表紙 目次 | 2014.5.28 中国の料理文化圏【北京料理(京菜)】は<北方民族料理圏>の代表という話をした。 → 中国の料理文化圏[北方民族] [2014.5.26] 要するに、北京の西、北、東、すべては、陸のシルクロード食文化の地域ということ。 羊肉直火焼と臓物料理に、肉スープに工夫を凝らした麺類と様々な詰め物の餃子といったところが、この辺りの共通の嗜好と見ることもできそう。 以下のような料理が入ることになろう。 <女真族系> 遼陽料理 遼陽,撫順 <満州族系> 東北料理 遼寧省瀋陽,吉林省長春,黒竜江省ハルピン <西域系> 西北料理 甘粛省-蘭州.敦煌,武威 青海省-西寧 <古代西方中華帝国系> 西安料理 陜西省-「長安」 <蒙古族系> 北方料理 フフホト <イスラム信仰民族系> 清真料理 ウルムチ 一方、漢民族系の以下の料理は、影響を与えてはいるが、底流文化とは言い難かろう。これらを一様な食文化と見なすのは無理がありすぎるし、山東省内にしてから様々なのだから。 【山東(魯)料理】 【天津(津)料理】 【河北(冀)料理】 【河南(豫)料理】 【山西(晋)料理】 漢民族の料理文化の影響を指摘したいなら、こうした黄河下流域よりは、長江下流の方が大きいかも知れぬ。煬帝(在位:604-618年)が構築した「京杭」大運河で、北京、天津、河北、山東、江蘇、浙江(杭州)が繋がっており、それは明らかに「米の道」だったからだ。北の民にとっては、長江下流の食は垂涎の的だった可能性も高かろう。 そもそも、北京は漢の時代で考えれば、「匈奴」圏内と見た方がよかろう。そして、最後の皇帝となった清国は、国境というコンセプトを欠いた統治に勤しんでいた訳だから、北京の食文化は雑多なものとなっていたと見る方が当たっていよう。魯菜はOne of themでしかないだろう。 従って、北京料理に魯菜が深く浸透しているように見えるなら、国民党政権以降の変化と見なすべきと思う。 それを北京食文化の基層と見なしたいのは、、孔子廟での祭儀を行っていた、「魯」の曲阜と、首府の食文化が繋がっていて欲しいとの願望ではないかと思うが。 ということで、前置きが長くなってしまったが、<北方民族料理圏>に続いては、長江下流の<江南料理圏>を取り上げたい。上述した、北京杭州大運河の杭州の辺りの食文化である。 小生は、その代表として【上海料理(滬菜)】をあげたい。 長江の河口近くの単なる港町だったのだろうが、北京より、インターナショナルな都市に育ったと言ってよさそうだからだ。そこには、租界料理があった訳で、仏・露といった西洋料理との融合が進んでいるのは間違いないところ。こうした異質な食文化を取り入れる力こそが、この料理の特徴である。 つまり、上海そのものに独自性があるのではなく、他の食文化を導入して、新たな流行食を生み出す力があるということ。これは凄いこと。この地域を牽引していると言って間違いないと思う。 そんなことができるのは、もともと、この地が水が豊富で、稲作と淡水漁労が盛んであり、沿岸部は魚介も豊富とくるので、食材にはことかかなかったからでもある。 ご存知、南宋時代は、「蘇州湖州的糧食成熟了 天下就國泰民安了」の地。 そして、政治よりは生活第一の風土だったことも大きかろう。と言うのは、この一帯には財をなした商人が大勢いるからだ。 当然ながら、贅沢三昧をしたくなるから、料理にも力を入れることになる。それに答えた形で、調味料や嗜好品の上等なものが、この近辺の産として生まれることになる訳だ。 酱油[地産(含:上海)] 揚子淮鹹[江蘇省揚州] 鎮江香醋[江蘇省鎮江] 紹興酒[浙江省紹興] 金華火腿[浙江省金華] 龍井茶[浙江省杭州] 鹹豆豉[湖南省瀏陽] 余裕ある生活には、「点心類と茶」というスタイルはこの辺りが発祥の習慣だろうし、そんな最先端の流行は、古くは白楽天と西湖十景で有名な杭州/臨安で、現代では上海が作ったと言ってよいのではないか。政治色が濃い南京ではないのである。 多少広くみれば、この食文化は以下のような都市群の料理から形成されていると見るべきでは。 【上海市】 ・南翔小籠包 ・生煎饅頭 ・酔/蒸大閘蟹 【江蘇省 南京】 ・南京三叉 子豚+鴨+鱖魚 ・塩水鴨 【江蘇省 北部海岸地帯(徐州、海州/連雲港)】 ・鼈汁狗肉 ・彭城魚丸 鯉 【江蘇省 長江北(揚州、淮安、鎮江)】 ・清蒸鰣魚 ・白汁鮰魚 ・揚州炒飯 川蝦 ・水晶肴肉 ・鴨包魚帳翅 【江蘇省 長江南 湖水地帯(蘇州、無錫、常州)】 ・栗鼠桂魚 鱖魚 ・乾炸銀魚 ・蝦仁鍋巴 ・無錫排骨 【浙江省(杭州、温州、紹興、寧波/明州)】 ・龍井蝦仁 ・西湖醋魚 ・生爆鱔片 タウナギ ・東坡肉 ・杭州素焼鵞 上記に並べる訳にはいかないが、太湖の近辺には、豪商が大邸宅を構える地域(南潯、西塘、etc.・・・)があった。当然ながら、そこでは、ハイレベルの食文化が花開いていた筈。 さらに、紹興-温州の間には、天台があり、寧波の海上には、船山、補陀山と、知的な人々も多かった訳である。食文化的には「台湾素食」同様なものが残っている筈だ。「浙江素食」ということになろうか。 当然のことだが、仏教だけでなく、道教、回教、天主教、基督教に関係する食文化も存在するに違いないのである。それが、江南の伝統と言えそう。共産党がそれをどこまで破壊できたかは定かではないが。 これらを包括的に眺めると、配色を考慮した、洗練された盛り付けに凝る料理が多そう。上層階級は、芸術的な食文化を好む風土を愛していたことが伺える。 もちろん、原則は米食であり、北京と江南を比較すれば、「南稲北麦」かつ「南米北麺」ということになろうか。麺や小籠包はインターナショナルなお洒落感を楽しんだということでは。 水郷地域だから、様々な素材が入手できるので、味を無理に付ける必要はないから、自然にあっさりしたものとなりがち。しかし、良質な調味料が揃っているので、それを楽しもうとすると濃い味付になる場合も多かろう。意識して甘くするつもりはなくても、その結果として甘目になるかも。まあ、色々と工夫した料理になるということ。西洋でも、東洋でも、南でも、北でも、興がのればその技法を利用することになるから、これからも変化していくことになろう。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |