■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[18baa釋獸]■■■
釋獸篇末の<須屬>の註。私註のレベルに達している訳ではないのでご容赦のほど。

結論は単純明快。・・・「說文解字」の字義規定通りに読むべし。

 【獸】⇒釁:血祭
この文字は祭祀という字義以外に考えられない。比喩や関連用語化はありえるだろうが。
時の儒教思想がベースとなっている上に、尚古主義で貫かれているに違いない後世の書である、≪疏≫の記述を鵜呑みにするのは避けたいところだが、他に情報が見当たらない。
そこらの指摘に倣って、ケモノの自発的突然の"奮動"の意と見なすしかなさそう。
決定的に用例欠乏ではあるものの。
  夫小人之性 釁於勇 [「春秋左氏傳」襄公二十六年冬十月]

 【人】⇒撟:舉手
これは、これ以上の的確な解釈はなかろう。そこからのさらなる字義展開は自由自在としても。

 【魚】⇒須:面毛
これははなはだ厄介。
全体を通して<須屬>とされており、この文字自体はヒトのヒゲ。にもかかわらず、魚が代表的という書き方なのだから。
但し、魚にヒゲが無い訳ではなく、触鬚barbelを持つタイプは淡水魚では少なくない。しかし、それなら、犬猫のヒゲの方に馴染みがある訳で、獸内での須属としたいところ。

 【鳥】⇒狊:犬視皃
鳥の抜群の視力は飛行して餌を探す生活上当たり前であるから、それはそうだろうが、何故にこの文字が使われるのか、さっぱり分からぬ。
しかも、≪疏[by邢昺]≫"鳥之張兩翅 狊狊然搖動者名狊 此皆氣倦體罷所須"なのだそうだ。根拠が推定しかねるので、参考にはならない。
「爾雅」的には、この文字を是非とも使いたかったのだろう。考えられるのは、以下の箇所を想起して欲しいという"意図ありき"。
 色斯舉矣 翔而後集
 曰:"山梁雌雉時哉時哉"
 子路共之 三狊而作
[「論語」鄉黨]

こうして眺めてみると、知覚情動現象を獸-人-魚-鳥でまとめてみたということか。
雅語というより、古語を用いたジャーゴン。
孔子-子路譚から想うに、文字の直接的字義と関係がある訳ではなく、連想的用法ということになる。

ちなみに、このお話の趣意は知らないし、わかり難い言い回しだが、折角やって来た雉に餌を与えたらとの師匠のお言葉通りに餌をばら撒いたところ、啄むどころか逃げて行ったとのストーリーのようである。
危険な雰囲気を察知した情動行為ということになろう。

壺に並々と血液を溜めるお祭が行われることに感付けは、屠殺前の獣がどの様な行動をとるかは皆ご存じだった筈。それを表す言葉があった筈だが、歓んで使いたい人と、止めたい人に二分されていた筈である。その結果が、ジャーゴン主流化だろう。
殷では、盛大に膨大な数のヒト生贄儀式が挙行されていたから、"人曰撟"もその辺りの用語かもしれないが、ヒトは手で感じ、感情表現として咄嗟に挙手する性情ということを意味していそう。危機を感じての万歳現象かも。
魚の場合の情動現象は、行動目視が困難なのでよくわからないものの、飼育されていた種について詳しかった筈。ヒゲでなんらかの異変に感じるところあらば、錯乱的に猛烈な速さで泳ぎまわったり水面で跳ねたりすることは知られていただろう。
  
  
     

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