表紙 目次 | 2015.6.19 神道視点での道教考(呪術信仰が基盤)官僚システムそっくりのヒエラルキーが形成されている「為政者の道教」と、ご利益志向全開の「民衆の道教」の間には深い溝があるものの、互いに切ろうとしても切れぬ紐帯があるとの話をした。 [→官僚的仕組み]そのポイントは儀式。民衆も、その場に専門家を呼びたくなるからである。 例えば、民衆の儀式で、道士に元始天尊に関係する経典を読んでもらうことが有りえそうとの意味。この手のイベントが欠落したところで、だれもこまる訳ではないが、あった方がよかろうというだけ。信仰者からみると、いかにもいい加減な姿勢に映るかも知れぬが、この根底には強固な宗教観があることを見逃すべきではない。 何故、専門家を呼ぶかと言えば、思惟的な最高神たる天帝と交信する能力がある人々であると見なしているから。自分達は直接関係しないので、関心が無いとはいえ、世界を統一的に動かしている神の力はあなどれぬと考えていることの証左でもある。 こんな説明ではわかりずらいか。 単純に言えば、「為政者の宗教」を担う専門家は、類い稀なる呪術的能力ありと見ているということ。 神からご利益を得たいのなら、できればこの方々にも助力を得たいと考える訳だ。 今回は、その辺りを整理しておこう。 まず、呪術専門家だが、巫[♀] or 覡[♂]のこと。天地鬼神與人交通的媒介者である。 3分類。(西洋型は除外しての話。) 【感応分析タイプ】 道士、方士、陰陽師 【憑依タイプ】 乩童(ヒト憑依激動的)、扶乩(用具憑依静謐的) 【他】 蠱士(虫/獣を使う呪術) 道教の寺院「道観」(〇〇廟という名称も多い。)とその近辺の街並みには、必ずこうした専門家が大勢存在する。 道教が宗派として明瞭な組織に映らないのは、上記の専門家が組織化されていないからでもあろう。 専門家の分類はさることながら、呪術で何を実現するのかを、見ておかねばならぬだろう。 その場合、対象になっている「術」をリストアップすると全体像が見えてくるのではなかろうか。・・・ <禁術> 鬼調伏、辟邪、魔物封じ、お祓い、等を呪文で行う。 その効果を持ち帰るために、呪符(靈符:お札やお守り)が発行されるのが普通。 文字を使用していなかった頃の日本では口呪だけで、呪符の類はなかったかも知れぬ。 密教の護摩の元祖かも。 <劾鬼術> 鬼、邪、妖怪の類を寄せ付けないための措置。必須な道具は鏡と剣。 古事記からすれば、スサノヲ大神の時代の神器は剣、アマテラス大神の時代になり鏡が追加されたことになる。ただ、スクナビト命のカガミ船が出雲に渡来したことで、国の基礎が固まったとされているから、渡来鏡は相当昔から入っていたと思われる。 <替代術> 人形[ヒトカタ]に災厄病難等の肩代わりをさせる。 古代から、神社では、息を吹きかけた紙製あるいは金属板製のヒトカタが用いられてきたが、紙や金属が入手できなかった時代は土製だったのではなかろうか。そう、土偶である。 <祈雨術> 中国の場合は龍王に祈ることなる。道教以前からの土着信仰でもあろうし、儒教や仏教でも同様なことが行われる。実際、日本では嵯峨天皇の命(824年)で空海が神泉苑において北天竺の善女龍王を御勧請し請雨経法を修したとされる。(「性霊集」には考え方を述べた喜雨歌が収載されている。) 道教の場合、龍王が神のヒエラルキーに組み込まれている。従って、道教が国教的立場にあるなら、道士の御祈祷が自然な感じがする。 こうした状況を見ると、道教は、神道より、密教との方が親和性が高いと言えそう。仏教ではあるが、密教は来世や輪廻の概念を膨らませることには不熱心で、諸仏や天部等のヒト型像を用いたマンダラ的ヒエラルキー作りには精力を注いでいる点など、瓜二ッ。秘法たる護摩は、呪術以外のなにものでもないし、現世の視点での祈祷がほとんど。ただ、火を用いる点が道教と大きく異なるが。 中国の為政者が好むのは当然ながら道教であるから、中国では密教は力が発揮できなかったが、逆に、科挙も取り入れない、中央集権官僚システム型忌避型の日本では、密教が力を持ったということなのだろう。 <招魂術> 魂魄分離状態を元に戻すことで、罹病者を回復させることができると信じられていたのであろう。その能力があれば、死者の魂も呼びよせることができる訳である。 白楽天の長恨歌では、道教の方士がその任にあたっている。 : 悠悠生死別經年、魂魄不曾來入夢。 臨邛道士鴻都客、能以精誠致魂魄。 為感君王輾轉思、遂ヘ方士殷勤覓。 : <風水術> 道教は山岳崇拝でもあり、そこから流れ出る気が周囲すべてに影響するとの信仰。風水的な評価は計画を立てる上で極めて重要な指針となる。 <卜筮術> 卜(焼いた亀甲/獣骨の兆象から判断)と筮(道具を用いて数学的計算から判断)があり、神意を伺う専門家のインスピレーションに頼るか、おみくじ的なセルフで我慢するかはヒトそれぞれ。道教というよりは、古代中華文化から連綿と続いている風習。従って、中華文化の代表たるべく活動している道教の寺院「道観」には、占機能は不可欠。 <相術> 手相や人(顔)相。 <命> 占星運命。 <漢方> 本草、鍼灸、養生と、道教の自然の態で生きるという哲学とは切り離すことはできまい。自然もヒトも気の流れありという見方が根底にあるからだ。要するに、宇宙とヒトは相似形という発想であり、天のメッセージを聞くのと同様に、人体内で発せられるメッセージを聞くことになる。もちろん、専門家しかできない訳である。 ここでの根本命題は、あくまでも不老不死の仙人になること。・・・なんと言っても、ここが独特。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |