■■■ 「說文解字」 卷六 を眺める[3]  ■■■
巻六は<木東・・・>で始まるし、木偏の漢字のオンパレード状態なので目立たないが、"東"だけでなく"南"文字も所収している。

部首扱いではなく、儒教的文字秩序のなかでは相対的に低い位置付けがなされているのが目立つ。
"北"も"西"も部首に選定されているからだが。

├┬┬┬┬┬┬┐
②②②②②②②
林才叒之生乇
     │
     𣎵
       "":艸木至南方 有枝任[𣎵+𢆉]聲

巻四

巻八
├┬┬┬┬┐




巻十一
├┬─
𠃉巻十ニ

西

"南"字体は𣎵冠というより囲みなので、この部首所属感が薄いが、字義的にはこの位置にならざるを得ないのだろう。

草と木本には、その場における表面的違いはあるものの、本質的には同類であるから、南方イメージとは太陽の動きとは関係なく、植物大繁茂の地ということなのだろう。
<木>に繋がる部署を見ると、そんな思想性が見えてくる。
  東…__(動)
  林…平土有叢木
  才…艸木之初
  叒…"榑桑"
  之…艸過屮 枝莖益大(出)
  𣎵…艸木盛𣎵𣎵然
  生…艸木生出土上(進)
  乇…艸葉
このことは、太陽在中木という扶桑のコンセプトは、日が草木を育てるという観念で生まれたと考えていることになろう。東とは、あくまでも日の出であって、扶桑が無い限り、在中木との字義は無いという当たり前の発想。
つまり、朝日から生まれたのではなく、春分での復活時に太陽が昇る状態を指す文字として使われた可能性を示唆しているのでは。
(太陽信仰は中原ではなく、"南"方由来。扶桑概念に至っては揚子江デルタから四川盆地に迄広がっている。「說文解字」はその認識を踏まえているのは間違いない。
そうした信仰の源流は、天竺〜チグラス〜ナイル上流の何処かだろうが、余りにインターナショナルに広がっているので、実は自明ではない。例えば、中国神話と云っても、扶桑概念ではなく、大魚が海中を運び、それを大鳥が空中を運ぶというタイプも併存しており、陸は超大海に囲まれているとすれば、太陽は海に没すると考えるのが論理的なのは説明するまでもなかろう。ついでながら、鳥も烏とは限らない。)


「古事記」では、"南"は"東"と違い、倭国は東西に延びた地勢と考えているため、方位として登場することは少ない。
  蝉蛻於南山[@序の漢文] 自南方廻幸之時到血沼海
2例しかないが、唐での南山イメージを理解した上での対比的記述がなされていることがわかる。
  


木東林才叒之帀出𣎵生乇𠂹𠌶華𥝌稽巢桼束㯻囗員貝邑𨛜 

├┬┐ 巻五
⑫⑫⑫
夂久桀
┌─┘ 巻六

├┬┬┬┬──┐
②②②②②  │
東林才叒之  │
│   ├┐ │
│   ③③ │
│   帀出 │
│      ├┬┐
│      ②②②
│      𣎵生乇
│      ├┬┬─┬┬─┬─┬──⇒巻七
│      ③③③ ③③ ③ ③
│      𠂹𠌶華 𥝌稽 巢 桼

├──────────────────⇒巻七

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 ├𨛜
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