表紙 目次 | 2015.1.17 聖書の食禁忌戒律について(続)聖書における肉食タブー話の原初はわかり易い。乾燥した丘陵地帯で麦栽培を始めた農耕民としてのアイデンティティらしいことは、読めばわかるからだ。つまり、牛と羊を家畜とする国の人々は、山羊から始まった草食動物の家畜化の風習を大切にし、その主に従えというにすぎない。[→] それが、よくわからなくなるのは、その先に、豚を始めとする細かな禁忌規定が別途登場するからである。 しかし、おそらく、複雑な規定ではなく、陸上の生き物なら、神が創った生き物で、神が与えた草を食む以外は食べては駄目というだけでは。 ただ、牛羊以外の肉食を当然視してきた異国の人々とも共存することになるから、牛羊以外の食材をどう扱うかはっきりさせる必要があるというにすぎまい。 要するに、このようなものの見方で禁忌が生まれているだけ。分類論である。神が創った生き物で、神の指示を遵守していると見なせるるものと、該当しないものを例示している訳だ。この場合、重要なのは、網羅性。次に、エジプトを始めとする異国の食文化の流れ込みによる、「清き」ものの定義の曖昧化を防止すること。 従って、分類上、はっきりしないグレーの生き物は「清き」生き物とされることはない。神は、明確な分類観でそれぞれの種を生み出したのだから、分類上怪しさがあるものは「穢れ」ていると見なされることになる。 本質的には単純である。 細かく見ておこう。 レビ記11:46-47 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、 地に這うすべてのものに関するおきてであって、 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、 食べられない生き物とを区別するものである。 レビ記11:2-8 「イスラエルの人々に言いなさい、 『地にあるすべての獣のうち、 あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。 獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、 反芻するものは、これを食べることができる。 ただし、反芻するもの、またはひずめの分かれたもののうち、 次のものは食べてはならない。 すなわち、らくだ、 これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、 あなたがたには汚れたものである。 岩たぬき、 これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、 あなたがたには汚れたものである。 野うさぎ、 これは、反芻するけれども、ひずめが分かれていないから、 あなたがたには汚れたものである。 豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、 反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。 あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。 またその死体に触れてはならない。 これらは、あなたがたには汚れたものである。 レビ記11:26-27 すべて、ひずめの分かれた獣で、 その切れ目の切れていないもの、また、反芻することをしないものは、 あなたがたに汚れたものである。すべて、これに触れる者は汚れる。 すべて四つの足で歩く獣のうち、 その足の裏のふくらみで歩くものは皆あなたがたに汚れたものである。 すべてその死体に触れる者は夕まで汚れる レビ記11:41-44 すべて地にはう這うものは忌むべきものである。これを食べてはならない。 すべて腹ばい行くもの、四つ足で歩くもの、あるいは多くの足をもつもの、 すなわち、すべて地にはう這うものは、あなたがたはこれを食べてはならない。 それらは忌むべきものだからである。 あなたがたはすべて這うものによって、 あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。 また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。 わたしはあなたがたの神、主であるから、 あなたがたはおのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。 わたしは聖なる者である。 地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。 レビ記11:29-30 地にはう這うもののうち、次のものはあなたがたに汚れたものである。 すなわち、もぐらねずみ、とびねずみ、 とげ尾とかげの類、やもり、大とかげ、とかげ、すなとかげ、カメレオン。 レビ記11:20-23 ただし、羽があって四つの足で歩くすべての這うもののうち、その足のうえに、 跳ね足があり、それで地の上をはねるものは食べることができる。 すなわち、そのうち次のものは食べることができる。 移住いなごの類、遍歴いなごの類、大いなごの類、小いなごの類である。 