表紙 目次 | ■■■"思いつき的"十二支論攷 2015.9.15■■■ 十二支生肖アイデアの源泉十二支生肖を追っていると、中華帝国の発展の原動力が見える気がする。広義の中華文化圏とは、この生肖が通用する範囲であり、飲み込まれる可能性があるということ。仮想の「竜」を除けば、各動物は、どう考えても代表的民族のトーテム。それを一同に会して、暦を共有するのである。暦とは、天の声に他ならず、地上で天の声を伝えるのは天子は唯一無二の天子に他ならない。 そして、天子は中華帝国の首領を兼ねる訳である。聖徳太子の書が怒りを呼んだのは、その大原則をないがしろにする不届き者だったから。 熊楠先生は、この十二支生肖[鼠,牛,虎...]こそ、中華帝国発明の優れものと看破したが、大陸文化を考えていると、この指摘の半分は大正解で、半分は大誤解と思えてくる。 暦(時間と方位)のテクニカルタームとして動物をあて、それを統一しようとの試み。中華帝国が用いる用語をグローバル標準として受け入れヨということ。 生肖を受け入れる民族とは、自分達が自覚しているか否かは別として、中華文化による統一を心地よきものと見なしているのは間違いない。従って、無頓着でいると、文化的に飲み込まれる可能性がある訳だ。 そうして、「大漢民族」が繁栄してきた訳である。常に、周辺を蛮族と見なし、帝国文化受け入れを強要し、残滓は残るものの、最終的に漢民族化させることで、帝国の地理的・文化的範囲をただひたすら拡大させてきた訳である。 蛮族支配とその漢化は目立つので誰でも気付くが、誤解が多いのはそのせいで、帝国の文化的優位性は明らかと思ってしまう点。 一つ目は、中華帝国と言っても、その支配民族は、成立当初から非漢民族。夏王朝は東夷のようだし、殷は北戎である。蜀など南蛮だった訳だし、元や清のように世界に冠たる領土を擁した王朝はモンゴル族やツングース族であって漢族ではないが、部族連合体でいられないから、結局のところ自ら漢族化するしかない訳で、民族消滅=「大漢民族」化に邁進しただけということ。 十二支生肖とは、部族トーテムの象徴を集め、部族臭を消したものに他ならず、それは「大漢民族」化のシンボルということ。中華思想普及促進という観点では、これほど素晴らしいアイデアはなかろう。 しかし、小生は、このアイデアが中華帝国から生まれたと居るのは大いなる誤解と見る。 中華帝国からは、様々な文化が生まれているように見えるが、小生はその発祥元は外部の蛮夷戎狄と見る。独裁者と官僚制度の両輪で回る国家が、イノベーティブなことを生み出すとは思えないからだ。タネは常に外部の筈。 過去や外部の事象を眺めつくし、メリットがあるとなれば徹底的に使い回すのが習わし。政策の基本は、天子が好みに合わせた強引なモノ真似路線である。普通は、真似するといっても、異なる文化の仕様であるからとてつもない摩擦が生じる。そうそう簡単には進まないものだが、独裁者の意思に逆らえば殲滅される環境であれば、なんだろうとそれなりに普及することになる。もちろん、その結果はなんとも。(カリスマ毛沢東の人民公社による農村のコミューン化路線は典型例。) そう考えると、十二支生肖もモノ真似である可能性が高い。つまり、トーテム勢ぞろいの部族統合王国が存在していたことになる。 はたして、そんな国があるのか探してみたところ、どうも傈僳[リス]族が該当していそう。ほとんどのトーテムが存在するようなのだ。 観光的には有名な少数民族であり、現在の居住地域は広域だが、バラけている。・・・中国の雲南省〜四川省、タイ王国北部[チェンライ県,チェンマイ県,メーホンソン県,ターク県]、ミャンマー北部[カチン州,シャン州]〜インド辺境部。要するに、サルウィン川の上流の高地一支流たる怒江の岸辺りに集まっている民族。殷の時代にその存在が知られる羌族末裔らしい。その名前は、傈が「高貴な」で、僳が「一族」ということのようだから、誇り高さでは有名なのだろう。(後述するが、帝国の基本概念を生み出した民族かも。そんな自負がありそう。) 渓谷地帯であるから、一帯に住んでいるといっても、小規模村落がバラバラと分布しており、互いの交流は簡単ではない。しかし、24限定の姓制度があり、これが紐帯となっているようだ。当然、各集落で数種類の姓があり、外部集落と姓を通じて連携することになる。 と言えばおわかりだと思うが、「姓」とは、動植物の名前を意味しているのである。(語彙上でも主要動物は峻別されている。・・・牛:al-ni,馬:al-mot,羊:al-chir,豚:al-vair,鶏:al-eal,犬:al-nat.)古事記でいえば、ヒトは青草といった感覚であり、祖先が動植物と考える信仰。まごうかたなきトーテム。 トーテム統合ではなく、併存によって、民族統合を実現している訳だ。トーテムの異なる婚姻関係に複雑なルールがあり、それがこの社会を規定しているのだろう。 (ご注意:姓制度の出典不明。ただ、個人旅行ブログ記載や半公的な観光案内の断片的情報から状況を判断する限り、多数トーテム併存社会であることは間違いなさそう。) それにしても、この制度に目をつけたのは流石。全トーテムを暦で管理するのが、中華帝国の天子ということ。もちろん、それに鼻薬を付け加えることを忘れていない。トーテムを融合した幻想トーテムを造り、これを民族統合体としての帝国の象徴としたのである。 ─・─・─雲貴高原辺りの少数民族について─・─・─ → 「東アジア文化圏の分類」[2013年11月11日] ●広西雲南貴州周辺到達民族・・・苗[ミャオ] & Hmong(蒙),瑶[ヤオ] 人口数百万人レベルであり国家化してもおかしくなかった。 仡佬[コーラオ]も入れたが文字が「老」であり、土着かも。 ●超古代土着民の源流 雲貴高原土着民はどこへ行ったのかはわからない。いなかった筈は無い訳で。「老」が示唆しているとすれば、上記の他に、タイ系の仫佬[ムーラオ]がソレかも。東南アジア側を含めると以下があげられる。所謂、モン-クメール系が該当する。 ○土着源流的ベトナム民族・・・京[キン] ○土着源流的カンボジア系民族・・・佤[ワ],布朗[プラン],コ昂[ドゥアン] ○半島分散民族[ミャンマー、タイ、ラオス]・・・Mon(Hmong/蒙とは別。) ●中国のタイ系民族・・・ 壮[チワン],布依[プイ],傣[タイ],侗[トン],水[スイ],毛南[マオナン],仫佬[ムーラオ] 傣族が少数民族のなかでは跳びぬけて存在感がある。雲貴高原西南部〜ラオス〜シャム(タイ)が民族的に繋がっているからだろう。 ○在ラオス主流民族・・・Lao[ラーオ](ラオス人) ●中国のチベット・ビルマ系民族・・・ 藏[チベット],门巴[メンパ],珞巴[ロッパ], 羌[チャン],普米[プミ],独龙[トゥルン],怒[ヌー],彝[イ], 傈僳[リス], 僳[ナシ],哈尼[ハニ],拉祜[ラフ],阿昌[アチャン], 白[ペー],基诺[チノー],,土家[トゥチャ]景颇[チンポー] 傈僳[リス]族は語族的に彝[イ]族系統とされる。いずれも北方渡来族なのだと思われる。この語系の少数民族を統合すれば人口数百万になると思われるが、いまだかつて国家が樹立されたことはなさそうである。 要するに、雲貴高原にはチベット系、ビルマ系(東部インドの影響あり)、クメール系が並列しており、そこに北の中華帝国からの移入と、南の傣[タイ]族〜ラオス〜シャム(タイ王国)枢軸が存在するから、まさに文化交流十字路なのである。 文化論の目次へ>>> 表紙へ>>> (C) 2015 RandDManagement.com |