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2014.6.1

中国の料理文化圏

[亜熱帯モンスーン料理圏 その3]

福建省()からベトナムとの境までの沿岸部の<亜熱帯モンスーン料理圏>は食文化的にひとくくりできるとの話をした。[→]
言語的にも、客家語という例外を除けば、北京や江南とは全く似ていないから、そこだけ見れば納得し易いが、実態を眺めれば、疑問が湧いてくる筈。
方言とは言い難い、通じ合わない言語がバラバラと存在しているからだ。
イデオロギーあるいは宗教で統一でもしない限り、とうてい同一文化圏とは思えないのである。・・・
 福建系:北語、東語、中語、仙語、南語
 客家語(秦の時代の北方漢語系)
 広東語
 潮州語(広東語系)
 雷州語(海南語系)
 海南語(おそらく福建系)

もともとは、ここらは、北の漢民族から、百越と呼ばれ、バラバラの部族が住んでいた地帯。その実態はよくわからないが、弱小だらけで連合も組めなかったようで、巨大化を図る中華帝国に組み込まれたため、多くは移住を与儀なくされたのだろう。その結果、多数派が嫌う地に少数民族化として残るか、気候的には多雨の東南アジアへ向かい、原住民族と同化していったと思われる。もちろん、帝国内に残って被支配層に甘んじて漢民族化した人達もいた筈。それが上記の言語分布に表れていると見ることもできよう。

そのなかで、出自が比較的わかっているのが、特殊な生活風習で知られる客家である。
秦の時代に、黄河中原から出立した民(漢民族)とされているのだ。(客家語話者は北京語を理解できそうだし、北の牧畜経済圏の食文化を今もって維持している可能性もある。)ただ、食文化が地域内で孤立しているとはとうてい思えない。と言うのは、広東料理の狗(犬)肉料理とは、「なんでも食材化」体質で、客家料理を取り込んだ結果に映るから。

実は、ここが重要なところ。

移住許容体質と移住先現地食との融合化は、客家に限らず、福建から海南島まで、この地域では珍しいものではないのだ。
と言えばおわかりだろう。
それは「華僑文化」である。

つまり、この沿岸部には、どこにでも進出しようと企てる「海洋帝国」の思想が染みついているということ。
台湾や海南島はいうまでもがな。ヒトとの物質サイクル上で最良の家畜たる豚を持参し、ミクロネシアやポリネシアの離島にも足を延ばしたのは間違いないところ。
例えば、シンガポールやタイ中華を含めてもよい。中華意識からすれば、それは文化上のトロイの木馬のようなものだろう。その調子で敷衍すれば、琉球料理(紅麹)は和とは見なされず、中華料理とされることになろう。その手の食文化は、もしかすると五島列島にも残存しているかも知れぬ。公式施設から伝わったとはいえ、長崎に卓袱料理が残っているのだから。

そんな見方ができると、客家料理をこの食文化圏から外す気にならなくなってくる。そう、この部族の思想性が特殊という感じが全くしないからだ。
  「客家是漢民族中最有血性的族群。
   国有乱局、邦有危難、客家人総是挺身而出。

ここには、毛沢東のような、イデオロギー的なものは一切なく、ただただ祖先崇拝。これは中国の亜熱帯モンスーン地域の、死後の世界の宗教とは一線をかくす信仰パターンの特徴とまるっきり同じ。
日々の生活最優先だが、それを血族毎に徹底的に追求していくことこそが、「海洋帝国」への道と考えているいうことだろう。

