■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[1e釋詁]■■■
太安万侶の苦闘を考えながら、「說文解字」と「爾雅」に目を通しているが、それだけでも漢字用法についてかなりのことがわかる(気がして来る)
そう考えた切っ掛けは、釋詁全体をボゥーと眺めていて、<【予】朕【身】余…【我】>の箇所に目が止まったから。
この中に、代表として【吾】が欲しいところだが、そうなってはいない。これが糸口。

第一人称"I"の漢字は沢山存在するが(我 余 予 卬 吾 朕 孤 咱 etc.)、日本語ほどの多様性がある訳ではない。従って、言い換え表記に慣れている眼で探れば、たいした問題ではないかも。
要するに、"I"の基本文字はあくまでも【吾】。しかし、一般用語は【我】ということ。

これではかえって分かり難くなるか。つまり、主語として使うなら先ずは【吾】を選ぶことになる。しかし、文章内や続く文章で【吾】を何回も使うことは避けたい訳で、(格や品詞の表現を欠く言語であるから致し方ない。)そのために使うのが【我】。
さらに詩作となれば、【吾】と【我】が目立つようでは、駄作化は免れまい。主語が【吾】など、さっぱり面白くないとの感想があって当然だろう。従って、代替文字が流行ることになる。卬 台 予 身 余はそういう役割と考えればよかろう。いずれもたいした意義など無い。
但し、朕 甫 言は、使い方があるが。・・・
[n.a.]⇒𠨐[望 欲有所庶及]《匕》部
    e.g.招招舟子 人涉卬否@邶風 匏有苦叶  顒顒卬卬@大雅
[我 自稱]      《口》部 …話題とする主語"I"


[我]         《舟》部 …天子独占用法

[男子美稱]       《用》部 …苗圃的

[直言曰言 論難曰語]  《言》部 …主語代用
 …【[施身自謂]】  《我》部 (レガリア大斧)
        ⇒大人としての一般的"I"

言うまでもないが、【身】≒【我】の訳がない。
上記に代替"I"として並んでいる文字の原義は、躯体としての"Мe"的表現と見るのが自然。

[語之舒]       《八》部 …余一人
[n.a.]    ⇒躳[身] 《呂》部 …自立一身
 …【[躳…象人之身]】 《身》部 (躯体)

ただ、この躯体文字による代替は一筋縄で行かず、その文字のさらなる代替がはかられている。それが【予】
相対コミュニケーションということでの"I"を強引に【唖】【余】の代替と化すのである。
[說]         《口》部

[賜]         《貝》部
[相付與之 約在閣上]   《丌》部
[灼剥龜…象灸龜之形]   《卜》部
[高 明]        《𨸏》部
 …【[推予…象相予之形]《予》部(bestow each other)
        ⇒[代替当て字]"余"
【追記】
Chinaとは、おそらく、中華帝国の呼称として用いられていたサンスクリット語の漢語表記音のアルファベット化。三蔵法師帰朝で知られることになった天竺用語だと思う。
そうだとすれば、いくら始皇帝の帝国が画期的だとしても、天竺は論理を重んじる風土である以上、"秦"という特定王朝名が使われる筈がなかろう。現代日本語で記載するなら、その語彙は"チャイナ"ではなく、"スターン"と考えるべき。
良く知られるように、中央アジアには"〜スターン"名の国家だらけであるから、それと同じで中華帝国も"スターン"と呼ばれていたに違いない。
この"スターン"だが、意味は当然ながら<朕の土地>。
・・・天竺の学者はよく見ており、中華帝国は中央アジアと違って民族国家ではなく、宗族王朝国家なので、ユニバーサルに使えるこの用語の筈。
(現代で言うところの漢族とは擬制呼称で民族では無い。常識的な概念で使うなら、該当する王朝は漢と明だけで、他はすべて外来王朝。)
  

     

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