■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[1a釋詁]■■■
字形で文字秩序を整理するなら"一"が冒頭に来るという構想は万人が納得するだろうが、こと字羲で記述するとしたら、全体をどう構成するかという概念的分類ありき。
この当たり前に思えることが「爾雅」編纂者にはできなかった。
(「古事記」流編纂なら、上巻[一般語彙]、中巻前[制度]、中巻後[天地]、下巻[生物]とするだろうが、それが表立つことを避けている。)
「說文解字」は字義でなく、字形で整理してあるとはいえ、ここらが全く違う。

・・・と云うことになるものの、博物学的生物名の解説をせざるを得ないので、そこらの順列表記方法を一般語彙でも用いることができる様にして、統一性を担保するにはどうしたらよいか、との発想から生まれた編纂方法と考えれば納得である。

従って、釋詁記述パターンとは、恣意的にピックアップした主要文字を、200ほどの文字群に分けて、首文字を決めたという以上ではない。網羅性追求の欠片も感じさせない書であり、独自の網羅性で全体像を示そうとしている「說文解字」とは逆方向を志向している。
例えば、こんな具合。
  靖 惟 漠 圖 詢 度 咨 諏 究 如 慮 謨 猷 肇 基 訪
   ━━【謀】
所謂、辞書とは、文字の意味するところの類似性と同時に違いを示すためにあるもので、"震"と"感"は【動】属の文字であると書かれても、類似イメージの文字を使いたい時以外には用無し。しかも、"歴"は【傅】属でもあり、【相】属でもあるといった、重複箇所を含んでおり、分類の態を成していない。

しかしながら、無味乾燥になりがちな辞書と違ってえらく面白い。読み手の機微を上手くとらえており、現代の文芸センスからすれば極めて上質と云えよう。(見かけは漢字入門の小学的だし、主用途としては詩作アンチョコになってしまうものの、この点からすれは詩経と並ぶ大学書であるのは間違いない。ただ思想性は薄い。)
そう感じる由縁は、巻頭の属が秀逸だからかも知れないが。「說文解字」も影響を受けている。・・・
  初 哉 首 基 肇 祖 元 胎 俶 落 權輿…【始】
  始[女之初]女治
  初[裁衣之始]裁断気分
  哉[言之鐓栽⇒哉
  首[𦣻同]身体の頭
  基[墻始]堂構築
  肇[擊]開戸/門
  祖[始廟]宗廟
  元[始]ヒト頭(おそらく儒教的には善の本羲。)
  胎[婦孕三月]胚(孕)
  俶[善]動作
  落[凡艸曰零 木曰落]葉実墜開始
  權[黃華木]-輿[車輿] (「秦風」〜)萌芽的
・・・非常に優れている記述と思うが、哲学的思惟を欠いたピックアップに映る。「說文解字」では文字の始初とは"一"であり、両書の落差は小さなものではない。(行為や作用の場合、すべて開始と終了があり、あえて<始初>の類縁とみなせる道理が必要。根源的意味を有する実体であれば、宗族世界の始初的位置付けが自明でなければ。)このことは、詩作に於いて、これらの語彙には宇宙的な始初的暗喩を含ませることが可能ということ。おそらく、それ以上ではなかろう。
  

     

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