表紙 目次 | 2015.4.8 カエル食概念について先ずは前置き。・・・ガマとカエルの言葉を見ていて、素人なりに色々とわかってきた。→ 「日本人のカエル観」 [2015.4.5] ガマガエルの中国語は「蟾蜍」。しかし、この言葉は一般的に使われていない。有名な文章がそれを物語る。 癩蛤蟆想吃天鵝肉。 [意味]ガマが白鳥の肉を食べたいと夢想する。(分不相応な女性願望は身の程知らず。) 現代中国でのガマの通称名は「癩蛤蟆」ということ。 それがよくわかるお話がある。 「双語小故事」[2015年02月28日12:41@新浪教育]に英文対訳話が掲載されているので漢文を引用させて頂こう。(一部簡体字を変更)御覧の通り、通称名の「癩蛤蟆」。大陸ではガマはガマガエルでななく、あくまでもガマであることもわかる。 「癩蛤蟆[ガマ]和青蛙[カエル]」 一只癩蛤蟆在路邊看到一只青蛙。 那是只又胖又老的青蛙。 他坐在那里呻吟嘆息着。 癩蛤蟆説: "青蛙先生、不要呻吟嘆息了。 像我一樣跳吧。沿着這条路跳。" 所以青蛙和癩蛤蟆 一起沿着小路跳到 一棵大橡樹[楢の木]下。 "我到家了、" 癩蛤蟆説、 "進来吧,我来泡茶。" 但青蛙用低沈的声音説: "我不能在離家遠的地方閑逛、 我要回我在池塘邊上的家。" ところで、蔑視形容語的な"癩"を外した「蛤蟆」だが、その発音は「há ma」。和語のガマ(蝦蟇)の元字臭さ紛々。(蟆/蟇とは夕暮れに登場する蟲。) しかし、和語はガマとカエルを別種とせず、両者は歌垣動物類としたかったため、ガマガエルにしてしまったのだろう。しかし、それは中国の概念「ガマ」と違っていることを表面化してしまうので、これは拙いと思った人は少なくなかったろう。そのため別途ヒキガエルという名称を使うことにしたのでは。 この辺りをこれ以上想定するのは難しい。それよりは、大陸ではどうしても峻別したかったようだから、その理由を考えた方がよさそう。 小生は、"癩"に鍵があると思う。つまり、これは可食では無いということを示しているのでは。 その観点で見てみよう。 中国における食用蛙は摒東土青蛙 or 虎紋蛙/Chinese bullfrog。菜単用なら、「田雞」名称の方がよさげ。鶏となんら変わらないから。(e.g. 宮爆鶏丁→宮爆田鶏)お蔭で、野生はほとんど採り尽くされた模様。その代替蛙は沼蛙だが、人気はかなり落ちるようだ。 尚、東南アジアでは極く普通の食材。(イスラム教徒は禁忌。炒田鶏、田鶏粥、山芋との煮込等は常菜化している。)海蛙 or 食蟹蛙は、中国でも食されているようだ。現在も、広東から海南島、台湾に分布。汽水域に棲む両生類として知られている。 なんでも食すことがモットーな人達だらけの土地柄だから、大きめな蛙を放っておくことはないということか。 棘胸蛙(石蛤,石雞,山雞,石凍,飛魚,石鱗,石蛙,石蛤蟆,石蝦蟆,石坑蛙,等)も実はそれなりの人気蛙なのかも。肉味鮮美との評価がなされているのだから。それに、生長速度快而且个大,是主要的食用蛙類之一だそうだし。この蛙の習性は、南方的山溪水坑内或石洞岩隙中に生活し昼伏夜出。 中国林蛙も有名である。「紅肚田雞」として滿漢全席登場の"四大山珍"として。もっとも、現在は"三有動物"(国家重点保護野生薬材物種+国家保護的有益的或者有重要経済+科学研究价値的陸生野生動物)なので飼養品以外は供されないとされる。一度賞味したことがあるが、小生は、わざわざ食すものとも思えなかったので、一種の縁起担ぎではないかと感じた。長白山信仰からの人気ではないか。名称はもっぱら雪蛤 or 東北林蛙だから。一味很有滋補作用的藥材だが、わざわざ脂肪部位(膏)だけを使ってデザート(紅棗燉雪蛤)化する訳である。・・・毎年九月到十一月、是捕殺雪蛤的最佳季節。雄性雪蛤,一般供市場鮮食用、雌性雪蛤則用来風邪干,然后剥油(輸卵管和卵巣、脂状物)。 要するに、それなりの大きさの蛙なら、食用になるということ。ただ、皮膚を剥がす際は、粘液が混ざらないように水中で行う必要がありそうだし、皮膚呼吸しているから筋肉を取り去るのはかなる面倒な作業になりそう。そこまでするか、ということになるので、どうしても、楽に肉が採れる種が好まれることになろう。 それは、欧州のFrog eaterとも共通する姿勢。蛙[Grenouille]はもっぱら欧州殿様蛙だからだ。単なるFrogと見なされるタイプ。つまり、大きくなったカエルを食べようというだけの話。(今では、食材難から、冷凍輸入の牛蛙が多いらしいが。) 要するに、Frogも蛙も、食せるということで、可食でないのが、跳ねる筋肉を欠いていそうなToadと蟆ということだろう。いくらなんでもガマは食べれまい。 もちろん、倭にも、蛙食は存在していた。 諏訪大社では正月一日に御手洗川で蛙狩神事。矢で射抜かれ、初贄として諏訪大神に供される。海から湖と川の環境に移住してきた人々にとって、貴重な蛋白源だったことがわかる。 それに、良く知られているように、日本書紀[応神19年冬10月 幸吉野宮]には国栖の人のカエル食が登場する。 國樔者・・・淳朴也、 毎取山菓食、 亦煮蝦蟆 爲上味 名曰"毛瀰"。 ここで面白いのは文字上ではガマになっている点。どう考えても、文字として蝦蟇を当てただけ。川蝦を好む人々にとって、蝦のような日暮れに出てくるガマという言葉はこの食材感にピッタリ適合したのだろう。 しかし、中国概念では、蟆は食べるべきものではない。そうなると、ガマは蛙でもある。そうなればガマ蛙と呼ぶしかなかろう。そうなると、「蛙」は、淡水に帰って歌垣を挙行する愛すべき動物「カエル」という概念として使われることになる。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |