■■■ 「說文解字」 卷二 を眺める[6] ■■■
さて、巻二の問題児。

<齒>は、字体からいえば、文句無しに<止>部首。


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ところが、字義的に<止>とどう繋がるのか全くわからない。(「說文解字」成立時には情報皆無だろうが、甲骨文字では、口中の歯全体像としての完璧な象形。・・・"𠚕"で"止"は不要と云うより邪魔モノ。)

そうなると、音符として"止[シ]"を冠としたという解釈以外に説得力ある説明ができかねる訳だ。
しかし、素人からすれば、いくら独裁政治体制下といっても、歯は基本語彙であり、その単語の読み方を勝手に措定するなどおよそ考えられないのではと思ってしまう。もっとも、あり得ないことでも無い。"𠚕"が多義化してしまい、読みが分裂して来たので、それを避ける為、音符を加える必要が生まれたと見なすことはできる。実態はわからぬが。

さらに厄介なのは、序列として、字形に全く関連性が無い<齒>→<牙("└ ┐"的な上下噛み合わせの象形に映る。)>が続いていること。

両者は現代日本語でも二字熟語になっている位で、実際には混用されることも多く、一般印象とは違って語義的差異は僅少と考えるべき字である。当然ながら、違いの指摘要請が多いから、解説は一定してしない。その一方で、常識化している差異の見方も存在しているから解り難い。
例えば、ヒトの場合、日本の現代感覚では<牙>を犬歯と見なしがち。それは食肉獣のキバからの類推だと思われるが、もともとの<牙>の用法からすると、ヒトの場合は臼歯を指していたと考えることもできる。そうだとすれば、齒=上下対偶的に揃っている小齒 牙=一本独立的な大齒というイメージがあったということかも。(現代漢語では両文字の意味にほとんど差異はなさそう。しかし、二字熟語は順番が逆だし、ヒトの場合は基本牙を用いるので、現代日本語とは全く異なっている印象を与える。)

「古事記」では、容姿の決め手たる前歯/門歯を<齒>ととらえていたようである。慧眼と言えそう。・・・歯の<止>活動からすれば、それ以外にあり得ない訳で。

一方、<牙>はこの時代、すでに多義性の文字だったのだろう。おそらく、象牙が様々な用途に用いられていたせい。圧巻は、"芽"という意味も含んでいた点。
「古事記」では、葦牙という表現で冒頭に登場するのが余りに印象的。
  


小八釆半牛犛告口凵吅哭走止癶步此正是辵彳廴㢟行齒牙足疋品龠冊 


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巻一
巻二




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├┬┬┬────────⇒巻三
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│││ 凵:張口[象形]
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└───────────⇒巻三
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