表紙 目次 | 「我的漢語」 2015年12月6日 雞鳴暁を告げる「關雎」[詩経-國風-周南の冒頭]の私訳ならぬ、ド素人のいい加減な試訳をお目にかけた。[→]それに引き続いて、今度は齊風の冒頭の詩に挑戦。読み下し文を書いて嬉しいということではない。それぞれの國風の冒頭詩を漢字だけ眺めていたのだが、齊風版で問題にぶち当たったから。どう解釈するか、はなはだ難しい詩なのである。まあ、教科書に使われることはなさそうな代物ではある。 自分で翻訳でもしないと、なんとなく気分悪しなのだ。それだけのこと。 と言うのは、どうも、朝既盈矣の「朝」がmorningではなくcourtらしいから。確かに、前者だと、「朝満つる」とでも翻訳したくなるが、どうもしっくりこない。「鶏鳴既にあり」なので、何を意味しているのかわからないし、朝という抽象的な時間の概念を持ち出す感覚はズレていそうだから。 白楽天にしても、日の出前に宮廷に出仕したようだし、「朝廷すでに大混雑」というのはありえること。 その辺りが不透明なのは、無庶予子憎という最終句がよくわからないせいもある。憎が動詞とすれば、何が主語で、何が目的語なのか自明とは言い難いからである。 詩経は超々古代の作品だから、この詩は、日本流の通い婚(男の朝帰り)を詠っていると解釈したいところだが、そうするとこの句の意味がよくわからなくなる。・・・ 何故に、そろそろ帰ったらと言うのか。あるいは終わりにしようと言うのか。「もう少し一緒に居てもいいでショ」ならわかるが。しかも、そうしないと、憎まれるとすれば、誰が誰に?そして、その理由は?ここらは説明に窮する。経験がないとわからぬだけかも知れぬが。 そうなると、朝廷というか、要するに"會"業務が終わった頃になっても、家に居続けている旦那を詠ったと考えるならその通りとなる。これなら、新婚ホヤホヤの小役人のシーンとして納得できる。おそらくは、もともとはそういうことではなく、賢い王妃がトップが出廷しないと示しがつかないと諌めた歌なのだろうが。 まあ、白楽天のように、時に、朝酒が過ぎて出仕せずの高級官僚よりはずっとましで、皆、しばらくは見逃してくれるかも。過ぎると嫌われるが。 それにしても、こんな時代から、早朝に始まる官僚仕事があったのには驚愕させられる。と言うより、そんな朝の出勤風景が詩になるのだから、コリャまいった。 「雞鳴」 雞既鳴矣,朝既盈矣。 とっくに鶏が鳴いているのヨ。 大勢、朝廷に集まってる頃ヨ。 匪雞則鳴,蒼蠅之聲。 雄鶏が鳴いたんではないゾ。 あんなもの青蠅の羽音にすぎんゾ。 東方明矣,朝既昌矣。 東の方が明るくなってしまったヨ。 朝廷はもう大忙しヨ。 匪東方則明,月出之光。 東の方が明るいんではないゾ。 出ている月がまだ輝いているだけだゾ。 蟲飛薨薨,甘與子同夢。 ついに、虫がブンブンと飛んで来たわネ。 あなたと同じ夢を見て、甘い夜だったわネ。 會且歸矣,無庶予子憎! 會議から帰る時刻になっちゃたネ。 私達、皆から憎まれないといいんだけどネ。 【私註】 朝:朝廷/court 會:会議/the assembled officers 盈:"満/full"状態 昌:"盛/crowded"状態 蒼蠅:青[金銀]色の蠅/the blue flies ・・・煩わしさの例え 薨薨:[昆虫飛聲の象声hōng hōng]/in buzzing crowds 庶:諸人/them 予子:私と貴方/both me and you 齊:山東省辺り (参照) 中國哲學書電子化計劃 (C) 2015 RandDManagement.com |