■■■ 健康の考え方 2013.9.9 ■■■

認知症予防の極意[続]

頭も使わなければ退化するということで、素人が考えたトレーニングの基本方針を書いてみた。
  → 認知症予防の極意 (2013.9.1)

そのポイントは眼が脳に直結しており、その4つの機能を考えて、情報処理能力の退化を招かないように工夫すべしというもの。繰り返しになるが、以下のような分野に分けて考えることが重要。トレーニング設計に当たっては、それぞれの領域でどう作用しそうか考える必要があるということ。
推奨されているトレーニングの真似は、人によっては、プラス効果が期待できないどころか、マイナスの影響がでかねないと言いたかっただけ。
  (1) 運動感覚 [無意識歩行のような動作]
     頭に描いた3Dの概念地図を見ている。
  (2) 意志視点 [目の前のモノの存在の気付き]
     蓄積された概念に合ったモノを探索している。
  (3) 行動設定 [目的に応じて自発的に作業を進める場合]
     「やりたいコト」のイメージありき。
  (4) 環境認識 [周りの状況を把握]
     What(形と色)とWhereに時間的推移動き)の認識
認知症とは、これらの機能の劣化が目立つ訳である。
そうそう、忘れてならないのは、眼の機能としているが、網膜が働かなくとも、上記の機能は身につけることができること。ヘレンケラーの映画を見た方なら実感できると思うが。眼でない感覚器官を動員すれば、モノは見えるのであり、見ているのは眼ではなく、実は「脳」であることがよくわかる。これらの機能を高めるようにすれば、「脳」のトレーニングになるということ。

その場合、注意が必要。
4つの機能は独立はしているが、相互に関係しており、現実には「統合的」に働いている点。1つのモジュール機能劣化をいくらおさえても、統合力が弱いと認識力低下は抑止できないかも。例えば、難しい漢字を覚えることで、記憶能力を高めている感じがするかも知れぬが、それは新しいイメージ「概念」を増やす方に進むどころか、減らす方向に進むと考える方が自然だろう。気付き能力の減退を招くことになりかねまい。好きでもないのに、予防に必要ということで訓練していれば、自発的に頭を使わない体質になり、新しいイメージを作り出す能力が格段に落ちるし、すでに感性していたイメージも使わないなら捨てたりしかねまい。
その辺りをよくお考えになった方がよいのでは、ということ。

しつこく繰り返しているのは、この「統合的」現象に注意を払って頂きたいから。

これを踏まえ、今回のテーマに入ろう。

実は、両眼の他に、目はもう2つある。普段はその存在に気付かない古い目である。盲目の方でも問題なく使える器官なのである。

1つは、仏教で言うところの、悟りをひらく際に登場する眼である。そんなことを書くと「カルト」信者と間違われるか。だが、「悟り」という意味が「科学」ではよくわからないだけで、ほぼ指摘された場所に眼が存在することが確認されている。視床下部にある一対の神経核(SpraChiasmatic Nucleus) のこと。俗に言う、生物時計。
科学者からすれば、時計だが、一般人のセンスで言えば、体験イメージの再来予測の道具だし、体内の各器官のタイミング合わせ役になる。後者はわかりにくいかも知れぬが、独自の時間感覚で稼動している人体内のそれぞれの器官にバラバラに動かれるとこまるので、標準時刻を示している訳。
このSCNだが、自発的にリズムを刻むだけでなく、体内器官からの情報に合わせて、時刻合わせをすることもできる柔軟性ももっている点がミソ。ところが、これが働かなくなることもあるようだ。
と言えば、おわかりだと思うが、真夜中の徘徊行動、食餌時間の不規則性、といった認知症患者はこの辺りの機能が欠落している訳だ。知覚を統合するタイミングメカニズム喪失ということ。
換言すれば、夜昼の区別がつかないほど脳がお疲れ状態ともいえよう。

ということで、もう一つの眼も付け足しで。
こちらはよく知られている、アーモンドの種のような松果体である。脳味噌の奥に鎮座しているから目とはとうてい思えないが、3つ目の脊椎動物だと頭の天辺にあったりして、光を感じる本格的な眼である。それがもともとの姿で、ヒトはそれが退化したということか。もっとも、機能を失っているのかはなんとも。よく知られるように、メラトニンを放出するのだから。(尚、両眼にも、網膜以外に別途明るさ感覚器があるらしい。これは、イカ、タコ系の目が残っているということかナ。)

こんな話をすると、老齢化、痴呆化が、この辺りに隠れていそうという気がしてこないか。

老人になるとどういう訳が、生活のリズムが変わってくる。自発的に生活時間をコントロールできるのが、ヒトのヒトたる由縁だと思うが、それができなくなってくるのである。眠い時に眠り、食べたい時に食べるというのは、一見正しいように思うが、それは上記のSCNという器官の時刻に合わせただけのものかも。それと、本来、各器官が必要としている眠りや食の摂取要求が合っているかはなんとも。その齟齬が溜まれば、疲労してしまう。そのうち、タイミング合わせをしなくなり、中枢と末端とのシンクロがとれなくなると認知症となるのでは。

そうなると、このタイミング合わせの鍛錬こそが、認知症防止に繋がることになろう。
ただ、鍛錬といっても、生活時間を自分の都合で動かすのだから、体には相当な負担となる。しかし、よく考えれば、自発的に、普通の生活のリズムを作りだしていれば、それが一番の鍛錬になるのでは。
逆に、なんとなく起き、なんとなく寝て、なんとなく食べるという、見かけ上は「お勧め生活パターン」に従っているだけだと、調整機能は不要になりかねず、そのうちシンクロも不要へと進むのではなかろうか。自発的にリズム感をつくるというのが、とりわけ重要なのでは。
一日中ゴロゴロ寝てTVを眺めているだけとか、早起きしても所在なさげにボーとしていたりするのは、いかにも拙い。
要は、意志で「中央の時計」を調整し、生活のリズムを作り出し、全身をシンクロさせるような姿勢がとれているかだろう。

そんなことが何故言えるかって?

ソリャ、類推である。
生活のリズムとは、おそらく30億年前のバクテリアが生み出した習慣。それぞれの細胞が持つ基本的な時間感覚だと思われる。それが、脊索動物になると、原初脳そのものでもある昼夜判断感覚器としての目を持つようになる。そして、中央時計台役も果たすのだ。
この機能の重要性は自明では。
古代バクテリアにとって、太陽光線のエネルギーは欲しい。しかし、DNA螺旋を解いて1本鎖にすれば紫外線で傷つけられどうなるかわかったものではない。従って、昼と夜の行動を分けたのは自然な流れだろう。化石にそんな証拠がある筈もないが。
そして、脊椎動物だが、その体質をそのまま受け継いで高度化させたのは歴然としている。昼行性動物の場合は、夜は食餌時間ではなく、睡眠時間に充当しただけのこと。夜明けには確実に起床したいだろうから、時刻判断にこの機能は不可欠。だが、バクテリア同様、夜の機能も重要である。ヒトの場合、寝ている間に脳に蓄えられた情報が再整理しているに違いないからだ。齟齬ある情報を改定したり、概念の拡大再構築や、情報エラー部分の修復が行われる訳だ。この夜の作業のお陰で、起床後から刷新されたアーカイブが使えるようになるのだ。
従って、浅い睡眠だったり、日常生活のリズムがコントロールできない状態が続けば、この脳のメインテナンス作業の手抜きが始まる。それでも一向にかまわぬとの姿勢をとり続ければ、認知症は一気に進むことになろう。

良き睡眠は、認知症防止には不可欠と見てよかろう。
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