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「我的漢語」
2015年10月24日

白楽天的畳語を一瞥

枕草子第二百九十九段では、中宮が「少納言よ、香炉峰の雪 いかならん」と仰せになり、少納言が御格子上げさせて、御簾を高く上げ、笑はせ給ふシーンが描かれている。御所は白楽天の漢詩愛好者が集うサロンでもあったことがよくわかる。
 「重題 其三」
 日高睡足猶慵起、小閣重衾不怕寒。
 遺愛寺鐘欹枕聽、香爐峰雪撥簾看
  :


重題とのタイトルだから、大元の詩は別に存在する訳だ。どのような詩か知らなかったので文庫の選集を見ると、それは次のような文言で始まる。現代日本人にとっては極めて難しい完全畳語が冒頭から2ッも登場してくる。
 「香鑪峰下新置草堂即事詠懷題於石上」
 香鑪峰北面、遺愛寺西偏。
 白石何
鑿鑿、清流亦潺潺

「鑿」はとても書けそうにない文字だが、見れば、訓で読めたりする。それがどの世代まで通用するのかはわからぬが。もちろん、「のみ」である。
工業化の時代、プレハブ建築は時代の流れ。この道具の名称自体が死語になりかねない状況であり、それは致し方あるまい。
川合康三注によれば、詩経-唐風の用語とされる。だが、そう言われても、さらなる注が欲しくなるので素人は辛い。下記がその原文だが、「のみ」のイメージと水流中の白石の連想はかなりキツイ。渓流が底岩に衝突して、飛沫が揚がるのが、切り屑が材木から跳ねる状況にそっくりで、水流が棟梁の凄腕を連想させるのだろうか。ホゾ用の鑿掘機械が使われている時代だと、その感覚を共有できる人は極く僅かでは。
 揚之水、白石鑿鑿
 素衣朱、從子于沃。
 既見君子、云何不樂。


一方、「潺」はフォントが用意されているからそれなりに使われている筈だが、浅学な小生には覚えがなくコリャナンダカネ状態。ウエブ辞書によれば、阿波市にそんな地名があると言うから、特別な文字ではないのであろう。意味は"サラサラ流るる"らしい。漢語は、どの品詞かは文章中の位置で決まるから、流れる水の擬音と解釈しておけばよさそう。引用を見る限りでは、潺々より潺湲の事例の方が多そうだが、両者のイメージは相当に異なる感じがする。センスの問題だが。

このような漢語だらけだと、途方に暮れるが、なんとか感じがつかめそうな文字が使われていれば、畳語は親しみ易い。情緒表現に凝る日本語では多用されがちで、馴染み深いせいもあるからだ。
 「西樓夜」
 悄悄悄悄、城隅隱林杪。
 山郭燈火稀、峽天星漢少。
 年光東流水、生計南枝鳥。
 月沒江
沈沈、西樓殊未曉。

なんとなく、情景が浮かんでくるではないか。素人だから、的外れの見方もあり得るとはいえ。
もっとも、左遷話になると、実につまらぬ表現になってしまう。だからこそ、さらに情緒を盛り上げる訳である。
 「寄微之」・・・時微之爲州司馬
 高天默默茫茫、各有來由致損傷。
 鸚爲能言長剪翅,龜縁難死久񏟸牀。
  :


10代の習作でも使われるので、畳語はなくてはならない表現なのだろう。
 「賦得古原草送別」
 離離原上草、・・・・・萋萋滿別情。

面白味ということでは、「新樂府[並]序」(全50篇)で登場する畳語ではなかろうか。
政治的諷刺の内容であり、音楽的要素が組み込まれた歌だからだ。欠点は、何を意図しているかの一行コメントがついている点。興醒め。
 「序」
  :
 其體順而肆,可以播於樂章歌曲也。
 總而言之,為君、為臣、為民、為物、為事而作、
 不為文而作也。


音楽的効果を狙うから、当然ながら、リフレインで始まるし、畳語(完全)、畳韻(母音)、双声(子音)も大いに活用されることになる。詩経の「桃之夭夭」の如き。
  [→] 「大陸の桃信仰」[2015年7月23日]

もちろん、上記でわかるように、知識階級しか理解できない高踏的な作風とは無縁。
と言っても、畳語の文字を見て意味がわかるとは限らない。
 「紅線毯」・・・憂蠶桑之費也
  :
 織作披香殿上毯、披香殿廣十丈餘。
 紅線織成可殿鋪、綵絲
茸茸拂拂
  :

 「繚綾」・・・念女工之勞也
  :
 繚綾織成費功績、莫比尋常丈o帛。
 絲細繰多女手疼、
扎扎千聲不盈尺。

ただ、山々のような単なる複数形の畳語はつまらぬ。恣意的に、幼児語的様相を組み込んだのかも知れぬが。(人々とは言うが、虫々とか、鳥々とは言わぬのはどうしてなのだろう。田々はどうなのかも多少気になる。)
 「司天臺」・・・引古以[警]今也
  :
 昔聞西漢元成間、上陵下替謫見天。
 北辰微闇少光色、四星
煌煌如火赤。
  :

