■■■ 「說文解字」 卷十三を眺める[5]  ■■■
"土"の位置付けは難しかったろう。
感覚的には当たり前の<1⇒2⇒3>の字体連鎖に従ってしまうと、道教的教理を前面に出すことになり、これは拙い訳で。
  道生一 一生二 二生三 三生萬物  @「道コ經」
もちろん、気からの弁証法的に行き付くという三だから、数字123の意味とは異なるが、形而上哲学で来られたのであるから、これには参ったに違いない。「說文解字」 は、そこを工夫。
  一始原 一生丄 丄生示とし、
    この続きが三(⇒王玉玨气士)
但し、この文字は萬物を生むとの字義ではない。
そのため、これを主軸にすると、<生「萬物」>の役割を担う根源文字が失われてしまう。それが可能な文字は"土(地之吐生物者)"。
換言すれば、古代からの土着信仰を原点として組み入れることにした訳だ。もっとも、それは道教観念回避とは言い難い。この方が各地の土着信仰に基づいていることになるからだ。哲学的に昇華した思想を全く感じさせない荒削りの観念とも言え、この方が、余程、道教的。
  一始原 一生二 二生土 土生物

考え抜かれていることがわかるのが、繋がる文字が<土⇒垚堇里>でしかない点。ここから<田>という重要な文字に繋がるものの、造萬物感や大地母神的な印象を与えることは無い。唯一無二の最高~天帝の命で天子独裁-官僚統制の帝国が樹立されるというのが、儒教の政治的側面であり、これを揺るがしかねない信仰の芽を摘み取っていると云えそう。

ただ、土着の土神的信仰を貶める意図がある訳ではない。続巻に、その信仰の姿を象徴する文字を後継文字として配しており、揺るぎなき土信仰をはっきりと示しているからだ。

【おまけ】道教とは、地域の呪術祈祷師を抱えたフラグメントな土着信仰の集合体であり、そういう意味では倭国の神々信仰とは、宗教分類のカテゴリーとしてはほぼ同一。そのため、日本列島には民間道教は伝来したが、教団道教は移入されなかったとされることになる。現象論的にはその通りではあるが、誤解を生み易い。道教は帝国を否定する訳ではなく、社会の安寧を通じた自家の繁栄を目標としており、王朝型政治思想と結び付けば教団化するだけのこと。雑多な土着信仰を混淆させているので、政治勢力化するにはバラバラでは一歩も進まないからだ。そこらが、民間道教とは違って見えるだけ。
  


糸素絲率虫䖵蟲風它龜黽卵二土垚堇里田畕黃男力 

│ 巻十二

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⑫⑫⑫
弓甾曲
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⑬⑬
弜弦
┌┘

│ 巻十三

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②②②
素絲率
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④④④④
䖵蟲風它
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├┐
⑤⑤
龜黽



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  巻一

│   巻十三

├─────── ⇒巻十四

├┬┬───── ⇒巻十四
③③③
垚堇里
┌─┘

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⑤⑤⑤
畕黃男
     

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