制度維持のために、材料で差別をつけるのだ。) ともあれ、柳宗悦の民芸運動のような美意識とは対立的な姿勢であることは確かでは。 こうして眺めてみると、壊れないことを重視する、非定住型民族文化臭芬々。 古代のスキタイ王国から続く、他民族支配者としての騎馬軍団生活を模したというのが、一番自然な見方か。それに、貴族の視点で見れば、戦乱時の避難生活を考えて、高価な「銀」食器にこだわるのは意味があるだろうし。なにせ、百済王国の滅亡に際して、貴族だけ日本に逃れたと言われている位で、古代から戦乱に見舞われてきた地域なのだから。 と言っても、李朝の知識階級は、清王朝(満州族)の支配に組み込まれ、明王朝(江南発祥の漢民族)を称えたそうだから、狩猟民族としての誇りとして、土器など使いたくないということではないとは思うが。 小生の感覚では、金属容器が食卓に登場すると、錫製の超高級工芸品なら別だろうが、ステンレス製品だと、どうしてもキャンピング用品イメージが浮かんでしまう。使い捨てのプラスチック製品ならまだしも、食卓で使われると心地が悪いのだ。色も模様もない無味乾燥な厚手の金属椀でスープが出されたりすると、小学校給食のミルク系スープのアルマイトカップのシーンが浮かび、もの悲しさえ覚えるせいもあるかも。 文化の溝は余りに深いのである。 〜 焼肉文化は独特なものだが、その素地はよくわからない。 〜 不可思議といえば、代表的な韓国料理のカルビ焼肉も系譜がよくわからぬ。 発祥元はどうも在日コミュニティのようだが、これも色々な説があるのかも。 ただ、日本での焼肉の歴史ははっきりしている。もともとは朝鮮料理と呼ばれていたものが、南北対立で呼び名が変わったということ。(1)普通に考えれば、こうした流れを作りあげてきた在日コミュニティの食文化が人の移動と共に朝鮮半島に移植されたとなろう。 それに、以下の3点から、朝鮮半島の伝統料理とは考えにくいし。 ・牛肉主体。 ・焼くという調理方法。 ・内臓料理も名物。 一応、ご説明しておこう。 言うまでもないが、発展途上国や、古代国家が牛を食用にすることはまずありえない。貴重な労働力を減らす上、大面積の草地を確保せざるを得なくなるからだ。経済が繁栄し、欧米との交流が重要視され、始めて牛肉が普及するもの。当然ながら、食べ始めるのは裕福な層から。 王朝で食べられていた可能性もあるが、それは考えにくい。室内で調理されるから、基本は煮る、茹でる、蒸す、の3つだからだ。せいぜいが炙りまで。焼くとなると室外で加工食品作りになってしまうのではないか。それに、外で焼いたものを、食卓に持ってくれば冷めてしまうから敬遠されるだろうし。 中華料理を考えると、牛肉主体になること自体が不思議である。牛肉なら、焼くことを避ける筈だ。硬い肉として扱われており、不味くなること請け合いだからだ。旨みも薄い肉とされ、豚肉が好まれる。食肉の歴史が薄い日本なら牛肉びいきもわかるが、肉の味を知っているのに、焼いた牛肉を好むのは珍しい。 そして、なんと言っても特徴的なのが、焼いた内臓料理の存在。どう見ても、日本における「ホルモン焼き」そのもの。 言うまでもないが、日本発と言っても、日本食ではない。内臓料理は、日本では嫌われていたからだ。現時点でも、その心理的抵抗感は小さなものではない。博多モツ鍋人気が一時沸騰したが、牛肉がすきでも、内臓系料理には手もつけられない人は少なくないのが実態。一説によれば、新鮮でない内臓料理を食べ、その臭さと食感の違和感に遭遇し、トラウマとなって食べれなくなっているとも言われるが、本当のところはよくわからない。 参考までにが在日コミュニティの内臓料理の典型メニューをあげておこう。(2-1) ・レバーの唐辛子煮 (カンチョリム) ・ホルモン/せんまい塩焼き (コップチャンクイ/チョンヨックイ) ・牛の心臓焼き/レバ焼き (ヨムトンクイ/カンクイ) ただ、韓国代表料理の「骨付きカルビの焼き肉」(カルビクイ) は、在日コミュニティ発ではないのでは。国連軍の韓国常駐に伴う牛肉消費の流れにのり、独自に作りあげた味覚だと思うが。面白いのは、それなら米国流BBQ文化へ転換してもよさそうに思うが、そうならなかった点。今もって、練炭七輪に網や薄鍋といった、「ホルモン焼き」の道具が使い続けられているようだ。(2-2)便利というだけかも知れぬが。 日本と違って李朝の時代に完全に仏教を捨て去ったこともあり、肉食のタブー感は薄いから、焼肉食文化を築きあげ易かったとは言えるが、ここまで入れ込んだのは余程牛肉好きなのである。前述した食器もそうだが、大陸の農耕定着民とは異なる食の好みががありそうだ。 正直なところ、日本的発想なら、「焼肉」とは、ジンギスカン料理以外のなにものでもない。基本は羊肉をニンニク醤油タレにつけて焼くだけのこと。もちろん変種もある。豚ならブタジンギスカン、鶏はトリジンギスカン、というだけのこと。牛はきかないが。東京ではジンギスカンの名称は廃れたようだが、日本全土では、そこらじゅうに残っている料理だろう。 海外の料理に大いに興味をそそられるのが日本の体質なのである。ただ、すぐ飽きたりすることも多いが。 ついでに、対比のために、日本の牛肉料理について、一言付け足しておこう。 欧米のビジネスマンによく知られている“日本料理”が、ブランド牛のステーキとしゃぶしゃぶ。流石に前者を和食と呼ぶ人はいないと思うが、グレービーではなく、醤油味に変えたり、対面料理化するなど、日本人的な料理思想での換骨奪胎が図られているのが面白い。