表紙
目次

2014.11.11

猪文化を考える [3:豚肉禁忌]

魚食禁忌については以前ちょっと調べたことがあるが、猪/豚肉食については関心が薄かった。
   「肉食タブーの世界史」を読んで[2008.6.5]
今回は、猪/豚ということで、そこら辺りの肉禁忌について考えてみたい。

誰でも知っているように、聖書の記載からいえば豚肉は禁忌。しかし、キリスト教は早くから規制を廃止したため、今でも遵守しているのはイスラム教、ユダヤ教と、一部の教派だけのようだ。現に、エジプトの養豚業者はコプト・キリスト教徒のようだし。
歴史的には、シュメールでは豚飼育は盛んだったようだし、古代エジプトや古代ギリシャでは肉もさることながら、土壌を耕す飼育動物として使われていたのは間違いなさそう。おそらく、牧豚犬も活躍していたことだろう。そして、肉は食用にされた訳である。為政者が好んだか否かはよくわからぬが。
と言うのは、聖書より古い時代のエジプト第3王朝が、突然豚肉禁忌にしたことがあるから。しかし、豚飼い集団が存在していたというのだから、現実には高貴な層が豚を不浄とみなしていたにすぎないのだろう。もちろん、禁忌がずっと続いていた訳でもない。しかも、禁忌の一方で、どうも犠牲としての豚の役割は変わっていなかったようだし。そこまでわかっていても、王が豚に対する見方を変えた理由は解明が難しいらしい。北方のデルタと違って、ナイル上流の乾燥地域ではブタ飼育は嫌われたとか、土を掘るので、灌漑施設維持に邪魔だったとはいえそうだが。
帝政ローマになると、ご存知豚の丸焼きが御馳走となる。多分、ゲルマン民族住居域の森での養豚が運ばれて来たのだろう。豚肉を禁忌にする考え方など露ほどもない。
その後、欧州全域に養豚が広がっていったようである。ただ中国とは違って、ヒト糞便サイクルにはのらなかったようだから、ドングリと麦精白で大量に出るを飼料にする方法が好まれたのだと思われる。

さて、豚禁忌だが、その発祥の説明としては、不浄感とされることが多そう。
泥やヒトの排泄物の上で転げ回る上に、食すことも厭わないからとされている。しかし、実際の生態からいうと、清潔好きな動物らしい。糞場は離れた場所に設定する習慣だというし、泥浴びとは皮膚を護る行為だという。ただ、柔軟な雑食性なため、なんでも食す。人糞も食べるから、大いに嫌われることになるのだろう。もっとも、中国では、だからこそ経済的ということで、豚飼育に熱が入ったのだから、宗教観からくる不浄感と考えてよさそう。

もっとも、衛生上問題が無いとも言えない。
ヒトと特性が同じなので、病原生物の役割を担ってしまう可能性があるからだ。と言っても、それはアフリカの話で、中国の歴史を見る限り、それが原因でヒトがえらい目にあったとの認識は全くなさそう。

聖書の記載についても、よく読めば、その意味するところも見えてくる。
なんといっても、注目すべきは、原則論から始まっている点。・・・
「神はまた言われた、"わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える。"そのようになった。」(創世記1:29-30)


普通に解釈すれば、これは草食を原則とせよということで、肉食忌避の指示そのもの。釈尊やジャイナ教の教えと同じである。イデオロギー色濃厚といえよう。
これに応えたのが「乳利用」だったのかも。もともと、ヒトには乳糖代謝能力が備わっていなかったようだから、自然な流れとは思えない訳で。

そのような見方をすると、豚禁忌もイデオロギーからくるものといえそう。神にしかわからぬ論理ということでもあろう。
ただ、聖書の説明は分類学的な風合いも感じさせるものとなっている。人々にわかり易いように説明したということだろう。・・・
「主はまたモーセとアロンに言われた、
"イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。
獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。
ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、次のものは食べてはならない。すなわち、らくだ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
岩たぬき、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
野うさぎ、これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、あなたがたには汚れたものである。
豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。
あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである。・・・"」(レビ記11:1-8)

まず駱駝だが、分類学では、奇蹄類ではなく偶蹄類。雑食ではなく草食だから、いかにも反芻動物然としている。従って、論理的には可食でもよかったと思ってしまうが、それはイデオロギーとは合わないのである。(もっとも、分類上偶蹄類だが、蹄とは言い難いということかも知れぬ。)
印象的なのは、「家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭」(ヨブ記1:3)を所有する信仰篤きヨブの登場。おそらく改宗したのであろう。しかし、異教徒達は駱駝肉を食べ続けている筈。そうなれば、食で峻別する必要がありそう。
もともと、エジプトに駱駝を持ち込んだのはプサンメティコスI世(最後の栄光と呼ばれる第26王朝)とされるが、モーゼとはエジプトからの脱出者であり、エジプトの異教文化を潰すことなしには、キリスト者になりようがない訳で。

岩狸(ハイラックス)や兎の記述も、論旨からいえば記載する要無しではないか。蹄無し動物なのは自明だからだ。わざわざ、これらも禁忌であることを示しておく必要があったことになる。つまり、これらを食す異教徒をキリスト教信仰コミュニティから排除すべしとの指示と見るのが自然だろう。(犬や猫のような肉食獣は蹄でなく、肉球である。)

こう考えれば、豚肉禁忌指示も同様に考えるしかなかろう。
猪は森の動物であり、それを家畜化した豚は定住民の家畜。草原を移動する遊牧民の宗教感からすれば、それは一番先鋭的に対立する異教徒が食する肉となる。イデオロギー的に豚肉食を許容するのは極めて難しかろう。

実際、豚に対する嫌悪感は強ったようである。群れをなして入水する豚の話が語られているからだ。おそらく、実際にどこかであった話なのだと思うが、異教徒の地ではそのようなことが発生するという指摘と見ることができよう。・・・
「・・・おびただしい豚の群れが飼ってあった。
悪霊どもはイエスに願って言った、"もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい。"
そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。
飼う者たちは逃げて町に行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいを知らせた。」(マタイによる福音書8:30-33)

「さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
霊はイエスに願って言った、"わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください。"
イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
豚を飼う者たちが逃げ出して、町や村にふれまわったので、人々は何事が起ったのかと見にきた。
そして、イエスのところにきて、悪霊につかれた人が着物を着て、正気になってすわっており、それがレギオンを宿していた者であるのを見て、恐れた。
また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。」(マルコによる福音書5:11-16)


ちなみに、日本の場合も猪肉禁忌は仏教伝来によるもので、多分にイデオロギー的。しかし、名目的なタブーだったと見る人が多いようだ。
実際、江戸幕府の支配階層は定期的行事として狩猟を行っていたし、農民や町民も猪を食べていた。縄文期など、鹿と猪は双璧と言ってよいほど、基本的な食糧だった可能性が高い訳で、文化的紐帯を重視する風土のなかで、そう簡単に豚肉禁忌が徹底されるとは思えない。

と言うか、ヒトが神から動物を管理するように命じられたという感覚は相いれなかったということでもあろう。西洋的生殖管理型飼育こそがタブーだったようで、特に、去勢技術は忌み嫌われたようだ。
アジアの原初的文化が、極東の島国に最後まで残ったと言えそう。そこでは、肉食とは、スピリッツを頂戴することにほかならない。霊を傷つてしまう行為こそが禁忌だった訳である。神から与えられた食物と称することはあっても、キリスト教のイデオロギーとは全く異なる。ヒトも動物も神も同一地平の存在だからだ。

 文化論の目次へ>>>    表紙へ>>>
(C) 2014 RandDManagement.com