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「我的漢語」
2015年5月13日

竹酔日にあたって

農暦5月13日は伝統的民俗節(移植好適期)の竹酔日。[斎民要術]
日本でも、芭蕉がその日のことを詠んでいる。
  降らずとも 竹植うる日は 蓑と笠 [笈日記]

竹酔日は現代日本ではほとんど耳にしない言葉だが、天香久山の南にあった大官大寺の系譜を引き継ぐとされる大安寺には、この日の「竹供養」が残っている。実態的には癌封じ夏祭りで、笹娘により笹酒がふるまわれる行事。いかにも現代風なアレンジ。

ウエブを眺めると、竹酔日の出典は、必ずと言ってよいほど清代の中国書「花傭月令」(徐石麒 麒撰)と記載されている。わずか300年の歴史とされていたりするが、どうしてそのような名前になったのかの説明は見かけない。
検索してみると、南宋の多作(約9200首)詩人がすでに用いており、かなり古い言葉では。
    「葺圃」 陸游[1125-1210]
  種樹書頻讀、齊民術窺。
  曾求
竹醉日、更問柳眠時。
  盧橘初非橘、蒲葵不是葵。
  因而辨名物、甘作老樊遲。

日本では、旧歴5月13日頃だと、地下茎から筍が出きっている。そちらに栄養分が行くので、親竹は黄葉化して一番元気が無い頃。そんな状態で植える訳にはいくまい。
葉の青さが清々しくなるのは、季節的には秋である。俳句の用語上では春だが。
  おのが葉に 月おぼろなり 竹の春 蕪村

従って、中国南部の竹は日本の竹とは種類が違う筈である。思うに、地下茎無しで、稲のように株立ちするタイプの蓬莱竹ではないか。
そうなると、竹林風景は日本とは随分と違ったイメージかも知れぬ。

それにしても、竹が何故に酔うのか不可思議。アンチ禮・プロ老莊の「竹林の七賢」(阮籍,康,山濤,劉伶,阮咸,向秀,王戎@三国時代)の聚衆在竹林喝酒イメージがあるから、竹も酔わせたいということだろうか。竹酔日頃に笹酒を飲んでいた可能性はあるが。
この七賢だが、何故、竹林なのかがはっきりしない。素人からすれば、仏教の「竹林精舎(最初の仏教寺院)」との習合と見なしたくなるがどうなのだろう。道教信仰者からみると、それではこまるのかも知れぬが。

その七賢感覚を引き継いでいるのが、以下の詩。
再掲しておこう。 「王維の脱世俗漢詩鑑賞」[2014年12月12日]
    「竹里館」 王維
  獨坐幽篁裡、彈琴復長嘯。
  深林人不知、明月來相照。
これに、"竹の春"の季節感を取り込んで、政治的な一言を添えると杜甫型になる。
    「倦夜」 杜甫
  凉侵臥内、野月満庭隅。
  重露成涓滴、稀星乍有無。
  暗飛蛍自照、水宿鳥相呼。
  万事干戈里、空悲清夜徂!

小生の好みは、白楽天になってしまったので、そちらに移ろう。
    「池上二絶」
  山僧対棋坐、局上陰清。
  映竹無人見、時聞下子声。

  小娃小艇、偸採白蓮廻。
  不解蔵蹤跡、浮萍一道開。
流石。特に、丹精を込めて育てた蓮の花を盗採されているのをじっと眺めている姿が目に浮かんでくるところが秀逸。庵といえども、俗世間から切り離された生活ができる訳がないのである。要するに、2首あってこその、清々しい竹の風情が生まれる。禅の感覚が満ち溢れた作品である。

竹が師となる生活でもあったということか。
    「池上下作」
  穿籬舍碧逶、十畝閑居半是池。
  食飽窗關V睡后、脚輕林下独行時。
  水能性淡爲吾友、
解心虚即我師。
  何必悠悠人世上、勞心費目覓親知?

    「池上閑吟二首」
  高臥閑行自在身、池邊六見柳條新。
  幸逢堯舜無爲日、得作羲皇向上人。
  四皓再除猶且健、三州罷守未全貧。
  莫愁客到無供給、家香濃野菜春。

  非莊非宅非蘭若、
樹池亭十畝餘。
  非道非僧非俗吏、褐裘烏帽閉門居。
  夢遊信意寧殊蝶、心樂身閑便是魚。
  雖未定知生與死、其間勝負兩何如。

同じようなお題だと、このような竹詩がある。ご参考まで。
    「池上」 張文姫@全唐詩:卷799-49
  此君臨此池、枝低水相近。
  碧色緑波中、日日流不尽。

    「池上」 楊巨源@全唐詩:卷333-38
  一叢嬋娟色、四面清冷波。
  氣潤晩煙重、光閑秋露多。
  翠入疏柳、清影拂圓荷。
  晏瑯實、心期有鳳過。

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