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■■■"思いつき的"十二支論攷 2015.8.5■■■

十二支の「牛」トーテム発祥元を探る

生肖の「牛」の発祥元と言えば、天竺以外に考えられまい。しかし、これで完了というのは、余りに雑なので少々考えてみたい。熊楠が「丑」の話だけはカットしたこともあるし。

世界中、余りに牛の話だらけ。文献の山だから、下手に書き始めると辞書になってしまうというのが、熊楠が執筆しなかった表向きの理由。これに納得する方も多いようだが、博学だからこそそれを上手にまとめあげることができる筈。いい訳臭い。
そうだとすると、その理由は1つしか考えられぬ。
土着の牛信仰が、国家統一目的の牛信仰へと、強引に「力」で変えられたことを知っていたということ。当時の日本の状況を考えると、この話を書き始めると口が滑りかねず、筆禍に直面する可能性大。流石にそこ迄はということでは。

その辺りがわかるように、書いてみたい。

インドの民衆なら、ラーマーヤナのお話を知らない人はいまい。と言うか、それが信仰の原点でもあるからだ。そんな人々の数は、およそ10億。そもそも日本の人口の10倍を超える地域とはいえ、余りの差に愕然とさせられる。日本では、小生のように、古事記の内容をどうやら知っている程度の人が多いし、なかには全く知らぬ人も珍しくない。しかも知っていると称する人でもテキスト内容丸暗記だけ。「記紀」の違いにも全く無関心。
だが、そんな姿勢だからといって、多くの場合、無神論という訳ではなく、呪術的信仰大好き人間だったりする。しかし、宗派的にはナンデモOK。にもかかわらず、家族のお墓や葬儀には宗派的拘りがあったりする。当人的には違和感はないのだろうが、信仰心篤き人にはとうてい理解し難き文化。
この差は国家統治の仕組みや、社会制度上からくると言うよりは、深く考えるか否かの風土の差が大きそう。
髑髏や血塗られた武器を持つ、日本的視点だとオドロオドロシイ姿そのものの女神に、母性を感じるか否かの違いともいえよう。優しい姿こそが母親の本質と見たがる人達と、なにがあろうと我子を護ろうと身を徹して戦う母親こそが本質と見るかの違いを理解しておく必要があろう。当然ながら、偶像に芸術性が必要かという点でも正反対の性向を示すことになる。

前置きはこの位にして、そのラーマーヤナを取り上げておこう。
小生にとっては、全くの不案内な領域。

だが、生肖の観点で眺めるならえらく単純なお話である。・・・
端緒は、馬祀祭。紆余曲折の後、王は、森に入り鳥王と親交を結ぶ。そして、王に協力するのが猿軍団。
なんと、これだけだと牛が抜けてしまう。
そこで、別途登場するのが、超能力の牝牛「Kāmadhenu」。別格なのである。(その子はシヴァ神が乗る大白牡瘤牛ナンディンとされたりする。乳海から生まれたという話も生まれる。)

ここで牛の話を終わってしまう訳にもいくまい。「マハーバーラタ」を引いておこう。
こちらこそ、インド信仰の本質を知るための鍵。
偉大なバラタ族の物語という意味の題名だが、世界的に"高名な"超長篇叙事詩とされている模様。日本では、叙事詩と言えばイーリアスやオデュッセイアで、こちらは名前さえ初耳だったりするが。
それはどうでもよい話だが、ここに馬に乗る雷神インドラが天空神ではな軍神として登場する。当然、内容は軍記モノになる、と言えば察しがつくだろう。
要するに、アーリア人の苦難に満ちたインド侵攻物語なのだ。おそらくスキタイ系の民族がアフガンからカイバル峠を越えインド亜大陸に入って来たのだろう。歴史の教科書に書いてあるアーリア人のインド侵入の原典ということ。(しかし、考古学的には、インダス文明の遺跡に戦乱の跡はみつからないらしい。都市に障壁さえなかったようで、アーリア系の文化とはえらく違っていたようだ。)お話としては、先ずは蛇を殺し、パンジャブ解放から始まるようだ。さらにガンジス流域と想定される悪魔の国に入り、なんと「牛」を囲いから放つのである。

従って、インドの征服者達が生肖像を選ぶとしたら、第一位は間違いなく馬。そして、第二位が牛だろう。ノスタルジー的には羊があがる筈だが。
非征服民のドラビタ系民族にとってはもとから「牛」命一色だったと考えるのが自然。

つまり、牛トーテムの発祥はドラビダ族ということになる。ただ、現在飼われている瘤牛はアーリア人が連れてきた可能性がある。もともとの牛は異なる種類だった可能性もあろう。(牛の種類参照)

これで完了というのもつまらぬので、もう少し。

このインドに於ける牛信仰だが、多少、腑に落ちぬ点もある。従って、ここには触れておこねばなるまい。
 1. 牛糞・牛尿は穢れを払う清らかなもの。
 2. 水牛は穢れた動物とされているらしい。
 3. 古代は牛を生贄にしていたとされる。

