表紙 目次 | 2015.6.18 神道視点での道教考(官僚的仕組み)道教の一大特徴は、神々が官僚機構で統治されている点。多少繰り返しになるが、極めて重要なので、そこらを整理しておこう。 [→八百の神々]この場合、3領域を峻別しているのが、中華帝国信仰の特徴と言えそう。 まず、「天」。 最高神に従う"天の神々"からのメッセージ(天文)のやり取りが重視される。多神教に見えるが、極めて中央集権的であり、神の子、精霊、聖母、聖人が神の下で活動するという一神教の絵姿とそれほどの違いはないと見ることもできよう。 ただ、その「天」での神々の仕組みが、地上での帝国統治システムとほぼ同じである点が、中華信仰らしさを醸し出していると言えよう。従って、天と中華帝国の間に齟齬が生まれると世の中が乱れるという考え方に成らざるを得ない。 日本の場合、古事記の記述では、最高神は誰なのかはっきりしない。統治者とされていても、どのような役割を担っているのかは曖昧模糊としたまま。アマテラス大神にしても、上位の神の指示に従ったり、八百万神の総意を受けて意思決定する訳だし。中華帝国とは統治の考え方に相当な開きがありそう。 次が「地」。 土着型の地上に関係する神々。古事記で言えば、国ッ神に当たる。ただ、天ッ神に覇権を譲るといっても、最高神による中央集権体制ではないから両者は並列的存在。 中華帝国では、出身地毎の土着神も全体の仕組みのなかに組み込まれることになる。見方によっては、個々の氏族の祖先神の地域拡大版ともいえよう。ある意味で、これは"祖神"でもあろう。地域毎の課題解決を担うことになる。より身近な問題に対処する神々と言えよう。 3つ目が「冥界」あるいは「鬼界」。 死後の世界のように見えるが、それはあくまでも現世とのかかわりでの話。よりよき死後の世界のために生きる思想はなさそうだし、輪廻といった死後世界感覚は皆無と言ってよかろう。 しかし、この世界とのおつきあいは重要である。 そこに存在する管理担当に捧げモノをし、できる限り死者がその地で虐げられないようにとりはかってもらい、もしも可能性があるなら命の復活を願ったりもし、さらにはその地から仙人にまで登りつめることができるようにご指導をお願いすることになる。 そして、そこに棲む"鬼"が現実世界に凶をもたらすことがあるから、それを阻止する祈祷を管理者に対して行うことになる。 これを踏まえると、為政者の道教の神々の編制は、ほぼ、こんな具合か。 【三清】思惟上の最高神グループ | 【四御】領域別補佐グループ | 【三官大帝】管轄官僚トップ → [最高神グループ] <天仙管掌> | 星・方位関係諸神の組織 | 【天医司諸靈官】末端官僚 <地仙管掌> | 地域管轄諸神の組織 | 【九司】+【三省】中堅官僚 | 地域[出身地]別諸神の組織 <鬼仙管掌> | 【冥司神靈】 | 鬼諸神 為政者としては、これしかなかろう的な、まさに官僚統治の中央集権的編成。 しかし、道教は、民衆の宗教でもある。 両者の間には深い溝があるとはいえ、根本的には同一の信仰基盤から生まれている訳で、互いに離れないように始終調整が行われていると言ってよいだろう。 つまり、民衆の道教では、上記のような構造にはなっていないが、精神的紐帯だけは存在するということになる。官僚制度はソコ存在するものとして黙認する訳で、実利をもたらすものだけに焦点を当て、役に立たたないものは無視するだけのこと。 道教信仰者として、「道」の哲学は容認するから、思惟上の最高神を大切にはするものの、実質的に世界に係るレベルでのトップこそが民衆にとっての最高神である。従って、信仰対象は三清ではなく、玉皇の筈。抽象的な神は、民衆にとっては眼中にないと言っても過言ではなかろう。 従って、こうなる。 【玉皇】実生活に係る最高神・・・世界を動かす。 | 【太上老君】"道"宗祖・・・中華的繁栄を約束。 | 【三官大帝】分野別管掌官僚神 後は、並列的に担当の神が並ぶことになる。来世ではなく、現世でのご利益中心の信仰。捧げものをすることで、便宜を図ってもらうよう、ヒト型神像でにお祈りをするというのが基本。従って、一般宗教家は、道教布教とか、経典に基づいた説教を行うことはない。もっぱら、各個人のご利益をかなえるための、呪術的補佐役。これこそが、道教が根付いている理由だと思うが、それは別稿で。 <中央官僚神> 【文部】文昌帝君 【財務】玄壇趙元帥 【農務】神農大帝 【商務】関聖帝君 【厚生】註生娘娘 【福祉】観音佛祖 【文化】釈迦牟尼 : <自治官僚神> 【都会】城隍爺 └【裁判官、警察官】 【地域】土地公 : <地縁担当官僚神> 【福建】媽祖 : <特任官僚神> 【崑崙山】西王母 <星官僚神> 【北斗七星】北斗真君 【金星】太城金星 【凶】太歳 <冥界官僚神> 【魔界】閻魔大王 【泰山】東岳大帝 【救助】救苦天尊 : <軍事官僚神> 【司令官】王爺 └中壇元帥 文化大革命を経た大陸では、おそらく、道教信仰は民俗風習化していると思われる。香港、台湾、SP、海外華僑コミュニティにのみ、信仰が息づいているのが現実では。 ただ、為政者道教と民衆道教の違いを眺めていると、この先、道教は習俗とされて隆盛を誇る可能性は高そう。 民衆の道教哲学とは単に自然の「道」こそが宇宙の原理というにすぎない。これに、実利的な祈祷がのっかているだけ。為政者の最高神である、No.1の元始天尊やNo.2の靈宝天尊を直接的に信仰する立場にないと考えているから、生活に直接かかわるとされる玉皇大帝を最高位扱いしているにすぎない。 しかし、こと儀式になると、そうはいかなくなる。民俗的信仰なので、もちろん、宗教家なしに済ますことも可能なのだが、金銭的余裕があるなら儀式次第を任してもよい訳である。誰に頼もうとかまわない訳だが、常識的には、道教の思惟的最高神に仕える仕事をしている宗教家を選ぶことになろう。どうみたところで、一番の専門家なのだから。つまり、為政者の道教と、民衆の道教はここにおいて連続性が生まれることになる。 切れることは考えにくい。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |