→表紙 | 2013.11.1 |
蒸飯食文化の由来を想像すると中尾佐助型仮説の問題点をあげつらうだけでは余りに能が無いので、素人論ではあるが、どう考えるべきか試しに書いてみることにした。→ 中尾型食文化論の欠点 (2013.10.31) とっかかり易い題材として、蒸飯食を取り上げてみよう。日本の米飯がアジアのなかでも特殊な部類に属すが、それは雲南辺りの文化とよく似ているという論拠の一つとなっているお話。 先ずは分類から。調理だけでなく、素材も含め、御飯の料理方法はこの4つとしてもよかろう。 (1) 蒸し法 ---糯米の「おこわ」用調理方法 (2) 炊き干し法/現代で言えば炊飯器型 ---ジャポニカ粳米の調理方法 (3) 湯取り法 [煮沸後に液体を除き、米だけ蒸らす] ---インディカ粳米の一般的な調理方法 (4) 炒め煮法 ---「リゾット」 ボーと見ているだけではわかりにくいが、「南島文化」の線を頭に抱いているとこの分類を再編したくなる。 (A) 粘着性重視飯の炊飯方法 (B) 非粘着性飯の炊飯方法 (C) 油脂入り飯の炊飯方法 粒間の接着性が高い御飯を食べる食文化地域では、(A)の技術が進歩する。(1)と(2)のように、ネチョネチョ度は多少違うとはいえ、ベタつく御飯をいかに炊くか工夫が進む訳である。そして、それをどう食べるかの工夫が進む。 これに対して、(B)の食文化地域では、サラサラとしていて粒がくっ付きあわない御飯が基本となる。一寸見には、バラバラの粒が好みとか、手食に都合が良いということになりがちだが、もとの姿を感じさせる食に拘らない料理と見るとよい。そうすると、全体像が見えてくる。(A)の地域では、肉同様の「信仰」的な細かな拘りがあるが、(B)地域ではそれが皆無ということでもある。 要するに、この地域では、粥でもかまわないし、粉にして成形して食べる手もあるということ。(A)だって同じと思ってしまいがちだが、そういうことではない。ここが極めて重要なところ。 中尾論を読むとそこらあたりがわかってくる。 中尾本での鋭い指摘がなければおそらく誰も気付かなかったと思われるが、(B)地域でも表面的には(A)に該当する「蒸し法」が使われている。従って、混沌としている状況を分けるのは馬鹿げていると見るのが常識的。ところがドッコイ、蒸す対象の米はすでに一度煮てあり、煮汁は捨てられているというから仰天である。つまり、実態は「湯取り法」ということになる。非粘着性にそこまでこだわるのには驚かされる。だが、それこそが「文化」の本質ということ。 (A)や(B)の食文化地域でも、混ぜ御飯は存在する。しかし、(C)のように油脂を入れたいための調理ではなかろう。特に(A)の場合、食全体で見ても油脂の使用量は僅少で炊飯に油脂が絡むことはできる限り避ける姿勢が濃厚。(B)にしても、油脂はお数の方に使うもので、御飯に入れることは無い。ただ、お数を油脂で合体するような炒飯のような料理はあるが、炊飯に油脂を使う訳ではない。 このように、(A)、(B)、(C)分類にすると、その発祥が想像できるのでは。 簡単に言えば、(A)は海人文化、(B)は山人文化、(C)は野原人文化に根ざしているように映るということ。理由は単純。 (A)の粘着性重視食とは、ネバネバを感じさせる芋食嗜好そのもの。サト芋、タロ芋、ヤム芋、ヤマ芋、等々、いくらでもある。(植物分類用語ではない点にご注意のほど。)土器が使われるようになれば、これらは蒸して食されたに違いなかろう。縄文土器など細長い尖頭形状が基本だった訳で、「湯取り法」が普及する環境にはない。今でも、蒸し芋に拘る少数民族は存在しているに違いないと思うが、実態のほどはよくわからない。この文化の発祥地はどう見ても、熱帯/亜熱帯の島嶼地域だろう。芋と魚の食文化である。 (B)の非粘着性重視食には、粥型もあるし、粉食型もあるという点が重要。たまたま米食になってはいるが、本質的には雑穀食ということ。粥なら、単に煮るだけで汁を捨てない訳だが、ネバネバがあると、炊き上がって食べる際に穀物に混入しがちな不純物を除くことが難しくなるせいもあるのではないか。ネバネバさえ目立たないなら、おそらく「炊き干し」方法でもなんらかまわないとなろう。と言うか、炊飯器が普及すればそうならざるを得まい。ついでながら、欧州での雑穀は最新のファッショナブル穀物かも。なにせ、麦の後に渡来したものだという。もちろん中尾本で初めて知ったこと。まさに目から鱗。 ただ、(A)から(B)に転向した人々は少なくない筈。糯米より粳米の方が単位収量が多いし、インディカ粳米の方が雑穀に似た食感だから、混ぜるのに向いていそうだから。 (C)の粘着性重視食は、全く毛色が違う。インドのギーのように、食には必ず油脂を必要とする食文化だと炊飯にも取り入れることになるというだけのこと。 いくら素人論とはいえ、これでは余りに雑か。 ただ、主張している点を間違えないで欲しい。簡単に言えば、芋食、米飯食、小麦食とか、根菜農業地域、雑穀農業地域という手の分類は意味が薄いことをご理解頂きたいだけのこと。そうは読めないかも知れぬが。 誤解を恐れずに書けば、芋食の南島食文化と、米飯食の日本食文化は同類と見なすことさえできそうと書きたいのである。極論すれば、現代の日本人が感じている米飯命の感覚はとてつもなく古い信仰に由来し、南島の芋信仰から来ている可能性さえあるというトンデモ理論。どこにそんなことが書いてあるのだと言われかねないが。 まあ、改めて書くことにするか。 食の嗜好というのは、そう簡単に変わるものではないが、南米の食材が世界を席巻している状況を見れば、新しい食材が魅力的なら、一気呵成に変わっていくこともある。その話で締めくくろう。一体、何が言いたいのというご批判をさらに浴びそうだがご勘弁のほど。 上記は、日本人は米に対しては南島文化の嗜好をどうしても残したかったという仮説が根底にある。それはベタベタ感への愛着だったと思われるが、それ以外にも残している嗜好が多々ありそう。一つは、油脂を避けること。強烈な刺激を嫌う体質もありそう。 そう思うのはトウガラシの普及が、朝鮮半島とは大違いだからである。 日本列島ではせいぜいがOne of them的な香辛料だが、豊臣秀吉の軍勢が持ち込んだとされる朝鮮半島では、これが主流化してしまった。しかも、とてつもなく大量に使用する状況へと進み、両者の差はただならないものがある。おそらく、朝鮮半島は四川料理の「麻辣」を生み出す花椒のような、刺激的な香辛料を多用する習慣が根付いていて、そこにピッタリはまったのだろう。 同じような例はインドシナ半島でも見ることができよう。カレー文化が伝来しているから、トウガラシは大好評を博したと考え勝ちだが、カンボジア料理とタイ料理には相当な差がある。しかし、それを日本とカンボジアの食文化が近く、タイは遠いと見てはいけない。動物の進化の系譜など典型だが、似ていても実は無縁だったり、全く違う形状なのに縁戚関係だったりすることは珍しいことではないからだ。じっくりと全体像を眺め回さないと間違った見方をしてしまうことになりかねない。 文化論の目次へ>>> HOME>>> |
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