牛のインド的価値という点では、肉役用途が無いのだから、食品(生乳、乳脂肪[ギー]、醗酵乳)、燃料(牛糞)、穢れ祓い(牛尿)があげられる。
夏の日中の暑さを考えると、日蔭を作る木々の伐採は禁忌に近かろうから、繊維分が多い牛糞燃料使用は合理的。気温の高い場所での汲み置き水と比較すれば、無菌の尿は清らかなのも間違いない。神道的な清潔感とは違うと思いがちだが、それほどの違いはない。感染症リスク回避の観点では、それぞれの環境に応じたベストの処方。ガンジス川の泥色の水で清めるのも合理的。汚れた汗を流す代替策など無いのだから。よく似た風習と見るべきだと思う。実際、死体と血液に穢れ感を持つ点で共通性がある訳で。

経済原則的には、印度亜大陸辺りでは、瘤牛よリ水牛の方が価値が高い筈だが、それに逆らうのがインド信仰の特徴。つまり、他所の牛信仰とはいささか違うのだ。(水辺に住む布依族は白水牛神、彝族も水牛神話。チベットではヤク。・・・どこでも経済価値が重視されている。)
水牛は、従順では無いし、始終水に浸かりたがるからヒトの邪魔ということで嫌われたということだろうか。

続いて、生贄問題の解釈だが、これはかなり難しい。
思うに、生贄は牡牛なのだろう。牝は別扱いというだけかも。
象にしてもヒトと親和性があるのは牝だけで、牡は危険極まりない訳で。

と言うことで、後は付けたし。

牛と言えば、インドと考えるが、家畜化はシュメールだった可能性もある。ギルガメッシュ叙事詩によれば、父祖たるウルク初代王(Lugalbanda)は羊飼いだが、その妃は野生牛の女神(Ninsun)だからだ。野生の子牛を捕獲して杭につないでおけば、母牛が寄ってくるに違いなく、飼うのはそう難しくなかったろう。(乳絞りさえできれば、現代の牧畜業と本質的になんら変わる点はなかろう。)
ただ、この牛文化が入ってきたと言えるかはなんとも。
もちろん、チグリス・ユーフラテス川下流と西部インドは古くから交流があったに違いない。しかし、その主要ルートは乾燥ベルト。牛は草を食べる量[50Kg/頭・日]が格段に多いし、歩が鈍い。乾燥地帯の長距離移動は困難だし、雨量僅少地域ではとても飼えない。インドに伝わったとしたら、海上ルートか、ペルシア北部高原からアフガン経由でペシャワールからカシミールといったルートになろう。アーリア人進出以前にすでに文化交流路が拓けていたということかも。

インドの話だけで、肝心の中華帝国の視点が欠けていたので、最後にそこを。

夏殷周は牛は生贄の基本だったとされている。羊より格段に上級ということ。いかにも羊族と言えそうな、古代「姜」人にしても、生贄は羊でなく牛なのだ。「食」としての魅力度なら羊になりそうなものだが、生贄選定の要件はそういうことではないということ。おそらく、牡牛の力強さが捧げものとしてピッタリだったのだろう。

ついでながら、日本にはもともと牛はいなかった。従って、牛信仰も牛と共に渡来したことになろう。だが、どういう経過があるのかよくわからないものばかり。
古事記には、唐突に牛話が挿入されている。
新羅国の天之日矛が、牛を引いている男に谷間で遭遇、殺牛を咎めたところ、沼岸で女が産んだという太陽神的精霊の赤玉をもらい受けたという。その赤玉少女と結婚するも、喧嘩になり、お別れ。その行先は難波。天之日矛はそれを追って来訪するが、結局、但馬国に落ち着き、そこで新たに結婚して生活することになる。注釈なしには、さっぱりわからぬ話である。

牛車や農耕用役牛が普及してから、渡来信仰が復活してきたた可能性も感じさせる。その代表例が、天神(雷神)信仰の牛。どう見ても、天竺の破壊的な雷神が乗っている牛のアナロジー。道教的な仙人の乗り物としての牛ではなかろう。
牛頭天王も発祥不明な神だヒンドゥー教の像の解説を読んでいると、インドラに似ている感じがする。すでに、天竺は聖牛の国であることは知られていたから、死病たる天然痘から護ってくれるのは、その牛であると考えたのかも。牛疱を患っても、死ぬことは無いことに気付けば合理的な判断。
これと、広隆寺の牛祭り(摩多羅神祭典)も関係があるのだろうか。

─・─・─牛の種類─・─・─
●絶滅した原牛オーロックス
●P系牛@ユーラシア
 瘤牛 or Zebu@印度〜熱帯
  欧州牛 or Taurine cattle@メソポタミア〜近東
 ヤク@チベット,甘粛,カシミール
●N系牛@インド
 バンテン@ジャワ島/ボルネオ島/バリ島,インドシナ半島
  印度野牛[ガウル]@インド〜雲南〜インドシナ半島(除東岸)
  Gayal or Mithun@インド〜雲南〜ミャンマー
〇[瘤牛+バンテン]
 コープレイ@カンボジア北部〜ラオス南部/ベトナム西部/タイ東部
●M系牛@エジプト〜北アフリカ

水牛@アジア
△ヌー@アフリカ南部
△バイソン/バッファロー@北米,露南西〜ポーランド

(参照文献記載箇所) 「十二支薀蓄本を読んで」[→]

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