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2010.9.28
 
 


お祭で考えたこと…

 お祭も一巡。

 拙宅の地域は、金王八幡宮の例大祭。この神社の場合、境内が狭いのでそこに人が集まるというより、お社での祭祀は静かに挙行され、地域毎のイベントが人出の中心という感じである。目玉は鳳輦出御か。(1)渋谷道玄坂・表参道地域を抱えているから、それなりに盛大である。もっとも、ここら辺りの商店にとっては、期間中はかえって売上が落ちそうな気がしないでもない。そんなことかまっていられるか、これこそが地域活性化の元ということのように映る。

〜東京の代表的氷川神社〜
[ご注意: 未検証]
 ■■■赤坂から西/西南方向■■■
赤坂
 −渋谷(東)−大橋−狛江喜多見
 −元麻布−白金−西五反田−八雲
    ■■■新宿近辺■■■
東中野−高円寺
幡ヶ谷−弥生町
   ■■■早稲田〜狭山■■■
高田−下落合−沼袋−氷川台−大泉
 −鷺宮−石神井−東伏見
  −東久留米南沢−東村山秋津
   −所沢中−所沢三ケ島中
   ■■■千住から川筋■■■
千住−千住本−西保木間−江北−栗原
 −中川−(鳩ヶ谷)−(八潮)−(川口)
堀切
    ■■■大宮方面■■■
池袋−板橋宿−板橋−上板橋−大谷口
 −赤塚−朝霞子之神−新座野火止
  −(富士見)−(川越)−
<女体:さいたま三室>
<中山:さいたま見沼>
<武蔵国本社:さいたま大宮>
 以前、広尾に住んでいた頃は、渋谷氷川神社(ご祭神: 素盞鳴尊)だった。例大祭は金王八幡宮より一週間早い。こちらの社は、うっそうとした杜に囲まれ、常設の土俵もあって、なかなかの雰囲気だった。しかし、四半世紀もたつと、その風景も相当変わってきた。それにマンション化が進んでいる地域なので、離れた神社まで足を運ぶ人も減っているようでさみしい限り。かわらないのは、各町会がお神輿を出す伝統。担ぎ手募集のポスターが貼ってあったりして、心配したが、どうということもなかったようである。代官山ヒルサイドテラスでは、山車とお神輿を出したようだし。(2)

 お隣の元麻布氷川神社になると凄い。宮神輿の担ぎ手は500人を超えたという。(3)流石、お祭の麻布十番である。
 その又お隣の 赤坂氷川神社は隔年の裏に当たる。しかし、山車巡行があり、赤坂サカスや東京ミッドタウンを通るので華やか。(4)
 いや〜。
 お祭廃れずというところ。

 ところで、八幡神社といえば、全国いたるところにある。しかし、氷川神社は地域性が強い。東京内でも一部にしかないのである。(江戸幕府が、京都の上賀茂/下鴨神社に相当するのは、武蔵野国造の氷川神社であると決めたとの話があるが、定かではない。小生は平将門の乱の当事者と睨んでいるのだが。)
 本社はもちろん都内ではなく、武蔵の中心の“大宮”にある。現、埼玉県さいたま市だ。従って、神社は、大宮や川越に繋がる街道や、川筋の千住宿がある足立辺りに多い訳である。江戸城表に繋がる下町ではほとんど見かけない。そんなことも全く気にかけず、ご祭神も知らず、お祭に出かけるのも、いかにも土着人が少ない東京の風情と言えるかも。
 そもそも小生も含め、“武蔵野国造”といっても、ピンとこない人ばかりの時代である。第八十代出雲國造が出雲大社の大宮司であることさえ初耳の人だらけの社会だから致し方ない。(5)

〜都内の代表的神社とご祭神〜
■土着■
氷川神社 素盞鳴尊
神田明神 大己貴命
少彦名命
平将門
浅草神社[三社]
(本来はお寺)
檜前浜成命
土師真中知命
檜前竹成命
■現代■
明治神宮 明治天皇
昭憲皇太后
東郷神社,乃木神社,靖国神社
■他■
日枝神社[赤坂] 大山咋神
根津神社 須佐之男命
大山咋命
誉田別命
亀戸天神社 菅原道真公
八幡神社応神天皇
天祖神社天照皇大神
花園神社[新宿] (稲荷神社)
(豊川稲荷東京別院)
[赤坂]<寺>
豊川荼枳尼眞天
愛宕神社[神谷町] 火産霊命
虎ノ門金刀比羅宮 大物主神
鷲神社[浅草] 天日鷲命
大鳥神社 日本武尊
>>>  [2010年2月4日]
 ともかく、どんなご祭神だろうが、すべからく神社であり、その区別は曖昧模糊としていると言ってよいのではないか。どこも、来る人拒まずである。
 時に神宝拝観施設があったりしないでもないが、例外的と言ってよいだろう。大事なものを集めるところではないのである。しかも、拝観料徴収など聞いたこともない。もっとも例外もある。奈良の春日大社。
 もともと、お寺のように道場的な施設ではないから、境内は開放。というより、地域に溶け込んだ存在である。御蔭で、児童公園化している境内も少なくない訳だが。

 モノや書類を後世に残すことで祭の伝承を守ろうという気も余りないようで、氏子と宮司の空気でなんとなく行事や信仰の体裁が取捨選択されながら受け継がれてきたきた感じがする。そのため神社毎にしきたりは微妙に違う。それを、統一化すべく宗派的な運動も生まれたりしたがどうもしっくりとこなかったようである。

 そうそう、不思議なのは、各神社が様々な神を呼び込んでいる点。地域の人々の信仰の純粋性を追求するより、他の信仰を加えることを好んでいると見て間違いなさそうである。宗教として考えれば、こうした寛容度というか、嗜好というのかわからないが、ともかく世界でも稀な姿勢ではなかろうか。
 例えば、氷川神社の場合稲荷神社が併設されていることが多い。思うに、東京も京都のように辻々に祠があったのだろうが、年中工事だし、転居者も多いから、面倒が見切れず氷川神社に合祀したに違いない。実に、融通無碍。

 もともと、経典は無いし、その戒律もはっきりしている訳でもないので、こういうことができる訳だが、西欧でこんなことをしたら宗派としてなりたたなくなる。世界広しといえども、こんな芸当ができるのは日本人だけかも。その原点がこうしたお祭。
 神社のお祭だから宗教性濃厚といえばその通りだが、そうしたい人はそう感じるが、そうでない人もそれなりに参加している。それが当たり前の世界。行事の形式に従ってくれれば、思想性はバラバラで結構で、余計なことを追求しないことで皆の一体感を生み出そうという仕組み。
 もともと一族の祖霊崇拝だったのが、祭を通じて、非一族を取り込み、さらに地域の土着神信仰となったが、さらに非住民もとりこむのだからその包容性は驚嘆ものである。

 この国は変わらないといわれるが、それはこうした体質にあるともいえそう。
 突如として変わる時もあるが、その場合はかならず、この祭も変えざるを得なかったようである。律令国家化の時は大転換したようだし、明治維新では、ほとんどの僧侶と社家がこの世界から放逐された。敗戦後は家と国家神道的な秩序が崩された。こうした大転換によって、人々の組織運営感覚が一変し、新しい社会構築のうねりが始まったと言えないこともなかろう。

 そういう意味では、祭で地域活性化という発想もありかなという気がする。ただ、それは皆で祭を盛り上げるだけでは、ほとんど効果はなかろう。新しい神社信仰スタイルに基づいた祭が生まれた時、地域社会は変わり始める筈である。
 今、そんな時を迎えていそうな気もするのだが、現実の祭を眺めていると、とてもそうは見えない。

 --- 参照 ---
(1) http://www.shibuyadogenzaka.com/event/2010/konnohachiman.jpg
(2) “9月11・12日は氷川神社祭礼” 代官山ホームページ
   http://www.daikanyama.ne.jp/topics/event/10090601.shtml
(3) “麻布十番で「秋祭り」−みこしパレードに500人以上が参加” 六本木経済新聞 (2010年09月13日)
   http://roppongi.keizai.biz/headline/2120/
(4) http://www.akasakahikawa.or.jp/oshirase/index.html
(5) “おおやしろと人々” 大社教
   http://www.izumooyashiro.or.jp/hitobito/taisyakyo/index.html


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