表紙 目次 | 2014.11.24 照葉樹林文化否定=茶文化「茶文化」と言えば、誰でもが頭に浮かぶのが、陸羽の「茶経」[760-780]。江南の地で記したとされる。当然ながら、茶樹はそこに自生していない。 "茶者,南方之嘉木也。" 従って、南方での茶葉の利用法は違っていておかしくない。もともとは食材だったと見るべきだろう。なにせ、陸羽は茶をスープ材料にするなと言っている位なのだから。そんなものはドブ水と指弾しており、えらく手厳しい。ただ、この頃、食材にする風習は残っていたことがよくわかる。 "或用葱、薑、棗、橘皮、茱萸、薄荷之等, 煮之百沸,或揚令滑,或煮去沫。 斯溝渠間棄水耳,而習俗不已。" と言って、喉の渇きをいやす飲料でもないとする。そして、憂いを晴らすための飲み物でもないとも。 "至若救渇,飲之以漿; 蠲憂忿,飲之以酒; 蕩昏寐,飲之以茶。" 要するに、エリートと自覚する人が飲むべきものとした訳である。 "茶之爲用,味至寒,爲飲, 最宜精行儉コ之人。" 「茶経」以外は、日本では余り取り上げられないようだが、西洋では必ずといってよいほど引用されるのが、盧仝[n.a.-835]の「走筆謝孟諫議寄新茶」。七碗目が詩的なので、この気分で茶を頂こうということなのだろう。 "一碗喉吻潤 兩碗破孤悶 三碗搜枯腸 唯有文字五千卷 四碗發輕汗 平生不平事 盡向毛孔散 五碗肌骨清 六碗通仙靈 七碗吃不得也" あるいは、宦官による惨殺を予見していたかのように映るので、詩情を誘うのかも知れぬ。 この辺りの感覚を理解して上梓されたと思われる本が、岡倉覚三の「茶の本」[@N.Y. 1906] "茶道は道教の仮りの姿であった。" "客に茶を供するの礼は 老子の高弟関尹に始まり、 函谷関で「老哲人」に まず一碗の金色の仙薬をささげた"[村岡博訳] つまり、儒教的儀礼そのものの場を設定する一方で、道教的霊薬として、心を静寂の世界に導くことが、茶の本質と見抜いた訳である。 "現代の人道の天空は、 富と権力を得んと争う 莫大な努力によって 全く粉砕せられている。 世は利己、俗悪の闇やみに迷っている。 知識は心にやましいことをして得られ、 仁は実利のために行なわれている。" "まあ、茶でも一口すすろうではないか。 明るい午後の日は竹林にはえ、 泉水はうれしげな音をたて、 松籟はわが茶釜に聞こえている。 はかないことを夢に見て、 美しい取りとめのないことを あれやこれやと考えようではないか。" 長々と引用してきたが、陸羽の時代に、「茶」の概念が変わり、「霊薬」とされたということ。今では、単なる飲料でしかなさそうに見えるが、チベット、蒙古、満州はその時代の感覚を僅かだが残している可能性があろう。そして、それを進化させたのが、ほかならぬ日本である。 しかし、こうした「茶文化」を「照葉樹林文化」発祥と考える訳にはいくまい。 言うまでもないが、植物そのものは誰が見ても椿系であり、照葉樹林の代表的樹木であるが、文化としては遠く離れていると見るべきだろう。と言うより、その否定では。 日本は、藪椿は超古代の赤漆塗櫛に使われている位で、照葉樹林地域リッチだった筈だが、茶樹初栽培は中国の茶文化伝来からのようである。禅宗伝播によって定着したというのが常識的な見方だろう。 日本では、茶は、「照葉樹林文化」とは無縁ということ。 と言うか、「茶経」伝来で、茶葉を食材で使わない主義というか、反「照葉樹林文化」が確立したということでは。 換言すれば、茶葉豊富な照葉樹林帯では、食用葉として用いる風習が続いていることになる。陸羽はスープ食を指摘したが、一緒に使うものを見ると江南辺りの産品だから、照葉樹林帯の食は違っている可能性が高い。 それはどういうものであったか。・・・ 現代にまで伝承されているものとしては、やはり漬物に絞られよう。洋風用語なら、ピクルスサラダの基本食材。 実際、ミャンマーでは「Lahpet[ラペ]」と呼ばれ定番中の定番なのである。 "Of all the fruit, the mango's the best; of all the meat, the pork's the best; and of all the leaves, lahpet's the best." ついでに勝手に付け加えれば、 "of all the alcoholic beverages, palm wine the best" つまり、漬物茶無しには生活が成り立たないという社会。これこそが「照葉樹林文化」の中核食と言ってよかろう。 普通は、ビルマ漆塗の、円形6ポーション容器に盛られて供せられるそうだ。中央に漬物茶。周りには、フライドガーリック、樹豆とピーナッツ、煎胡麻、干蝦、等々。 日本の茶樹は丘陵地域に植えられる中国系の低木で長寿命だが、ゴールデントライアングル辺りの茶樹は山林内の混合植林に適するアッサム系の高木で短寿命で、葉の質がかなり違いそうだとはいえ、日本でこの手の食文化が存在している話は耳にしない。 日本は、そういう点では、「照葉樹林文化」圏外と見るのが妥当では。 但し、そうした見方がお嫌いな方は、あくまでも飲料にこだわるかも。 ミャンマーには、漬物たる湿茶だけでなく、乾茶もあるからだ。日本で言えば碁石茶にあたる所謂後醗酵系の「黒茶」である。 → 「廃れた特産茶の復興」[2004.1.29] 確かに、ここだけ見れば文化が伝来していると言えよう。 【ご注意:普洱茶について】 プーアル茶は雲南特産物とされるが、周辺の東南アジア各国でも同様な製法の茶が生産されているとされる。現地で飲まれているのは、加熱処理した緑茶を熟成させた"生"茶らしい。完全な熱処理ではなく、微量の酵素を残存させる方法なのだろう。言うまでもなく、ビンテージ品ほど喜ばれるそうだ。 一般には、プーアル茶とは完全醗酵茶と見なされているが実態は違う訳だ。加熱処理後多湿状態に置き、麹黴で醗酵させる"熟"茶は輸出仕様だという。輸送や保存に耐えるよう、新しく開発した「地名ブランド商品」にすぎまい。照葉樹林文化から生まれた茶とは言い難い。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2014 RandDManagement.com |