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「我的漢語」
2015年7月5日

蝉詩

「聞初[→]で取り上げた漢詩は「初」と「新」だったが、の声を取り上げた詩は数多くあるようだ。
は"高潔"扱いらしいから人気があったのだろう。
その一例。素人が眺めるには、長すぎるので大幅カット。

    「賦」 曹植[192-232]
唯夫蝉之清素兮,潜厥類乎太陰。在盛陽之仲夏兮,始游豫乎芳林。實澹泊而寡欲兮,独怡樂而長吟。声tt而弥兮,似貞士之介心。内含和而弗食兮,与衆物而无求。栖高枝而仰首兮,漱朝露之清流。隠柔桑之稠叶兮,快号以遁暑。・・・//・・・
乱曰:詩嘆鳴蜩,声兮,盛陽則来,太陰逝兮。皎皎貞素,r夷節兮。帝臣是戴,尚其潔兮。


これ又、序が長く、手に余るが、ご紹介だけしておこう。蝉とは潔的なだけでなく、霊的な存在でもありそう。小生など、御尊顔を拝見させていただくとついつい楽しくなってしまうクチだが。

    「在嶽詠」  駱賓王[617-n.a.]
序:余禁所禁垣西,是法廳事也,有古槐數株焉。雖生意可知,同殷仲文之古樹;而聽訟斯在,即周召伯之甘棠。毎至夕照低陰,秋疏引,發聲幽息,有切嘗聞。豈人心異於曩時,將蟲響悲於前聽。嗟乎!聲以動容,コ以象賢。故潔其身也,稟君子達人之高行;蛻其皮也,有仙都羽化之靈姿。・・・
  西陸聲唱、南冠客思侵。
  那堪玄鬢影、來對白頭吟。
  露重飛難進、風多響易沈。
  無人信高潔、誰爲表予心。


なかでも名作とされるのは、太宗の臣下の作らしい。

    「」  虞世南
  垂綏飲清露、流響出疏桐。
  居高聲自遠、非是藉秋風。


以下も定番か。と言っても、一部の句だけのようだが。
浅学のため、それがどこかは全くわからず。

    「寒賦(並序)」  陸雲
昔人称鷄有五コ,而作者賦焉。至于寒蝉,才齊其美,独未之思,而莫斯述。
  夫頭上有,則其文也。含气飲露,則其清也;黍稷不享,則其廉也。處不巣居,則其儉也;應候守常,則其信也;加以冠冕,取其容也。君子則其操,可以事君,可以立身,豈非至コ之虫哉?且攀木寒鳴,貧士所嘆,余昔僑處,切有感焉,興賦云爾。
  伊寒蝉之感運,嘉時以游征。・・・
  于是靈丘幽峻,長林参差。・・・
  爾乃振修以表首,舒軽翅以迅翰。朝華之墜露,含烟以夕。・・・
  若夫聿云暮,上天其凉。感運悲声,貧士含傷。・・・
  爾乃綴以玄冕,攝ャ首飾。・・・
  于是貧居之士,喟爾相与而倶嘆曰:寒蝉哀鳴,其声也悲。四時云暮,臨河徘徊。感北門之憂殷,嘆卒之无衣。望泰清之巍峨,思希光而无階。簡嘉踪于皇心,冠神景乎紫微。咏清風以慷慨,發哀歌以慰懷。


有名人の詩もあげておこうか。

  「和裴迪登新津寺寄王侍郎(王時牧蜀)」  杜甫
  何限倚山木、吟詩秋葉黄。
  聲集古寺、鳥影度寒塘。
  風物悲遊子、登臨憶侍郎。
  老夫貪佛日、隨意宿僧房。


珍しいと思ったのは、「一蝉鳴」。大合唱こその蝉鳴という感覚ではないのだ。一匹が切々と詠う様が印象的だったのだろう。

   「茂陵山行陪韋金部」  李端@全唐詩-巻285
  宿雨朝来歇、空山天气清。
  盤云双鶴下、隔水一蝉鳴。
  古道黄花落、平蕪赤燒生。
  茂陵燒有病、犹得伴君行。


尚、蝉鳴の季節感がはたして実感なのか、「周書」の踏襲なのかはなんとも言い難し。
   夏至又五日、蜩始鳴;不鳴、貴臣放逸。
   立秋之日、寒蜩鳴;不鳴、人臣不力爭。

なにせ、いつの時代だろうが、人民も官僚も、中華帝国の栄光的伝統を囃す必要がある訳で。文字を変えることに拘った現代の天子様も古代国家の蝉について語っている位なのだから。
   咨汝殷商、如蜩如

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