 「捕蝗」・・・刺長吏也
  :
 我聞古之良吏有善政、以政驅
蝗蝗出境。
  :

 「昆明春」・・・思王澤之廣被也
  :
 今來淨告照天,游魚
田田
  :


音的には、やはり楽器関連で見るのがよかろう。
  [→] 「琴士の詩」[2014年12月24日]
 「五絃彈」・・・惡鄭之奪雅也
 五弦彈、五弦彈、聽者傾耳心寥寥
 趙璧知君入骨愛、五弦
一一爲君調。
 第一第二弦
索索、秋風拂松疎韻落。
 第三第四弦
、夜鶴憶子籠中鳴。
 第五弦聲最掩抑、隴水凍咽流不得。
 五弦竝奏君試聽、
淒淒切切錚錚
  :
 座中有一遠方士、
喞喞咨咨聲不已。
  :
 
融融曳曳召元氣、聽之不覺心平和。
  :


「新樂府」ではないが、同様。・・・
 「琵琶行[並]序」
 序:元和十年,予左遷九江郡司馬。
  明年秋、送客
浦口、聞船中夜彈琵琶者。
  聽其音、
錚錚然有京都聲。
  …//…命曰"琵琶行"。
 潯陽江頭夜送客、楓葉荻花秋
索索
  :
 
弦弦掩抑聲聲思、似訴平生不得意。
 低眉信手
續續彈、説盡心中無限事。
 輕慢撚抹復挑、初爲霓裳後六幺。
 大弦
如急雨、小弦切切如私語。
  :
 我聞琵琶已歎息、又聞此語重
喞喞
  :
 春江花朝秋月夜、
往往取酒還獨傾。
  :
 
淒淒不似向前聲、滿座重聞皆掩泣。
 座中泣下誰最多、江州司馬青衫濕。


そうそう、諷刺ギャグにも畳語は合っていそう。茫々など、そのような使い方はしないが、完璧に日本語化している用語である。早々とか草々も入ってくると、もっと冴えたカリカチュアになったのでは。
 「草茫茫」・・・懲厚葬也
 草茫茫、土蒼蒼
 
蒼蒼茫茫在何處、驪山脚下秦皇墓。
  :

 「賣炭翁」・・・苦官市也
 賣炭翁、伐薪燒炭南山中。
 滿面塵灰煙火色、兩鬢
蒼蒼十指K。
  :
 
翩翩兩騎來是誰、黄衣使者白衫兒。
  :

 「新豐折臂翁」・・・戒邊功也
  :
 應作雲南望郷鬼、萬人冢上哭

 老人言、君聽取。
  :


「新樂府」には登場しないようだが、白楽天主義でいくなら、悠々とか飄々は欠かせまい。調べていないが、それなりに登場しているのではないか。

風景を描くという点では、以下の表現には親近感が湧く。
 「海漫漫」・・・戒求仙也
  :
 海
漫漫
 風
浩浩
 眼穿不見蓬莱島。
  :

 「上陽白髪人」・・・愍怨曠也
  :
 宿空房、秋夜長、
 夜長無寐天不明。
 
耿耿殘燈背壁影、
 
蕭蕭暗雨打窗聲。
  :

 「驪宮高」・・・美天子重惜人之財力也
 高高驪山上有宮、朱樓紫殿三四重。
 
遲遲兮春日、玉甃暖兮温泉溢。
 
嫋嫋兮秋風、山蝉鳴兮宮樹紅。
  :

 「牡丹芳」・・・美天子憂農也
 牡丹芳、牡丹芳、黄金蘂綻紅玉房。
 千片赤英霞
爛爛
 百枝絳點燈
煌煌
  :


注を見ない方が、感覚を呼覚まされるから不思議。その辺りが漢字のよさ。
いかに複雑な文字でも、今やコンピュータ能力の向上のお蔭で気楽に使えるようになった。有り難いこと。もちろん、簡体字は、現代中国の書物から情報を得る以上は無理。全文繁体字変換機能を組み込んだブラウザが欲しいところだが、毛帝の権威を冒す動きになるから決死の覚悟が必要となろう。

(参考:古詩十九首に使われている畳語)
之一「行行重行行」
之二「青青河畔草」:鬱鬱,盈盈,皎皎,娥娥,纎纎
之三「青青陵上柏」:磊磊,鬱鬱
之六:浩浩
之八「冉冉孤生竹」:悠悠
之十「迢迢牽牛星」:皎皎,纎纎,札札,盈盈,脈脈
之十一:悠悠,茫茫
之十四:蕭蕭
之十六「凜凜云暮」


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