後者はモンゴルの火鍋の真似かも知れぬが、本質的に違うものだと思う。鍋というのは形であり、料理の特徴は肉そのものだからだ。 ともかく肉素材への入れ込みようは、ただごとではない。牛に穀類を食べさせ、気に食わぬ草臭さを取り去り、脂の旨みが出る霜降り肉にする。しかも、柔らかい肉質に限るのだから。そんな肉を使わないと正式なしゃぶしゃぶにならないのである。 そうそう、もう一つ特徴的な和風牛肉料理がある。スキヤキ。こちらは「開化料理」だ。最初に肉を食べた時代の雰囲気を感じる楽しみが含まれている。硬い牛肉を薄切りにするなど、猪鍋と似たところもあるが、特別な鍋をつくったりして、肉の旨みが出易いように工夫するなど、実に熱心そのもの。こんなところも日本の食文化の一大特徴だと思う。 → 「日本の独特な食文化」 (2009年11月5日) 〜 冷麺も複雑な歴史を抱えていそうだ。 〜 焼肉を考えたら、冷麺(ネンミョン)も見ておく必要があるだろう。こちらもよくわからぬ食文化である。蕎麦粉主体だから古くからある伝統料理と考えがちだが、そうとも思えないのだ。 もともと、朝鮮半島は大陸的な気候。植生から見て、米の適地は半島突端の南部。これ以外は、技術でカバーして無理に栽培地を広げたように見える。農耕地は半島の北半分が主体なのに、未だに北朝鮮は食糧不足で、農耕適地が少ない筈の韓国が米余りという状況で、昔の農産物の状況を考えるのは難しくなってしまったが、冷涼地帯が多いから、中国東北部のような雑穀生産に向いていた筈。 ちなみに、麦だが、米より面積辺りの生産性が落ちるから栽培を避けただけでは。しかし、お祝い食に登場ずるから、大陸からの輸入高級品扱いが長かったのではないか。 という見方が正しいなら、雑穀生産に付随して、狭いところで飼える豚・鶏の畜産というのが、一番自然な第一次産業の姿。冷麺とは、そんな食材を用いた料理ということになる。 ところが、どういう訳かスープのベースは牛だ。鶏の出汁になりそうなものだがそうならない。蔘鶏湯(サムゲタン)の残りスープに麺という手もありそうなものだが、そうはならない。もっとも、貴族階層は蕎麦は食べなかったかも知れぬが。 どうも、冷麺は、伝統を楽しむ食ではないようなのだ。 その感を強めるのが、冷麺の食べ方である。 韓国の料理は金属製の器で供され、これを金属製の太目のお箸とスプーンで食べる。当たり前だが、寒い気候だから暖かい食事が原則であり、熱い料理が入った容器など手で持てる訳がない。しかも、箸は太くて重いし、取り皿も使わないから、料理を盛った皿から箸でご飯上に料理を移して、スプーンでお数とご飯を混ぜて食べることが多くなる。ともかく、容器を卓に置いたままの食事なのだ。 この習慣を冷麺に当てはめると相当な無理が生じる。箸が金属製なので麺が滑るし、太いから、麺を取るのが厄介で、えらく食べにくい。スープも問題だ。量がとてつもなく多いのに、中華の蓮華とは違う浅いスプーンで飲むことになるからだ。おびただしい労力。たまらぬ。 するとどうなるか。 冷麺は例外扱いされるのだ。金属碗を直接口に当ててスープを飲むのである。これは奴隷の所作とされ、一番嫌われている筈だが、あえて行う。観光宣伝の映像では、スープをすすっている姿さえ見かける。日本人に親近感を与える工夫かも知れぬが、これはまさに日本型食事。どう見ても、李朝の流れを汲むものではない。 それなら、麺が取り易い、細くて軽い箸にするとか、冷麺だけは割り箸にすればよさそうに思うが、そうは運ばない。 在日台湾人(帰化)発明の即席ラーメンも浸透しており、カップ麺をフォークで食べてもおかしくないのだから、金属箸には余程のこだわりがあると見える。器にしても、冷麺だから金属容器を持てるが、温麺(オンミョン)ではそうはいくまい。 要するに、個食で、スープ量が多い麺料理は、無理に導入されたもの。伝統料理ではない可能性が高い。 それなら、そのような位置づけにしたらよさそうなものだが、それはできないというのが、体質なのではなかろうか。実に偏狭。 本流は、スプーンそのまま食べられるスープご飯料理(クッパ)。日本では、この手の料理は残り物ご飯の食べ方に近く、好まれない調理だが、騎馬軍団食として考えるなら優れた食事なのは間違いない。高度な調理技術は不要だし、体がすぐに温まり、短時間で食べることができ、後片付けも楽なのだから。 しかし、焼肉と冷麺を眺めると、系譜をはっきりさせるとか、料理の根底に流れる思想を明確にすることを嫌うことが特徴なのではないかという気もしてくる。 古代から続く騎馬民族食文化を続けたいというならそう主張すればよさそうに思うが、そうでもなさそうだ。民族として独自性を発揮できそうなものがあれば、なんだろうと、無理にでも伝統と見なしたいのだろうか。複雑な心理模様がありそうで、よくわからぬ。 --- 参照 --- (1) 宮塚利雄: 「日本焼肉物語」 大田出版 1999年 (2-1) 「韓国料理レシピ」 在日本大韓民国民団 http://www.mindan.org/ryouri/ (2-2) “カルビクイ「骨付きカルビの焼き肉」”同上 http://www.mindan.org/ryouri/kiji2/food34.htm 文化論の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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