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2009.11.5
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日本の独特な食文化…

日本の気候が隣国と相当違うことは確か。
 日本料理の話を気候・風土論から始めるのはどうかと思うが、避けられまい。日本食が素材を大切にする特徴は、風土に規定された可能性が高そうだし。

 ということで、まずは気候の確認。日本は、温帯モンスーン地帯に属す島国。四季があるが、夏と冬の厳しさは、世界の他地域と比べればたいしたことはない。このような条件の国は少なかろう。従って、食材の利用パターンが独特で当たり前。

 すぐ、お隣の朝鮮半島と比較すればその違いは歴然。
 こちらは、大陸的な気候で、厳しい時期が長い。
 餅食を特別視するから、同じ米食文化圏と見なされるが、植生から考えれば、稲作に適した地域は半島突端の南側だけではないか。無理して米食を追及したと思われる。政治的な理由だろうか。
 と言って、小麦栽培は生産効率が落ちるから難しかったようだ。なにせ、高句麗は小麦を中国から輸入していたらしく、小麦は高級品扱い。韓国で、ハレの日に、小麦食が好まれる背景はここにありそうだ。

日本人が、素材の味を大切にするのは当たり前では。
 簡単に言えば、日本の気候の一大特徴は、比較的温暖な気候の上、降水量が多く、長くて暑い“日照り”の夏があること。お陰で植物はよく育つ。
 しかも、地域毎に気候や土壌がかなり違うから、海外の植物でも、適合しそうな場所を探せば、なんとか育てることができる。国内栽培試行は、比較的容易ということ。品種改良ができるなら、本格栽培も難しいことではなさそうだ。

 それに、忘れてならないのは、国土は山だらけで、森が保たれたという点。燃料用に木を伐採しても、気候のお陰で回復も速い。過伐採がもとで国力が落ちて滅びる国も多いが、“倭人”は山と木への信仰を捨てなかったので、それを防げた。
 その結果、古代は、森から得られる食材も十二分に活用できた訳だ。

 一方、海と言えば、暖流と寒流のぶつかり合う場所。大量漁獲技術が登場する前は、水産資源は無尽蔵に近かっただろう。そして、何でも食べてみたようだ。海藻から、魚まで、その名前の多さは世界一間違いなしなのだから。日本人なら魚の100種類位、いや、少なくとも20種類位の姿と味の知識があって当然。もっとも、興味なき人には、余計なお世話と言われそうだが。
  → 「魚の話 目次 」 (2005年3月11日〜)

 要するに、多種多用な食材にことかかない土地柄ということ。
 カロリー摂取上、芋か穀類を栽培して主食にせざるを得ないが、それに加えて色々食べてみようというのは自然ななりわい。
 素材の味を大切にするというのは、こうした食材調達環境に対応しただけといえなくもなかろう。
 入手し易い限られた種類の定番食材の調理を工夫するのではなく、様々な食材を上手く利用することを愉しむ体質に染まってしまうのは自然な流れだと思える。
 新しモノ好きとか、生け花学問の先生が多いのも、ひょっとするとこの辺りからくるのかも。一言多かったか。

箸を眺めると、日本の食における「掟」が見えてくる。
 ただ、食材の種類が多く、それに対応して色々と工夫すると言っても、各自勝手なスタイルで食べてみるということではなささそうである。
 そうなるとどんな決まりがあるか気になるが、それは不文律だから一瞥してわかるようなものではない。だが、箸文化を眺めていると、なんとなくわかってくる。簡単に触れておこう。
 東アジアは箸文化と呼ばれるが、中国大陸・朝鮮半島の箸と、日本の箸は全く違う。それは、箸の使い方に細かな規則があるという表面的な問題ではない。個人箸や取り箸がなかなか廃れないことに象徴されるように、日本人独特の宗教観が絡んでいるのである。
  → 「柳箸で想う 」 (2009年1月7日)

 だが、魏志倭人伝で明らかなように、倭人はもともとは「手食」だった。箸に拘るのは本当はおかしいのである。属国化した訳でもないし。
 ところが、どういう訳か全面的に箸使用に変わった。まさに革命的。
 この変化をしっかり見て、どういうことなのか理解しておく必要があろう。

 このような転換は大変なのが普通。欧州では「手食」が中世まで続いており、フォークの歴史は浅い。調理用道具として使っても、カトラリー類としての、ナイフ・フォーク・箸の利用には心理的な抵抗感があったと見るべきだろう。インドでは今もって「手食」が正式な食習慣とされているくらいだ。

