■■■ 「說文解字」 卷二 を眺める[10] ■■■
巻二最初の引用は「孝經」から。ところが、それは用例とも言い難く、唸らされた。
  𠔁[分] 故 上下有別
⇒[ 一 ]民用和睦 上下無怨
⇒[十六]長幼順 故 上下治
⇒[十七]匡救其惡 故 上下能相親也

・・・「孝經」は焚書対象だから、復活書には様々なバージョンがあっておかしくないが、この引用文は原書の文章ではなさそう。
"孝"の上下関係論に思うところあって、入れたくなったのではなかろうか。漢朝のこの先を見通して。

現代の常識では、「孝經」とは、父親に尽くすことを基本理念として書かれているとされるが、そういうことでは無いということか。
たった5文字の引用だが、本質を突いている。
相対する人間関係において上下の分別は自然なもの、というだけの話でしかないが、現代の"孝"の考え方からすると、鋭い考察と云えよう。

そもそも、「孝經」の対象読者が下の者である筈もなく、要するに、安寧実現のためには上の者はこの人間関係を上手く調整すべしという話だろう。(儒教政治勢力は、理念上、革命を肯定せざるを得ず、論理的に、今上皇帝と東宮の間の権力闘争勃発を避ける根拠に乏しい。しかも、両者それぞれの後背勢力の核とは、栄達の為に権謀術数を駆使する官僚層であり、皇嗣が定まっていたところで、権力闘争が発生しない訳がなかろう。その芽を摘むため、皇帝子弟の暗殺が当たり前という事態に突入する可能性も高い訳で。
要するに、現支配層からすれば、いかにして下剋上的動きを極小化するかが肝要であって、それに応えるのが、上下の人間関係論を提起している「孝經」ということになろう。現代の読み方とは全く異なることになる。)


尚、他の巻でも、一家言ありかと思って眺めたが、ココだけだった。
  亯[獻] 祭則鬼亯之
⇒[ 八 ]祭則鬼享之 …亯=享
  㥋[痛聲] 哭不㥋
⇒[十八]哭不偯 …㥋≒哀痛聲
  凥[處] 仲尼凥
⇒[ 一 ]仲尼居 曾子侍 …凥=居
  


小八釆半牛犛告口凵吅哭走止癶步此正是辵彳廴㢟行齒牙足疋品龠冊 


h
├───────
巻一
巻二




├┐






├┐





├┬┬┬────────⇒巻三
│││
│││ 凵:張口[象形]
││
│││
│└───┐
│ │  
│ │  │
│ │  
│ │  │
│ │  
└───────────⇒巻三
  │
┌─┘






├┬┬┬┬┬┬┐
│││││││
││││││
│││││
││││
│││││
││││
│││
││││
│││
││││
│││├─┐
││││ 
││││ │
││││ 
│││
││
│││
││


     

 (C) 2024 RandDManagement.com  →HOME