→表紙 | 2013.10.31 |
中尾型食文化論の欠点…納豆について素人の駄文を提供してみたが、どうも気になる。批判対象の本をだいぶ前に廃棄してしまったので、原著を読み直していないからだ。経験上、日本のインターネットリソーシスの二次情報はピンキリのキリがとてつもなく多いせいもある。→ 中尾納豆文化論は納得しかねる (2013.10.29) そこで、外出の途中、図書館に立ち寄って、5分ほどざっと斜め読みしてみた。実に古い本で、紙の色が変わっていた。(「料理の起源」 NHKブックス No.173 1972年) そうか、海外渡航でまだ為替制限があり、パスポートにスタンプを押してもらって外貨交換していた頃か。そんな状況でも、ここまで追求できた訳である。今や、素人でもその気になれば色々とわかってくるのだが、頭の方はキレがえらく悪くなっている気もする。 それはともかく、勘違いもあるかも知れぬが、感じることが多かったので書き残しておこう。 なかでもビックリしたのは、今にして、ようやく、この著者の目線に問題ありとわかった点。・・・俯瞰的に食全体を眺め回すと、特殊と思われている日本の米食文化もアジアの流れの一角であるにすぎないことが見えてくると考えていたが、素人の浅知恵だった。しばし、反省のひと時。 要するに、中尾説こそ、こうした見方を教えてくれ、我々の頭を鍛えてくれたとばかり思っていたが、それは幻想だった可能性が高いということ。・・・できる限りの網羅的な情報収集をベースとした、偏見なき知見との印象はあるのだが、それは必ずしも視野が広いことを意味していないのだ。 学者に対して失礼極まる意見ではあるが、それが素人の正直な感想である。はっきり言えば、かなり恣意的な説に見えてきたということ。 それは、目次を見ればわかる。以下のような構成。 (二次情報引用だが、まさか間違ってはいまい。) 1 米の料理 2 麦の料理 3 雑穀の料理 4 穀物料理の一般法則 5 豆の料理 6 肉と魚の料理 7 乳の加工 8 果物と蔬菜 こんなことにも気付かなかったのかと、今更のように驚く。・・・上記のどこが駄目かと言えば、米の栽培の前は何を食べていたの?という疑問になんら答えが出ない内容になっているからだ。本の題名を思い出して欲しい。「料理の起源」なのだ。 しかも、米、麦、雑穀が並列的になっている。そして、それらを「穀物料理」として眺める訳である。これは食文化ではななく、植物の分類でしかないが、あえてそうしたのは明らか。何故なら、米の記述のなかで、雑穀から米へと変わっても、調理方法がそのまま続く話がでてくるからだ。これこそが重要な指摘だが、それを骨子にした構成にはしたくなかったことがわかる。素人相手の本だからそれがベストということだったかも知れぬ。だが、動物の進化を示す、系統分類の頭で考えてみると、このゴチャゴチャ感はひどすぎるのでは。 そして、豆、肉/魚、乳、果物/蔬菜がなにげなしに追加記述の構成になっているのも問題アリ。これでは、「食」の構造がさっぱりわからないからだ。もしかすると、その構造こそが文化であるとの認識が無いのかも。つまり、「食」とは、あくまでも、穀類中心。他は状況によって色々と変わると見なしている訳である。 そのようなつまらぬことを言うのは、この発想がアプリオリに正しいと言えるのか、はなはだ疑問だからだ。例えば、アラスカ北部に住むイヌイット(エスキモー)は完璧な肉食と言われているのだから。(極く少量のコケモモだけは摂取するらしい。) 小生は、この「常識的発想」から離れない限り、日本の「食」はわからないと考える。逆に、それこそ分かれば、グローバルな視野で「食」文化を分類することもできるようになると見る。まあ、いかんせん素人なのがつらいところ。 ともあれ、恣意的に日本の古代の食文化を無視しないことにつきる。 後漢書東夷伝に記載されている、生野菜を食べる魚介食民族としての日本人イメージを、誰でもが知っているのだから、それに従うのが正論。 それに、古い遺跡からは必ず南洋の貝が出土するのだ。もちろん、ほとんどが本土産とは思えないもの。その上、驚くことに、以下に示すように、古墳の副葬品として、それらの模造品がでてくるのである。 [石製レプリカ]「車輪石」 ・・・かさ貝 (→20090515) [石製レプリカ]「鍬形石」 [青銅製レプリカ]「有鈎銅釧」 ・・・ごぼうら貝 (→20090403) [石製レプリカ]「車輪石」 ・・・おおつたのは貝 (→20090522) [青銅製レプリカ]「巴型銅器」 ・・・すいじ貝 (→20070427) [石製レプリカ]「石釧」 [青銅製レプリカ]「銅釧」 [ガラス製レプリカ]「硝子釧」 ・・・いも貝、まがき貝 (→20130201) (→20080222) 「貝輪」 ・・・さるぼう貝(あか貝系) (→20060414) 密教/修験道の呪術道具である法螺も明らかに南島文化である。[ヒンドゥー教Paanchajanya] ・・・ほら貝 →(20090313) レプリカ類は、とっくに水田農業が入っている時代のものが多い。そこまで重視されていた文化なのだ。 当たり前だが、貝とは食べ物だったし、道具用の素材でもあったのだろう。さすれば、日本の古代人は南島から到来した食文化に浸っていたと考えるのが自然では。ただ、貝の生食だけでは、カロリー不足で生きていけないから、南島食独特の技術体型があったに違いないのである。少なくとも、時化で海に行けないことは少なくないのだから、これに対処する技術があったのは間違いないのである。このような料理技術を無視して「料理の起源」論を展開すべきではないと思うが。 まあ、照葉樹林文化を訴えたい気持ちはわからないでもないが、日本文化の最古層はそこではないのである。 日本人の視点で、料理の起源に関して一番先に取り上げるべきは、南島の「海人」の食文化ということ。 その食文化と、穀物食がどう繋がっていくかの仮説を立てて、初めて日本における食文化の流れが見えてくるものではなかろうか。・・・常識的には、南島は、芋と魚/貝/蟹蝦の食生活。穀物料理の一般法則の前に、この南島料理の一般法則を考え、その土台の上に穀物料理の一般法則がどう成り立っているかを推し量る必要があろう。 当然のことながら、これはアジア地域でしか適用できない。つまり、ここの解明無しに、全世界の穀物料理の一般法則を追求し始める発想には無理があるということ。 文化論の目次へ>>> HOME>>> |
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