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「我的漢語」
2015年11月6日

寒山の見方

籐の杖を小脇にした儘、「寒山拾得は生きてゐる」と、口の内に独り呟つぶやきながら 気軽く口笛を吹き鳴らして、篠懸の葉ばかりきらびやかな日比谷公園の門を出たのは、云ひやうのない疲労と倦怠とが重たく心の上にのしかかつてゐるのを感じてゐたのは芥川龍之介。

「寸刻も休みない売文生活! おれはこの儘たつた一人、悩ましいおれの創作力の空に、空しく黄昏の近づくのを待つてゐなければならないのであらうか」と考えながら、籐の杖を小脇にして、火の消えた葉巻を啣へながら、別に何処へ行かうと云ふ当てもなく、寂しい散歩を続けてゐた龍之介の眼前に、静に竹箒を動かしながら、路上に明く散り乱れた篠懸の落葉を掃いてゐる二人の男が現れた訳である。[「東洋の秋」1920年]
・・・寒山+拾得の2名の僧が、日本で人気の画題になった理由がそこはかとなくわかるお話。
もっとも、その手の苦悩など全く持ち合わせ方々だらけだと思うが、龍之介スタイルを真似したいから、この絵が流行るのだろう。鴎外はその辺りをお見通しだったかも。

冬めいてきたので、その寒山の詩。

寒山は、唐代天台山国清寺の洞窟で隠遁していた風狂僧とされる。ところが、出生や、どのような生活をしていたのかは定かではない。300程の寒山詩が伝えられるが、建物等への落書き拾得集とも。いかにもフィクション臭いが、そこが愉しい。
小生は、苦行など止め、知的楽しみに浸りながら寒山で修行するのも1つの道だヨ、とアドバイスした禅僧達の作品と見る。・・・
  寒山寒
  冰鎖石
  藏山青
  現雪白
  日出照
  一時釋
  從茲暖
  養老客


ともあれ、隠遁の粋である。
  鳥語情不堪
  其時臥草庵
  櫻桃紅爍爍

  楊柳正毿毿

  旭日銜青嶂
  晴雲洗財K
  誰知出塵俗
  馭上寒山南


素人の小生が選ぶ代表作は、畳語の世界が開ける作品。おわかりになると思うが、冒頭の3文字に擬音の畳語を付ければよいのである。尻でも頭でも。美しい詩を目指して拘泥するなという主張に近かろう。
  獨坐常
  情懷何
悠悠
  山腰雲
漫漫
  谷口風

  猿来樹
嫋嫋
  鳥入林
啾啾
  時催鬢
颯颯
  歳盡老
惆惆

  
杳杳寒山道
  
落落冷澗濱
  
啾啾常有鳥
  
寂寂更无人
  
淅淅風吹面
  
紛紛雪積身
  
朝朝不見日
  
不知春
ご参考→ 「白楽天的畳語を一瞥」

寒山詩はどう見ても、白楽天と同時代に作られている。
従って、仏教徒でもある、その楽天家が知らぬ筈はなかろう。だからこそ、晩年には行歌狂老翁と称していたともいえよう。おそらく、寒山拾得が絵になることもお見通し。
  「自詠」  白居易
 須白面微紅、醺醺半酔中。
 百年随手過、万事転頭空。
 臥疾痩居士、行歌狂老翁。
 仍聞好事者、将我画屏風。


鴎外が「寒山拾得」を書いた由縁も、似たような感覚ではないか。寒山詩を「文筆業界」が流行すから、書かずにはいられなかったようだ。なかでも、「寒山は文殊で拾得は普賢」は、説明のしようがないとの結論に至った模様。結局、「実はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ」ということで決着。[森鴎外:「寒山拾得縁起」]
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