 倭人の場合、注意すべきなのは、箸を使っていなかった訳ではない点。古事記では、人が住んでいるところ箸ありとされているし、箸墓古墳の話と想定される記述もあることでもわかろう。ここが重要なところだ。
 「手食」だが、箸は必需品だったのである。要するに、倭の箸は、中国の箸とは用途が違うということ。
 実は、そんなことは、神饌を見ればすぐにわかる。倭の箸とは、竹製トングなのだ。口に食べ物を運ぶものではなく、取り皿に移すための、「取り箸」である。食べる際は、取り分けた御皿から各自頂戴する。この際は「手食」だったということ。
 この「手食」動作を“雑”で“粗野”と見てはいけない。宮中の新嘗祭の祭具には、手水用の土器“多志良加”が用意されており、手拭を入れる“葛筥”が含まれていることでわかる通り、細かな「手食」マナーがあったと思われる。現代の箸使いのルールとは、この辺りの習慣が残っている可能性が高い。洗練された仕草だったということ。

 にもかかわらず、中国的な箸を使うようにしたのは、「手食」する民族が蔑視されることがわかったからだろう。外圧もあったかも知れぬ。
 しかし、中国的な箸を、そのまま受け入れた訳ではない。
 倭人の「手食」に含まれている重要な意味を変える気はさらさらなかったのである。箸を、“水で清めた”手の延長と見すことにしたのだ。その潔癖さの究極が、使い捨て割り箸の使用。濡らした箸を出す習慣もここから来たもの。

 朝鮮半島の対応と比較すると、その差の大きさに驚かされる。朝鮮の場合、箸・スプーン及び容器を、すべて高価と目される金属にしてしまった。
 一方、日本は金属器には全く興味を示さない。当然である。
 神との共食を守るには、ヒトに都合のよい道具を勝手に使う訳にはいかないのだ。
 倭人の正式な器類は土と柏製だし、取り箸は竹。
 これに従うなら、碗(陶器)と椀(木製)の範囲から逸脱することができる訳がないのである。そして、さらに重要なのは、取り皿(柏葉のように平たいもの)と取り箸(できれば竹箸)を揃えること。それに、前述した「手食」としての個人箸。
 これらがすべて揃わないと、気分が悪くなるのが日本の食文化の一大特徴なのである。

 これがわかると、箸は京都のお箸屋さんの煤竹に限るという人の感覚も理解できよう。どうしても竹を使いたいのであって、侘び寂びとは違うのである。高価な箸だが、その材料といえば、竈の煙で色が変わってしまった古い竹でしかない。そんな材料に価値を見出すのは日本人だけでは。

 ちなみに、朝鮮半島と違ってスプーンが使われないのは、匙が嫌いというより、取り皿無しの食事になりかねない不快感が原因と思われる。
  →[新嘗祭は柏葉の取り皿] 「柏葉で感じたこと 」 (2009年11月2日)
 それに、器のなかで、ご飯とお数を混ぜるスプーン食は“気色悪し”なのだ。
 朝鮮半島の食事は、箸を使うが、上で述べた“倭人”の習慣は一つも含まれていないのでは。基底の文化が全く異なるのである。

日本の食文化の特徴は料理のコンセプトを大切にすることではないか。
 それなら、日本人は、異なった文化を受け入れようとしない偏屈狂かといえば、どうもそうではなさそうである。
 冒頭に述べたように、多種多様な食材を試すのが好きな体質があるからだ。

 実際、古代の貴族は、象牙の箸と木製匙も使っていたことが知られている。現在の食習慣から類推すれば、これは、海外料理用ではないか。ナイフ・フォーク・スプーンと箸が同居しても、どうということはないのが現代。大昔の人達も、異国の食文化に触れることで、勉学も兼ねて、大いに楽しんだと思える。それが、社会の上層で生活する者がとるべき態度とされていたようにも思える。
 万葉集を見ても、渡来人の話題は登場するし、詠み人の身分や出自もバラバラだ。極く自然に誰とでもおつきあいできる社会なら、そんな姿勢は当たり前かも。

 ココが日本の面白いところだ。
 “倭人”として、伝統の維持に努める一方で、新しい食への寛容さと、貪欲さは特筆ものに近い。なんでもアリの世界ではないか。
 自分の生活を考えてみればわかるが、和食が基本とはいえ、とてつもなく料理の幅が広い。 実にわかりにくい文化である。
 このことは、色々と試すのは好きだが、取捨選択は厳しいということか。しばらく試行期間があり、定着すると、○○料理として認識され、一つの料理概念が形づくられるのだと思う。要するに、“倭人”の伝統との位置関係が決まらないと定着しないのだ。

 ところが、いったん位置づけが決まれば、なんの違和感も覚えなくなる。それこそ箸で食べる和風ハンバーグを好む一方で、懐石料理も大いに楽しむことができる訳だ。(なかには、ハンバーガーという人もいよう。)両者が共存状態に入れば、決して排除し合うことはない。
 考えてみればわかる筈。後者も、もともとは現代のハンバーグと同じ位置にあったかも知れないのだ。それを洗練することで、日本食の一角に食い込ませたのである。

