■■■ 「說文解字」 卷一 を眺める[6] ■■■
「說文解字」は、根本思想の儒教同様に天の扱いに矛盾を孕んでいる。・・・天子独裁でありながら、天命を受けている天子に対し、儒家ドクトリンに沿って動くことを要求するという、政治屋的主張を掲げていることを想起させるのが、冒頭の文字系譜。もっとも、それを矛盾とは感じないのが儒教信仰なのだが。

一⇒
最初の文字は、横棒一本である以上、<初太始>と見なすことはできるが、<分天地>を示唆できるものは何もない。

しかし、そう考えることに論理性が無いと云う訳ではない。
系譜がそうなっていればの話。
天地に分かれるのならこれしかなかろう。
一⇒𠄠

ところが、なんと、全く関係ない文字が登場。
一⇒丄
しかも、<高>という字義の、指示の造字。
そうしないと、上下逆転文字(丅)を同属にできないから致し方あるまい。(帝も同属としているが、横棒の上に部品があるから、字体としては次の示属の方に近いのでは。しかし、その属のなかでは異彩を放ってしまうので無理があろう。)

この系譜を普通に解釈すれば、地平(一)から跳び出して高みに至る(h)象形となるのでは。天の感覚が醸し出される字体とは思えない。
こちらの流れなら、地母神(土)信仰を物語ると解釈するのが自然。大地に土のモニュメント(丄)を造成と見てもよいだろう。系譜は必然的に次の字へとつながる。
丄⇒土

それでは、<分天地>たるべき文字(二)はどうなっているかと云えば、数字羅列箇所を有する文字系譜最終巻の前巻に一挙に飛ぶことになる。それは、はっきり記載しているが<数>の記号なのである。
<偶一>としているから合字(一+一)であり、太始(一)が分かれるという以上、上は天で下は地というのが論理だが、2の意味は<地>であると断言する。

二が天地なら、合字(一+一)への割り込みの(二+一)は、<天地人之道>となるのは論理的だが、系譜はそうなっていない。ただ、<三數>だから2の次としているだけ。
二⇔三
しかし、数字扱いを否定している訳ではなく、逆。
一⇒二⇒三
つまり、至上扱いのテキストたる易と全く同じ書き方。<1,2,3>は数字としての符号。その義はそれぞれ、元始分裂、地、天地人であるとしている訳だ。

この数列を系譜にしていないので、系譜は厄介なことになる。第一印象的には字体連続性を感じさせない文字で繋げるしか手がないからだ。
丄⇒(丅=𥘅=)示⇒三
<地>該当文字無しだから、この<天垂象>文字を介して<天地人之道>に繋げることになる。当然ながら、天から垂れるとは、易の<見吉凶 instruct>を意味すると解釈せざるを得ない。人世界の文字(三)は後続なのだから。

尚、<日,月,星>をあげているのは、丅ではなく、曲線3垂の異体の古字を知っていたことを示している。しかし同時に、木製の杵状台としか見えない文字や、点無しの示もあって、字体が色々あってわかり難い。当然、字義には諸説あり。(祭卓,石主,神桿,陽茎,etc.)
なんとも言い難しだが、示部所属の合字は数多いとはいえ、総体としては、天垂概念というよりは祭祀行為イメージが強いように思える。そのなかで、気になる字義をあげておこう。
  [申]天~
  [氏]地祇
  [土]地主
  [天]胡~
  [羊]福 or 善

  


一丄示三王玉玨气士h屮艸蓐茻 

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