→表紙
→目次

「我的漢語」

倭の意味 2014年1月20日
 


「倭」は"ヤマト"と読むことになっているが、古代の上流階級が勝手に読み替えただけだろう。
中国が「倭国」としたが、日本ではヤマトだからというにすぎまい。そのヤマトだが、「大和」と書くのも、どうも後付臭紛々。でも、なかなかの出来だと思うが。
素人の自然な感覚から判断すれば、山門あるいは、山戸が発祥で、奈良県の中央盆地を指す固有名というより、「峠」同様の一般名だった可能性が強かろう。

その「倭」という名称だが、大和朝廷の人々は快く思わなかったようである。中華皇帝が命名すること自体が気にくわなかったのか、文字の意味が面白くなかったのかは定かではないが、ある時期から、独自に「日本」という国名で通し始めたとされる。・・・
  日本國者、倭國之別種也。
  以其國在日邊、故以日本為名。
  或曰、倭國自惡其名不雅、改為日本。
  或云、日本舊小國、併倭國之地。
    [旧唐書・倭國日本國伝]

嫌ったのは、「倭」の意味が、小人であるとか、従順というところからとされているようだ。
」偏「」に、音符として、 "ゆだねる"の「」をつけたのだから、そりゃそう意味になろう。
もともと、「委」は「」であり、稲系植物の穂と女性だからナヨナヨ感を表しているのは確かだし。

しかしながら、「魏」という名称の国家がある。
従順な「」の国家では矛盾を感じるが、はたしてこちらはどんなイメージなのだろうか。
訓では「」も「」も、"たかい"だから、「委」的なイメージは消されていそうだが。

これに対して、「」は"したがう"である。乱暴者の「鬼」より、優しい「人」の方が高貴ということではなかった訳だ。いかにも大陸感覚である。
ともあれ、両者の意味に、相当な違いがあった模様。

中華思想とは非漢族蔑視感情と表裏一体だから、それは当然か。
倭人は、大陸に存在した非漢民族の倭族の流れと見なされたのは、魏志倭人伝の海人的風習が似ていたからだろうが、残念ながら当の倭族の実態も、その後もほとんどわからない。
「ワwô」もどのような発音だったか不明だが、雲南の少数民族「ワ族」[va](現在人口約60万人で、うち7割が在中国.)は関係が無いのだろうかと考えたりもする。その詳細は調べていないが、紀元前に登場する布朗族らしい。ただ、雲南の経緯を想像すると、インドネシア半島土着系民族と考えてよいのでは。
  → 東アジア文化圏の分類[2013.11.11]
今も独自文化を保ってはいるように映るが、勢力優勢なタイ族や、さらにそれを管掌してきた漢民族との戦乱を避けることを第一義として生きてきた筈なので、支配的民族文化の影響は小さなものではなかろう。
しかしながら、米作文化なので新嘗祭があり、当然ながらアニミズムだから、日本文化との類似性に着目しようと考える人は少なくないようだ。特に、伝統的な住居が木製高床式の茅葺屋根で、内部に囲炉裏があり、部屋の仕切りは無い点に注目が集まりがち。もっとも、現代の住まいは瓦屋根。手間がかかる茅葺は観光用に残しただけでは。

漢字「倭」に話を戻すが、「禾+女」系は感じ悪き漢字と見られていたとは言えそう。
   "なえる"
   "なえる"
   "ひくい"
   "うえる"
   "おす"・・・もみくちゃにする
   "わずらわす"・・・執事不
    訓不明・・・曲がりくねった(道)
    訓不明・・・(手足を)挫く
    訓不明・・・用眼色引誘人
小生としては、がことのほか気に入った。この漢字を使ってみたいところだが、どんなものか。

上記は感覚的になんとなく理解できるが、以下はさっぱりわからず。
  [羊偏]  訓不明・・・羊の群れの状況か?
    訓不明
もっとも、何を指すものかわかっていたところで、それがどんな印象を与えていたのかは想像だにできぬ。
    訓不明・・・武官の冠飾り[おいかけ/老懸]

以上、漢語探索と言うよりは、素人による、漢字の物知り博士話的挑戦になってしまった。力量不足ということでご勘弁のほど。
 
(C) 2014 RandDManagement.com