 おわかりだと思うが、新しい食習慣が定着してくると、それも維持しようとの力が生まれるのだ。その結果、摩訶不思議な食生活 となる。
 例えば、朝食では古代料理の粥を味わい、昼食は文明開化時代の豚カツで、夜の宴会では会席といった調子。コンチネンタル・ブレックファーストのお宅も少なくないが、夕食は鯵の干物とひじき煮物といった一汁三菜型だったりする。
 こんなバラエティ豊富な食事を気楽に行なっている国も珍しいのでは。
 どうしてこんなことができるかと言えば、それぞれの料理は概念が決まると徹底的に洗練され、時代のニーズに合わせて改良が繰り返されていくからだ。

 カレー(ルー)や即席ラーメンの開発競争の凄さを言っているのではない。鮨、天麩羅とは江戸町民の屋台料理でしかなかったが、カウンター対面料理と見なされ、高度化していったことに注目しているだけ。食材と調理技術の流れから見ると見逃されがちだが、これらは職人がお客の状況を察しながら出来立て料理を提供する食文化なのである。

 これ以上、言葉で説明しても、真意を伝えるのは難しそうだから、どんな料理概念があるか並べることで、このお話を終えることにしよう。
 これを見れば、我々が、いかに様々な料理を食べ続けているか気付くと思う。実にコンセプト好き。
 “倭人”としての矜持をまもるためには、料理のコンセプトを明確化しておかないと、心理的に落ち着かないということかも知れぬ。

 ビジネスの場面では概念作りが弱いとされている日本人だが、こと食文化で見れば、概念作りに長けた民かも。そして気に入れば、絶対に捨てない。先人の知恵を捨てることなど、もったいなくて、絶対にできないと考えていそうだ。
 日本人は、人種的には雑種らしいが、それを支えたのがこうした意識かも。