ちなみに、客家を自称する権力者を並べてみると、その威力の様がわかろうというもの。
 太平天国天王:洪秀全
 中華民国総統:孫文(広東)
 人民解放軍最高幹部:朱徳(四川) 葉剣英(広東) ケ小平(四川)
 中華人民共和国総理:李鵬(四川)
 中日友好協会会長:郭沫若(福建)
 中華民国[台湾]総統:李登輝(福建)
 シンガポール首相:Lee Kuan Yew/李光耀(広東)
     Goh Chok Thong/呉作棟 Lee Hsien Loong/李顯龍
 フィリピン大統領:Benigno Aquino III/許漸華(福建)
 タイ首相:Thaksin Shinawatra/丘達新(広東)
   東南アジア圏には、凄まじい華僑人口の町があった。
    ・・・柔仏(ジョホール)、呂宋(ルソン)、暹羅(アユタヤ)、等々。

手に入るものなら何でも食べるし、類似な調味料も躊躇なく試してみる。そんな挑戦こそが、それぞれの階層に属す料理人達の自負であり、それが宣ければ、すぐに人々の食卓に並ぶようになる。
移住を厭わない、冒険主義が食文化に表れている訳だが、それは、どこにでも進出していくことを意味している訳である。

つまり、<亜熱帯モンスーン料理圏>とは「華僑食文化圏」を意味するのである。ただ、そうすると、浙江省側の温州辺りも含めたくなるが、それはマイナーな部分として捨象する要あり。(ご注意:最近は、華僑の再定義が進んでおり、海外華人とか、華裔と呼ぶようだ。一方、古手の解説は、狭い出身地に限定した、越族の移民とされていたりする。)

まあ、偏見も多分にあるとはいえ、華僑は、調子良き宣伝がお得意だから、その料理文化のご高説の類はよくよく吟味した方がよかろう。

例えば、なんでも食べるぜ「取材不限」というのも、どうかな。馬、金魚、烏を見かけないようだが。
机、自動車、飛行機、潜水艦以外はなんでも食べるというのは、巧妙な「美化」キャンペーンと違うか。
 広州人除了四足的卓子、
 路上的汽車、
 天上飛的飛机不吃外、・・・


小生は、何処だろうが、なんでも獲ってきて、それを売ってカネに変えようとの露骨な魂胆を合理化しただけと見る。路上を歩く2本足は、両親を除くすべてを食いものにして経済力をつけようというのが本質ということ。

従って、食材を利用する方も、そこにチャンスがあるからこその冒険主義と言えよう。
しかも、ここら辺りは、天子や官僚のお抱え厨師や豪商/文人の饗宴文化的厨師が主流とは言い難い。家常菜の外食ビジネス稼業がことのほか多いからだ。しかも、社会の全階層に対応しており、多種多様とくる。そんな状況で、工夫をこらす革新性が目立つということ。言い方を替えれば、何を食わされるかわかったものではないということでもある、それを許容する食文化が定着している訳だ。
従って、財になるなら、獣を獲り尽くししまうことになろう。そんな風土を嫌う部族は排除され、少数民族の地位に追いやられてしまったとも言えよう。
「取材不限」という意味はそういうこと。
満州族が北京で実現した宮廷料理の「珍」揃え文化とは全く違う点に注意を払う必要があろう。北京のナンデモ食は世界の支配者として頂点に立っていること象徴させるメニューなのである。そんなものを一般化させようなどとはついぞ思っていないのである。
 −満漢全席の「珍」例−
  駝峰,熊掌,猴脳,猩(オラウータン)唇,
  象抜(鼻),豹胎,犀尾,鹿筋,海獅(豹)

しかし、華僑的発想で、この料理に財をなす機会があるとなれば、一気にこうしたメニューが広がることになろう。
食はどこだろうが保守的なもの。華僑の食文化とは、どこにでも進出していこうという思想に支えられているから、現地での生活のためなら、食材変更に吝かでないというだけにすぎない。冒険主義的に見えるのは、生き抜く上での知恵。実態はこういうこと。・・・
 背脊朝天、人皆可食。
 古時、広州菜是无鶏不成宴、
 而潮州菜是无海鮮不成宴、
 其擅用食鹽、
 鹵水等佐料助存及調和食物。
 而客家菜則偏向多油多鹹的重口味菜。



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