■■■ 「說文解字」 卷十五【叙】 を眺める [2] ■■■
「說文解字」で引用されている正統な書物の名称は以下と記載されている。(文字を俯瞰的に眺めるために、当サイトは引用は原則消去した。)
 《易》…孟氏
 《書》…孔氏
 《詩》…毛氏
 《禮》…周官
 《春秋》…左氏
 《論語》《孝經》…皆古文


一方、対象としている文字は6種類あるものの、基本は、漢王朝官僚勢力が依拠する≪古文≫であると伝えているようなもの。
時有六書:
 一曰古文 孔子壁中書也
 二曰奇字 即 古文 而 異也
 三曰篆書 即 小篆
 四曰左書 即 秦隸書 秦始皇帝 使下杜人程邈所作也
 五曰繆篆 所以摹印也
 六曰鳥蟲書 所以書幡信也
  ・・・壁中書者 魯恭王壞孔子宅 而 得
   《禮記》 《尚書》 《春秋》 《論語》 《孝經》
又 北平侯張蒼獻《春秋左氏傳》
郡國 亦 往往於山川得鼎彝 其銘即前代之古文 皆自相似
        雖 叵復見遠流 其詳可得略說也
        而 世人大共非訾 以為好奇者也
 故 詭更正文 鄉壁虛造不可知之書 變亂常行 以耀於世

このことは、≪古文≫第一義派が、隷書を奉じる政治勢力を駆逐するために編纂されたとも言えよう。文字上では、象徴表現化がさらに強まったことになろう。

---インプリケーション---
太安万侶としては、漢語の鉄則≪一字一音≫を無視することにした以上、字形から連想可能な字義である文字を用いて倭語訓を当てることになろう。
しかも、その漢語発音は倭語の様な1拍1母音とは根本的に異なっており、音符として用いる場合は、それを前提とした記述にせざるを得ない。

魯迅はイデオロギーから、もともと人民(民間の大衆)が様々な文字を使っていたが、それを史官が収集して間に合わせ的に記録用に使っただけ、と推定しているが、そう見たい人達には納得いく見方だろうが、無文字社会志向の倭国の感覚から考えれば説得力ゼロ。メモは語り部や、為政や祭祀に携わる特別な人材以外には不要なのだから。中華帝国でも、人口上でコンマ以下のパーセントでしかない支配階層の官僚が独占的に使用するる道具が文字である訳で。

従って、倭語化にあたっての漢字使用で考えるべき点の第一は、簡単明瞭な表意文字としての機能を果たせること。
換言すれば、イメージを重視する直"感"志向のコミュニケーションで成り立つ社会風土は変えようがあるまいというの達観に基づいている訳だ。ママ漢語での口誦コミュニケーションは無理と見抜いていたとも言える。

従って、倭語の漢字表記とは、発音・表情・仕草の口誦言語に、イメージ的図形型文字を導入して記録化を図ったことになろう。

中華帝国は、≪易(八卦)≫を根底にした理屈(符号化)を土台とした、合理的(官による"標準化された"連想)表記(組み合わせ)可能な文字言語の確立を目指して邁進して来たのだから、その文字表記化の方向性は真逆。
中華思想は、宇宙の森(神)羅万象を文字という象徴に凝縮させて表現できるというもの。文字体系の完全性を誇っていることになろう。(概念思考には向かない体系である。)

そもそも口誦言語に完全性追求などあり得ないし、日々状況で変化するからこその表現の楽しさがある訳で。
  

叙 漢 太尉祭酒許愼記 

     

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