〜日本の料理〜 (歴史観を反映した主観的なリストであることに注意されたし。)
■歴史書以前から続いていそうな料理■
 【古代風の粥料理】
  春の七草粥は今もって現役。これは万葉集の頃の草積み習慣を大事に伝えてきたものでもあろう。
  もちろん、蓮華や匙は使わず、箸と椀で食べる。菜は生感覚で。“倭人”は生食だったのである。
  多分、日本の浅漬も中国食から見れば生食そのもの。
  拙宅では、大根葉の粥を好む。深酒の翌朝には最適というに過ぎないかも。
  今や、五穀粥や古代米粥まで登場しており、古代ロマンはそれなりの人気。
  古都の茶粥は、茶が入っているから、ずっと新しい料理だが、まあ古代臭芬々。
 【雑穀飯】
  五穀飯料理なるものがお洒落ということで、それなりに流行っているようだ。
  山懐の村落に泊まると、山菜粟飯料理が出たりしたものだが、どうなっているだろうか。
  山から下り、風呂に入り、そんな料理を食べるという時代ではないから消えたかな。
 【神饌・お節】
  あくまでも、祭祀用。
  改変されている部分も少なくないし、素材調達難の結果消えた部分も多い。
  各地で、神饌の内容の公開が進むとよいのだが。
  お節は風習を引き継いではいるが、後代の思想との混交が激しい。
 【椎葉盛】
  使うのが、山芋か里芋なら、穀類以前の料理。
  後代のレシピが多いが、食べ方が残っている感じがする。
  柏ではなく、椎や朴の葉を用いる。
  家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る [有間皇子 万葉集巻二142]
■伝統を保っていそうな宴会料理■
 【大饗料理】
  供物と会食を分別した画期的な食事のコンセプト。
  供物の汚れを嫌った結果ではないか。
  食材にできるだけ手を加えない、公家スタイルのようだ。
  残っていると言えるのかは、よくわからないが。
 【有識(職)料理】
  朝廷規格の儀式と言ってよいだろう。
  律令国家だから、取り決めに従うことが重視される。
  完璧な公家の作法料理である。
  調理手順、盛り付け様式、食事の所作と細かい。
  シンプルな様式美を追求したようにも思えるが、そのための規律がすさまじい。
 【本膳料理】
  幕府の繁栄を見せつけるための料理か。
  豪奢志向の「饗」と、秩序のための「式」を同居させたもの。
  標準構成を強いながら、有職の流派によるバラエティ化を図ったのではないか。
  「四條流」、「園部流」、「大草流」、「進士流」、「生間流」、・・・。
  様々な美的感覚を愉しもうということのようだ。
  一杯飲む毎に、違う膳という楽しみもあったろう。
 【式正料理】
  お飾り的な儀式を分離し、饗宴を中心にしたもの。
 【袱(帛)紗料理】
  まごうことなき供応料理である。
  ただし、本膳(飯)+脇膳(酒)+向詰(焼魚)といたって単純。
  余計なしきたりを除いて、一気に会食という、現代ビジネスディナー的発想か。
  八百善(1917年開業)スタイルということかも。
 【会席料理】
  酒を愉しむコース料理と見た。
  話題性が重要だから、「はしり-旬-なごり」に凝る。
  素材イメージや縁起モノも愉しみの一つだし、郷土の特産品など最高。
 【卓袱(卓子)料理】・・・中華だが、日本料理かも。
  中国民衆文化から来た円卓大皿料理らしい。
  どう見ても、宴会用。
  長崎(興福寺)のものだが、この感覚は特殊なものではない。
  訳のわからぬ、和風インターナショナル料理である。
  隠元和尚(1654年渡日)の力。
 【皿鉢料理】
  土佐の地方料理とされているが、コンセプトは“鉢盛”で汎用。
  地場品の特徴を際立たせる晴れの料理だ。
  濱田庄司作の大皿(民芸品)も同じ用途。
  農家の大広間で開催される酒宴では、山盛り料理となる。
  各地のお祭り料理はこの部類が多い。
■広範囲に普及しているアラカルト料理■
 【町屋料理】
  ご飯とごく普通の御菜(お数)である「御番菜」。
  当然ながら、季節野菜料理重視。
  野菜漬物は不可欠。
  ゲスト来訪時は、専門家の作った仕出を加える。
 【下町屋台料理】
  料理人が作った出来立てを、その場ですぐに食べる特殊な食事。
  寿司、蕎麦、天麩羅、等々。
 【京腰掛茶屋料理】
  田楽豆腐のようなものが主体。
  お気楽。
 【火鉢・囲炉裏・七輪料理】
  鍋か焼きモノだが、火を囲んで食事をとることに意義がある。
  掟破り(直箸)によって、紐帯を確認できる。[本来は密会]
  冷ますための取り皿(器)は不可欠。ここで調味料を加える。
  下味をつけるBBQや朝鮮焼肉とは別なモノ。「小鍋立て」
  「小鍋立て」の情緒は、一人前を二人で直箸でつつきあってこそのもの。
 【開化料理】・・・洋食だが、日本料理かも。
  初めての表立った肉食という点と、油活用が特徴。
  スキヤキが代表か。
  揚げ物ならトンカツ、コロッケ。
  油分を強調した、西洋香辛料の“ライス”という手も。
  カレーライス、オムライス、チキンライス。
 【割烹・居酒屋料理】
  豊富なメニューを特徴とする、酒を飲むための肴料理。
  魚を主とするのが割烹。
  非魚を主とするのが居酒屋。
■お遊び料理■・・・堅気の家庭は無視したがるが、存在し続けていそうだ。
 【町方料理】
  江戸で生まれた、ただただお金をかけることに意味を見出す外食。
 【台屋料理】
  放蕩型仕出パーティ料理。
 【見立料理】
  眺めて愉しむ料理。盆栽料理とか、風景料理の類。
■仏教思想を基底にしている料理■・・・影響力は大きい。
 【東大寺 結解料理】
  知る人ぞ知るエリートによる接待の世界。
 【鉄鉢料理】
  宣伝されている料理は違うものが多い。
  非公務員の僧料理で、なんでも頂こうという姿勢。
 【修行料理】
  寺の食事は本来は簡素なもの。
  健康長寿食という訳ではない。食の質・量に合わせた健康生活が営まれたということ。
  典型例(永平寺だったか。間違っているかも知れぬ。):
    ・朝の粥座[粥、梅干、沢庵漬]
    ・昼の斎座[麦飯、味噌汁、沢庵漬、菜]
    ・夕の薬石[残り物雑炊、沢庵漬]
 【精進料理】
  高野山、延暦寺、浄土真宗、禅宗とそれぞれの特徴はありそうだ。
  天台と真言は、遠路の高貴な参拝者への振るまい料理でもあろう。
  五味、五色、五法という理論を徹底し、調理技術を高めた訳だ。
  禅宗は、明示的に、料理に信仰/思想(薬膳,等)を取り込んだ。これは画期的。
 【茶懐石・半茶・懐石料理】
  説明の要無しだろうが、勝手に整理しておこうか。
    ・目的は茶を飲むこと(密談の前段もありだが。)
    ・小人数の“茶人”の交流の場(政治家、ビジネスマン、芸術家、誰でも。ここが肝。)
    ・簡素な調理で、味は淡白
    ・食べ切り量の皿が順次供され、出来立て食
  半茶は懐石+茶懐石の意味。
  懐石は茶らしさを薄めればよかろう。
[参照文献類は省略させて頂いた。]



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