表紙 目次 | 2014.6.18 中国の料理文化圏<山西(普)麺料理>のただならぬ小麦粉食への情熱を眺めてきたが、その調理方法のルーツはおそらく西域。しかし、なんとしても美味しい粉モノを作ろうとしたのは、中華王国発祥の地との自負心と、唐大帝国高祖を育てた風土を誇りにしていたからでもあろう。 小麦の卓越した経済性と、食材化技術と調理方法の合理性を知り、その高度な技術に圧倒されたに違いない。それを真似するだけでも、大変な労力を必要としたと思われるが、完璧に技術を消化するだけでとどまらず、それを徹底的に高め洗練させたのだから、その集中力は桁外れである。 結果、食の革命勃発である。 それは、餃子の皮の高度化とか、拉麺が生まれたという話ではない。以下の4つからなり、今迄の食文化を一変させた画期的なもの。 (1) 「小麦粉モノ[主食]+加熱調理品[お数]」形式 (穀類中心料理と非穀類中心料理の合体) (2) 「焼成」パンではなく、「熱水処理」の麺 (硬質小麦栽培不能対応:軟質向き製法開発) (3) ワンボウル/ワンプレート型料理 (主食と副食の一体化可能) (4) 「碗と箸」の食事スタイル (手食や匙のみ食の習慣を放逐) しかしながら、単位収量では、稲栽培はどう見ても小麦栽培をしのぐし、米は粉食が美味しいから面倒な粉化プロセスも不要とくる。誰が考えても、経済原則上では米優位。淮河以北は気候的に稲作不適地だから、小麦栽培しかないというのが実情。 「南稲北麦」は変えようがないのである。 従って、育種技術で作物の能力と変えない限りは、稲作地域に小麦麺食が浸透するのはいかにも難しそう。 にもかかわらず、小麦栽培が難しい地域にも麺料理が普及したというのも驚異的である。明を例外として、中華帝国は北が覇権を握っているせいもあろうが、都市のファストフード外食にピッタリはまったという点が大きかろう。 しかして生まれた概念が、「南粒北粉」。 稲作地域の人々も、粉モノの美味しさを一目おくようになった訳。もちろん、逆も。 だからこそ、米の栽培限界北上が追求された訳で、北方地域でも「ご飯」が主食の筆頭との位置づけがなされるに至ったということ。 それにしても、「主食+お数」のワンボウル料理スタイルは南方では衝撃的だったに違いない。もちろん美味しかったせいもあるが、それ以上に画期的な概念であることがすぐにわかったせいでもあろう。 もともと、米粒食のスタイルには、副食概念が欠けている。香り立つ生の菜っ葉だけとか、ほんの僅かな調味料のみの、貧相な食が当たり前の世界。だからこそお米の美味しさが味わえると強がりを言っていたに相違ない。 ところが、登場してきたワンボウル料理は、「主食+お数」だというのに、調理がえらく簡単なのだ。にもかかわらず美味しいとくれば、ソリャとびつく。 南方でも、ヌードル料理をとなって当然だが、小麦栽培可能な余地は限られているから、余る米を使って、同じことを始めるにきまっている。 そして、「南粉北面(麺)」となった訳である。 部首(偏)が示すように、ここでの粉は「米モノ」でという意味であり、麺は「麦モノ」。米粉(ビーフン等) v.s. 麪條(小麦粉モノ)ということ。 「粉+麺」による、「コナもの」一世風靡の図ができあがった訳である。 と言っても、南の稲作圏での「米の粒食文化」がゆらいだ訳ではない。 北方麺食スタイルの登場で、今迄の食が「ご飯+お数」形式を原則とするように変わったにすぎまい。 ただ、ワンボウル食の方はしっかり"ママ"のスタイルで普及。そのために、「ご飯」文化と同居することになるから、新しい食文化が生まれることになる。それが「小吃」だったり、「飲茶」あるいは「点心」という形となった訳である。お気軽な食として定着した訳である。 そのお気軽さが、外食文化を育てたのは間違いあるまい。 但し、ここで間違えていけないのは、ヌードル技術が北から渡来した訳ではない点。麺食文化は流入したが、ヌードル状食品製作技術を導入する必要はなかったのである。米の粉化技術と粉モノ加工技術は古代から保有し続けていたからである。 それは、屑米活用ということではなく、宗教的なもの。 「粢[しのぎ]」である。古代から連綿と続いてきた祭祀用の粉モノ。 → 「中国の米モチ話で考えたこと」 [2012.9.2] すでに記載したように、小麦の「麺」とは、「餅」の派生品でもある。「餻」の一部である、"片"や"皮"モノに過ぎない。 一方、米は粒を重要視。澱粉加熱処理した粒を搗いてモチを作るのが普通だ。 しかし、この粘るモチを、"片"や"皮"に加工するのは実に厄介である。ところが、粉にして水で練った「粢」なら、乾燥させたり、それを加熱処理すれば容易に"片"や"皮"ができる。液状だから、細い"糸"さえ作れる。 北方の麺食文化のインパクトで、「粢」加工食の日常化が始まっておかしくない訳だ。 従って、当初の成形法を考えれば、米の「粉」は、小麦の「麺」は全く違うモノと見られていた筈。米粉とは、こんな具合。・・・ ・粢を乾燥させ、熱処理後、切り出す。 小麦は生地を引き延ばし(撚 or 抻)切り出す。 ・乾燥品志向。短時間で調理可能。 小麦は生志向。 ・大量生産品化路線。押し出し製法主流に。 小麦は厨師/自製作成好み。 「麺」は原則的に半固形物の生地が調理の出発点だが、「粉」はドロドロの半液状物なのである。 「南干北生」ということ。 軽くて保存性抜群の米粉の登場によって、より洗練されたファストフード誕生と見ることもできよう。百越の時代から、華僑の進出まで、南は動くことにかけては百戦錬磨。そんな土地柄らしき動き。 言うまでもなく、小麦粉も同じ製法を使える訳である。極細麺の流れを見ればそれがよくわかる。 (A) (1) 生地の塊を千切った状態 (2) 手延べの細棒状状態 (3) 平たい薄生地にして包丁切断 (3') 生地塊を薄く切断(紐状にはならない) (4) 手延べ技巧で細紐状態 (4') 油分添加で極細化 (4'') 棒を用いた伸ばしで超細化 (B) 軟らかい生地を押し出した長い紐状 (C) ドロドロ半液状を熱水中に押し出し 米粉のベース技術とは、(C)である。すぐに熱が通るように、超極細化を追求した訳で、小さな穴が多数空いたダイスを用いた筈。 小麦麺の技術はもちろん(A)。押し出しではない。しかし、(B)的な押し出し技術は、も西域から伝わっていた筈。・・・先端に穴を空けた角に生地を詰め、押し出して粉モノを作るだけのこと。結構、尊ばれたのではないか。ただ、主には、菓子とか供犠品作りに使われたろう。 こうして眺めて見ると、すでに述べたラーメンと拉麺が似て非なるものである理由もわかってこよう。 具の多い沖縄ソバを除き、日本の小麦粉メンは明らかに上記の麺食文化とは一線を画すのである。 ラーメン(日式拉麺)・・・明治維新後の中華街発祥。 うどん/饂飩(烏龍麺)・・・唐朝伝来品。 沖縄ソバ(沖縄麺條)・・・本土の支那ソバ類縁の木灰ソバ。 インスタントラーメン(即食麺) カップ麺(杯麺) 冷麦と素麺が、サイズ規格でのみ異なるウドンでしかないのも、そういう点から至極妥当である。日本のヌードルの大半は、具を食べるものではなく、ほとんどお飾り。ご飯に漬物あるいは調味料の風習がそのまま持ち込まれているのである。素麺も油使用のヒネものか否かという差はあっても、具がついてきて、そのバラエティを愉しむようなものではない。「お数」を重視するのは、温麺タイプや、ホウトウやヒッツミといった、片タイプであり、ヌードル型ではない。 ということで、極細ヌードルのビーフンを眺めてみたい。それは、「続き」で。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |