■■■ 「說文解字」 卷五 を眺める[2]  ■■■
巻五の5番目部首は<左>。
結構、基本的な文字と考えているが、巻の頭の方であるとはいえ、訳のわからぬ文字群の中に単独で埋没している。どうしてこの様な位置付けになるのか、はなはだ疑問。

ところが、巻三の<又・𠂇>から繋がるとすれば、なんのこともなし。残りの構成要素の文字群の代表となるに過ぎない。そこは、たったの4文字の傍流派生文字。・・・
<又>の類縁として巻三に一緒に収載するのではなく、これだけをオマケ的に前半補遺の様相で巻五で扱っているのがミソ。巻頭配置はしていないものの、社会的な重要性ありを示唆していることになろう。<ナ>の単なる下位文字としての位置付けは流石に躊躇せざるを得なかったのだろう。
流石の構成。
  左 工 㠭 巫

「古事記」の用例では左右を別扱いすることは無い。注意深い用法と云えよう。中華帝国では、左右は対偶的に同類に扱わず、なんらかの差別性が存在していることを意味していよう。
  「汝者自右廻逢 我者自左廻逢」
  左右御美豆羅 纒左御美豆良…右御美豆良
  左右御手 坐左右膝上


これらの部首文字で、他に用いているのは"差"のみ。
  ・・・輾轉其上者 汝身如本膚必差」
  「我押流其船者 差暫往・・・
  自其地 差少幸行 因甚疲衝 御杖稍步 故號其地謂杖衝坂也
  此人深知藥方 故治差帝皇之御病

"式"や"巧"の使用を避けたのは、儒教社会の"工"的概念には違和感を覚えていたのかも。
  


角竹箕丌左工㠭巫甘曰乃丂可兮号亏旨喜壴鼓豈豆豊豐䖒虍虎虤皿𠙴去血丶丹青井皀鬯食亼會倉入缶矢高冂𩫖京亯㫗㐭嗇來麥夊舛舜韋弟夂久桀 

│ 巻三

├┬┬┬┬┬┬─┐
⑥⑥⑥⑥⑥⑥⑥ │
攴皮寸殳臤𦘒𠂇 │
│ ┌─────┘巻五
│ 

 巻四


├┐

│├─
││巻五



 巻二
├┬┬┬┐
││
││
│└──┐巻三
├┬┬┐└───┐
│││├┬┬┬┬│─┐
│││││││││ │
①①①①①①①①① │
言古丩句㕯只𧮫舌㗊 │
┌─────────┘巻五
├┬┐
①①①
喜甘曰
│├┐
││

│   ├┬┬┐
│   ④④④④
│   可兮号亏
├┬┐
②②②
壴鼓豈


├┬┐
││├┬┐
││④④④
││䖒豐豊
│││
││

│├𠙴
│└

├┐
⑤⑤
食鬯


├┬┐
⑦⑦⑦
會倉入
  ├┬┐
  ⑧⑧⑧
  缶矢高
    ├┬┬┬┬┬┐
    ⑨⑨⑨⑨⑨⑨⑨
    冂𩫖京亯㫗畗㐭
          ├┬┐
          ⑩⑩⑩
          嗇來麥
            ├┬┬┬┐
            ⑪⑪⑪⑪⑪
            夊舛舜韋弟
            ├┬┐
            ⑫⑫⑫
            夂久桀
               └─ ⇒ 巻六
     

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