しかし、羽があって四つの足で歩く、そのほかのすべての這うものは、 あなたがたに忌むべきものである。 レビ記11:9-12 水の中にいるすべてのもののうち、 あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。 すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、 ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。 すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、 すなわち、すべて海、また川にいて、 ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。 これらはあなたがたに忌むべきものであるから、 あなたがたはその肉を食べてはならない。 またその死体は忌むべきものとしなければならない。 すべて水の中にいて、ひれも、うろこもないものは、 あなたがたに忌むべきものである。 レビ記11:13-19 鳥のうち、次のものは、あなたがたに忌むべきものとして、食べてはならない。 それらは忌むべきものである。 すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、とび、はやぶさの類、 もろもろのからすの類、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、 ふくろう、う、みみずく、むらさきばん、ペリカン、はげたか、 こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり。 このことは、下に示す分類観といえよう。 現在の動物分類とは違うが、「動く」生き物分類としては、違和感はないし、そこに特段の恣意性があるようにも思えない。 但し、神以外が産みだした生き物が存在するのか、ヒトを2分類しているのかという点に関しては、よくわからない。 ともあれ、その分類に、神が与えた草だけを食べる殊勝な生活を送っている生き物を抜き出すための分岐を付随させたのだと思われる。当然ながら、そのような生き物だけが「清い」のである。 その観点から、"真の草食動物"が最初に定義され、それと同等と見なせる生き物が指定されたということだろう。例えば、蝗と鳩は確実に草食であるし、牛・羊・山羊の家畜群れとほぼ同一地域棲であるから、これは準「清い」ということになる。 そして、血が流れない「魚」も、準「清い」範疇に入れてかまわないということになる。しかし、確実にそうと言いきれないので、鱗と鰭で泳ぐ体型になっていないものは、甲殻類や昆虫といった「這う」タイプのものや、それを食す生き物が多いし、擬似的な流血現象を示すものもあるから、一括して非「清き」生き物としているのだと思われる。 鳥になると、昆虫食も少なくないため、「清き」種の同定は簡単ではない。疑わしきは、すべて外しているのだと思われる。 それは自然な考え方だと思う。 「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。」との命に従うためにどうしても必要ならともかく、「清き」生き物かよくわからないものを、わざわざ食すナというだけの話に聞こえるからだ。飢餓に直面すれば別だが、その場合でも、分類的に曖昧な生き物は避けるべしというのが言外の意味といえよう。神は、「種類にしたがって」創ったのだから、どっちつかずの生き物は該当していない可能性がある訳だ。 こうして全体を眺めると、豚の禁忌に一番拘るのは当然だと思われる。雑食であるということは、非草食動物であり、そのような食材は「清き」ものと程遠いからだ。 ──(イスラエルの神が創っていない生き物?) ┼┌(エジプト住民の如く、異なる信仰に陥っている) ┌┤←? │└イスラエルの民 ┤┼ │┌陸上移動類 ││┼├歩いて移動型(4足獣) ││┼│┼├蹄で歩く ││┼│┼│┼├蹄が分かれる ││┼│┼│┼│┼├反芻する・・・"真の草食動物" ││┼│┼│┼│┼└反芻しない(豚) ││┼│┼│┼└蹄が分かれない(らくだ) ││┼│┼│ ││┼│┼└足の裏のふくらみで歩く ││┼│┼┼┼├爪足(牙獣:肉食) ││┼│┼┼┼ = ││┼│┼┼┼└(兎) ││┼│ ││┼└這って移動 ││┼┼┼├土穴潜り(鼠、モグラ、等) ││┼┼┼├腹這い(爬虫類、等) ││┼┼┼├有羽飛翔 ││┼┼┼│┼├跳躍可能(蝗・・・"例外的草食動物") ││┼┼┼│┼└他の昆虫 ││┼┼┼ = ││┼┼┼└足無し(蛇) └┤ ┼├水中移動類 ┼│┼├有鱗で鰭で移動型・・・"普通の「流血なき」魚"[草食扱い] ┼│┼├(海獣) ┼│┼ = ┼│┼└怪しい型 [無鱗 and/or 無鰭] ┼│ ┼└空中移動類 ┼┼┼├非草食[鉤爪・鋭い嘴の肉食](猛禽類) ┼┼┼├草食性不確定[昆虫/蚯蚓/爬虫類食の可能性] ┼┼┼├草[種]食(鳩)・・・"草食鳥" ┼┼┼ = ┼┼┼└偽りの鳥型[飛ばない](駝鳥) 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |