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2010年2月4日
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【古都散策方法 京都-その15】
摂社も含め、神社の由緒書きをじっくり読む。

京都散策とは、日本人の精神の源流を考える心の旅である。
 「古都散策方法」はこれで15回目になるので、折角だから“心の旅”のお話でもしよう。といっても、おそらく期待されているような内容とは正反対かも知れぬが。

 ずっとお読み頂いた方なら、どこを見ても、ガラパゴス的に様々なものが雑炊的に存在している都市だと唖然としたのでは。
 京都で、日本人の精神の源流に触れるという、調子の良い宣伝パンフレットはよく見かけるが、こうした状態を見ていると、まさにその通りだと思う。だが、それを、美しい京都と名付けた途端に奇麗事になってしまう。
 虚構の世界に酔いしれながら歩くのも楽しいのかもしれないが、現実を見据えた方が余程面白いではないか。
 京都に存在しているのは、どう見たところで、ドロドロとした複雑怪奇な文化である。だが、これこそが日本人の原点そのもの。

 考えて見れば、京都がそうなるのは当たり前。
 跡継ぎを巡って権謀術数の世界が繰り広げられてきたし、権力中枢では年中覇権争い。これに身分間の勢力争いが絡み、その状況を眺めながら、宗教勢力が競うようにして割って入ってくる。その結果、常に兵火に晒されてきたのである。延々と、千年以上に渡って、この狭い盆地の中で、こんなことが繰り返えされてきたのだ。

 前置きが長くなったが、そんな発想で、京都の神社を眺めてみよう。それには、自分の神社感を振り返ってみるとよい。

神社信仰は錯綜していることが特徴なのかも。

〜拙宅からみた神社とそのご祭神〜
-神社- -ご祭神-
■地域[渋谷・青山]■
氷川神社 >>> 素盞鳴尊
金王八幡宮 >>> 応神天皇
■都内■
明治神宮 >>> 明治天皇
昭憲皇太后
日枝神社[赤坂] >>> 大山咋神
亀戸天神社 >>> 菅原道真公
花園神社[新宿] >>> (稲荷神社)
愛宕神社[神谷町] >>> 火産霊命
虎ノ門金刀比羅宮 >>> 大物主神
(東京十社巡り)>>>
[富岡八幡宮より]
 
■お祭り・縁日■
神田明神 >>> 大己貴命
少彦名命
平将門
浅草神社[三社} >>>
(本来はお寺)
檜前浜成命
土師真中知命
檜前竹成命
根津神社 >>> 須佐之男命
大山咋命
誉田別命
鷲神社[浅草] >>> 天日鷲命
大鳥神社>>> 日本武尊
■雲取山・丹沢■
三峯神社 >>> 伊弉諾尊
伊弉册尊
大山阿夫利神社 >>>
  本殿
  奥社
  前社
 

大山祗大神
大雷神
高オカミノ神(祈雨)
 [雨冠+口x3+龍]
■観光地■
箱根神社
[九頭龍神社]
>>>
瓊瓊杵尊
木花咲耶姫命彦
火火出見尊
二荒山神社 >>>
 
 
 
日光東照宮 >>>
二荒山大神
大己貴命
田心姫命
味耜高彦根命
徳川家康公
鶴岡八幡宮 >>> 応神天皇
比売神
神功皇后
来宮神社 >>>
伊豆山神社>>>
五十猛命
伊豆大神
■府中・茅ヶ崎■
大國魂神社 >>> 大國魂大神
寒川神社 >>> 寒川比古命
寒川比女命
■房総・常陸■
安房神社 >>>
玉前神社 >>>
香取神宮 >>>
鹿島神宮 >>>
天太玉命
玉依姫命
経津主大神
甕槌大神
 神社へのお参りと言っても、宗教的に強固な意識がある人は少ない気がする。しかも、都会の場合、地域コミュニティ活動が弱体化しており、鎮守様感覚が続いているのか疑問。
 ところが、神社への参拝が廃れていく気配はまったく感じられ無い。逆かも。
 それでは、どのような感覚で、神社をお参りするだろうか。えらく気になるではないか。まあ、こんなところか。
  ・著名・人気・流行
  ・ご利益の特徴
  ・方位(恵方/鬼門)

 ちなみに小生の場合はこうなるか。・・・

 以前住んでいた場所の鎮守様だったこともあり、國學院大學の側にある氷川神社には親しみが湧く。通りがかれば参拝。この先も、ずっと続いて欲しいと思うからである。
 木々で囲まれ、目立たず、いかにも地域の神社という雰囲気。今も、本殿はその通りだが、崖下の表参道の風景は様変わり。金王相撲の土俵を囲んでいた大木の茂みは消えてしまった。要するに、児童公園化されたのである。
 渋谷近隣で森がある神社となると、もう明治神宮しかないのかも。代々木の杜と開けた芝生広場が嬉しい。一見、自然環境が保たれているようだが、烏の糞だらけで、アオキの木が目立つ上に病変も少なくない。放置すれば林が健康になるとは限らないのである。

 都内の伝統的神社というなら、永田町の日枝神社か。江戸の鎮守様と言われてきた。赤坂側からエスカレーターで昇る現代版神社になり、山に昇る風情が失われてしまったが、老人社会だから、舗装道路よりはましかも。
 大田道灌の江戸城の時代に川越から勧請したもので、徳川幕府はその信仰を引き継いだ。そのため、今も参拝者が多いということか。前に触れた、江戸っ子の神田明神は下町側鎮守様で、日枝神社は麹町の武家屋敷と西側が範囲と言われている。
 今でも山の神社という感じがするのは、旧NHKの愛宕山だけか。ここは、お休み処もあって、お花見に最適。

 そうそう、氷川神社から渋谷図書館を経由し歩いていくと、途中に“金王丸”の名前を冠した八幡宮がある。茅の輪くぐり儀式も残っており、渋谷氏館の跡地と言われるだけあって、渋谷・青山一帯の広域の鎮守様だ。
 境内は狭いが、頼朝を偲ぶ桜が見事。と言うより、広重の絵に登場する桜なので有名というに過ぎないが。聞いた話だから本当かはわからぬが、社殿は春日局寄贈とか。春日局の話を知る人なら、その理由は想像がつくだろう。

 東京では怨霊的な祭神は、平将門以外は天神様しか耳にしない。東京では、天満宮はもっぱら受験の神様として人気があるようだ。小生は著述業や受験には無縁だが、時々訪れる。湯島ではなく、亀戸の方。亀が住んでいる池や藤棚がある境内散策が嬉しいからではなく、参拝方々、葛餅を食べにいくというところか。
 東京には、靖国神社や軍神の神社もあるが、生臭い問題を抱えるので割愛しておこう。

 後は、山歩きに関係する神社がある。東京都最高峰の雲取山への登山道入り口にある秩父三峰神社と、丹沢ハイキングの名所である大山阿夫利神社が有名だ。最近は行かなくなったが。
 観光地となれば、箱根、日光、鎌倉、熱海といったところの神社か。

 身の回りは神社だらけと言えないこともない。しかも、それぞれ別なご祭神である。信仰のの間口の広さは凄い。

東京と京都の神社の違いは見ておいた方がよい。
〜京都の神社〜
-分類- -神社- *祭礼*
平安京産土 下鴨神社>>>
上賀茂神社>>>
    *葵祭*>>>
松尾大社>>>
斎宮[伊勢] 野宮神社>>>
皇室・源氏 石清水八幡宮>>>
    *放生会*>>>
橘氏 梅宮大社>>>
    *梅産祭*>>>
平氏 [渡来神]平野神社>>>
藤原氏
[春日大社]
大原野神社>>>
吉田神社>>>
熊野大社 熊野若王子神社>>>
熊野神社
新(今)熊野神社>>>
比叡山延暦寺 [滋賀県] 日吉大社>>>
    *山王祭*>>>
愛宕山
[火迺要慎]
愛宕神社>>>
    *千日通夜祭*>>>
岩倉[磐座] 山住神社 →訪問解説記
祈雨 貴船神社>>>
    *貴船祭*>>>
出雲方面入口 大歳神社[栢の社]>>>
東口[粟田口] 粟田神社>>>
秦氏 ↑産土(松尾神社)
大酒神社
木嶋坐天照御魂神社
元伊勢 [丹後]比沼麻奈爲神社
御霊 上御霊神社>>>
下御霊神社>>>
白峯神社>>>
小野御霊神社
崇道神社>>>
上桂御霊神社
下桂御霊神社
菅原道真公
[怨霊]
北野天満宮>>>
    *梅花祭/例大祭*>>>
和気清麻呂公 護王神社>>>
三條実萬公 梨木神社>>>
清原頼業 公 車折神社>>>
    *三船祭*>>>
信長公 建勲神社>>>
秀吉公 豊国神社>>>
疫神 今宮神社>>>
    *今宮祭*>>>
八坂神社[祇園社]>>>
    *祇園祭*>>>
梛神社[元祇園社]
呑童子
妖怪
首塚大明神
鵺大明神
遷都記念
[桓武天皇]
平安神宮>>>
    *時代祭*>>>
東寺 伏見稲荷神社>>>
    *初午/播種祭*>>>
建仁寺 京都ゑびす神社>>>
    *十日ゑびす祭典*>>>
陰陽道 晴明神社>>>
    *神幸祭*>>>
方除 [東]東三条大将軍神社
[西]大将軍八神社>>>
    *百鬼夜行*>>>
[南]藤森神社境内大将軍社
[北]西加茂大将軍
[鬼門]幸神社>>>
[裏鬼門]小倉神社>>>
城南宮>>>
玄武神社>>>
岡崎神社>>>
市場守護 市比賣神社>>>
鹿ケ谷鎮守 大豊神社
宇治神社+宇治上神社>>>
[宇治橋]橋姫神社
 と言うことで、東京の状況をざっと見たら、これと京都の神社を比較してみようか。

 右表に、京都の主要な神社を並べてみたが、皇室が、秦氏、橘氏、平氏、藤原氏といった氏神を大切にしていた様子がわかる。考えて見れば、伊勢神宮の外宮は、丹波の神社から御祭神を勧請したらしいから、伝統ということか。
 一方、江戸には御所がなかったから、重臣にまつわる神社は呼ばれなかったようだ。お伊勢参りは江戸町人の人気だったようだが、だからといって天祖神社や熊野神社が増えたというようでもなさそうだ。

 江戸の中心と言えば、江戸城の方除を兼ねた、神田明神と日枝神社か。後者は日吉神社の勧請で、地場の神ではないが、山自体の信仰はもともとあったのだろう。
 だが、東京で、一番広がりをみせているのは八幡神社のようだ。これは、源頼朝が鶴岡八幡宮を建立した頃が発祥か。武神として関東一帯に広がり、以後、鎮守様として連綿と維持されてきたということのようだ。

 もちろん、それ以前の信仰も残っている。氷川神社は日本武尊が開いた神社とされているようだし、京都には無いようだが、熊手で知られる“酉の市”も古い。日本武尊に対する白鳥信仰と言われている。もっとも、東方平定ということで、江戸期に、後付けで生まれたものという可能性もあるが。その他には、諏訪神社もところどころで見かける。
 こうした古い神社のご祭神はたいていは土着の山の神。(富士信仰だけは新しいもののようだが。)
 それがよくわかるのが、相模、熱海、府中辺り。日本を縦断する神ではなく、それぞれの地域独自の神である。特に、伊豆は古代から罪人の流刑地でもあったから、独自の神が認められていたのかも。

 天満宮信仰が江戸にやってきたのも面白いが、寺子屋教育の広がりで、文神とされたと聞いたことがある。芥川龍之介もお参りしたらしいから、肌合いが合う人も多いのだろう。

 あと、気付く点と言えば、住吉大社や宗像大社といった海の神が京も江戸も目立たない点。(御所の一角に宗像神社はある。東京だと、佃島の住吉神社。)盆地の京都ならわかるが、海運が盛んだった江戸も、信仰するのは海岸部の一部だけだったようである。海運担当は摂津の人達だったということかも。

 こうして全体を眺めて見ると、京の産土でもある上加茂神社の葵祭、疫神の今宮神社・八坂神社の今宮祭・祇園祭が、一番京都らしいものかも。
 ただ、祇園祭は他の神社から移ってきた可能性もありそうだが。

 完璧な京都の独自性ということでは、御霊信仰の神社か。こちらは様々な神社に勧請されている可能性もありそうだが。

 時代祭りで有名な平安神宮は新しい神社だが、都を開いた桓武天皇がご祭神。東京遷都の明治神宮と対の神社なのかも知れぬ。ただ、前者の建物は朱色とそれに映える瓦のコントラストが派手。一方、後者は森のなかで落ち着いた雰囲気を醸し出すから、印象は全く違う。

 そうそう忘れてならないのが、伏見稲荷神社か。お参りの人出の数は圧倒的と聞く。全国の稲荷信仰の大元だから当然かも。(豊川稲荷はお寺だそうである。江戸では、大岡越前が祀っていたそうで、赤坂見附にある別院がその流れをくむものだという。)
 お稲荷様は、屋敷や家屋の内部に祀られていることも多いから、それを数に入れれば。お社の数は日本最多間違いなしだし。庶民から絶大な支持を集めているということ。
 朱色の鳥居が並ぶので、俗っぽい感覚がするが、そこが人気の秘訣なのかも。

神社は摂社の拝観もお勧め。
〜日吉神社 境内〜 [滋賀県大津市坂本]
http://www6.ocn.ne.jp/~hiyoshi3/precincts.htm
-社殿- -御祭-神 -由緒等-
■■■八王子山 奥宮エリア■■■
金大巌 [磐 座]  
牛尾宮 大山咋神荒魂 原初の神
三宮宮 鴨玉依姫神荒魂 <妃>
■■■東本宮エリア■■■
二宮[小比叡] 大山咋神 麓側の和魂
樹下宮 鴨玉依姫神 <妃> 下鴨神社玉依姫
真下に霊泉
大物忌神社 大年神 <父> 行事水
新物忌神社 天知迦流水姫神 <母> 水の神
二宮竈殿社 奥津彦神
奥津姫神
<兄姉>料理を司る神
樹下若宮 玉依彦神 <妃の兄> 学芸の神
稲荷社 宇賀乃御魂神 <叔父>
内御子社 猿田彦神 道開きの神
■■■東本宮前エリア■■■
夢妙幢岩 [岩]   
須賀社[悪王子] 素盞鳴尊奇魂  
巌瀧社 市岐島姫神 竹生島の弁天様
氏神神社 鴨建角身神 琴御館宇志麿
氏永社 祝部希遠 神主先祖神
八柱社 五男三女神 「天の磐船」岩
■■■西本宮/宇佐宮/白山宮エリア■■■
大宮[大比叡] 大己貴神 三輪山から勧請
大宮竈殿社 二宮竈殿社と同じ
宇佐宮 田心姫神 <妃>宇佐神宮と同じ海の神
宇佐若宮[聖女宮] 下照姫神 <妃の娘>
宇佐竈殿社 二宮竈殿社と同じ
気比社 仲哀天皇 敦賀・気比神宮より勧請
白山宮[客人] 菊理姫神 能登・白山比盗_社より勧請
小白山社 西本宮と同じ
剣宮社 瓊々杵命 天孫降臨
八坂社 牛頭天王 無病息災
北野社 菅原道真公  
■■■山王鳥居エリア■■■
惣社 合祀 21社の分霊
子安・子立社 伊邪那岐神
伊邪那美神
 
■■■大宮橋エリア■■■
早尾神社 素盞鳴尊  
走井社 祓戸四柱神  
■■■大政所エリア■■■
大政所   4基の神輿
産屋神社[王子宮] 鴨別雷神  
鼠社 大国主命  
■■■東照宮■■■
 焦点を定めず、ボゥ〜と神社一覧を眺めてみたが、住んでいる周辺→地方行政区域内→広域→日本全体という具合に、どのような神社があるのか考えるととなかなか面白いものである。
 創建が古くても、途中で信仰対象を変えていたりするものも多い。又、習合でなにがなんだかわからなくなっているものも少なくない。それでも、俯瞰的に眺めると大きな流れは見えてくる。
 そのなかで、それぞれの神社が、どのように伝統を守ろうと苦闘してきたのか考えてみると、歴史の重みが実感できるのでは。

 そんなことに思い巡らすのが面白いなら、神社を訪れる時、是非とも眺めたいものがある。それは、境内に表示されている由緒書。ここにはホームページには書かれていない話が記載されていることも多い。

 そんな参拝の仕方をするようになると、摂社にも目が向くようになる。もともとのご祭神に、次々と他所の神を勧請するという仕組みはわかりずらいが、摂社の扱い状況から盛衰の状況は見て取れるので、どう考えてきたかがなんとなくわかってくる。
 これは、日本人の精神構造を振り返ってみる滅多にない機会。

 ちなみに、どんな風に祀られているのか、京都府外だが、比叡山の神社とされる日吉神社で見てみたのが右表である。

 数が多いので驚いた。神社内では格の分類がされているようで、“7社”発想があるようだ。3階層x7社=総数21社で揃えようとしたようだ。延暦寺(第4回)で書いたように、天台とは皇帝を守る☆だから、北斗七星信仰ということ。7社とは、それに当たるのだろう。

 これらの摂社を眺めると、京都での神社の変遷もなんとなく見えてくる。葵祭が産土祭りとすれば、まずは上加茂神社ができ、その後に松尾大社ができたということだろう。前者は加茂氏の氏神だが雷様で、後者は秦氏の氏神で山の神。雷様ということは、といっても、水に係わる農業神。どう考えても、移住者の新しい神だ。
 これに対して、松尾大社は、秦氏が、すでに存在していた山信仰と氏神を習合したということになりそうだ。そうなると、こちらが遷都以前の信仰を今に伝えているとなるのではないか。
 他の神社は、その後、紆余曲折を経て今日まで続いているということになる。勝手な想像だが、多くの神社とは錯綜した歴史を抱えており、純粋な信仰をそのままの形で保っているものは僅かと考えた方がよい。

 従って、神社を知るには、このように多少の分析は必要。しかし、そんな分析に注力したところで、本質がわかるものではない。多少、知識が入ったら、体で感じ取るしかない。
 何故、この神社は、こんな場所にあるのか、このどこが神々しいと感じさせたのか、そんなことは分析したところでわからないということ。それはあくまでも感性の世界だから当然である。
 そうした感性の奥底に、日本人の精神の源流が隠れているのだが、それを感じとるのは簡単なことではない。本来なら、知識ゼロで、分析などしなくても、それがわかる筈だが、現代生活に慣れてしまうと、その感覚を蘇らせるのはえらく骨。
 悲しいかな、知識や分析から入らざるを得ないのである。

 まあ、こういうこと。
 日本人の精神の源流を探りたいなら、先ずは、時間を潰して散策を楽しめるようにすること。その上で、少し理屈っぽく、つまらぬ学びの世界に分け入る。
 自分なりに、なんとなくわかった気がしたところで、興味が湧く神社を参拝するのがコツ。
 すると、突然にして、全体像が見えてきたりするもの。それこそ直観。
 問題は、いくら勉強したところで、直観が生まれるとは限らないこと。知識を確認したり、分析にこだわれば、いつまでたっても到達できない。それは、おそらく、散策の喜びがわかっていないからである。

(神社関係の情報源) 「神奈備にようこそ」+「玄松子の記憶」 [上記の表のリンク先には含まれていません.]
              


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