■■■ 「說文解字」 卷十五【叙】 を眺める [6] ■■■
「說文解字」巻十五 叙⑭録 五百四十部とは、巻毎の部首文字一覧に文字の通番が付いているだけ。目次ではないし索引でもない。意味的には、一種の献品目録と考えるべきだろう。
太安万侶がこの書に目を通していたとすれば、わざわざこんな箇所に、どうして目録が必要なのか考えた筈。当然ながら、答は自ずと生まれる。

そうなれば、口誦言葉の倭国と中華帝国の間には、越えられない深い溝があることに思い至っておかしくなかろう。それが、「古事記」序文の漢文に反映していると見ることができよう。

単純化すれば、漢文とは、第一義的には官僚が社会をリモートで動かすための道具となろうか。一方、倭国にはそんなものは不要だったのである。(現代で云えば、この表現はフレームアップや隠蔽という過激な用語を含むことになるので、避けたいところだが致し方ない。これこそ、天子独裁-官僚統制国の精神風土であり、恣意的に特別な計らいを行っている訳ではないからだ。)
もちろん、太安万侶が、謹厳に、そう判定したと推定しているのではなく、大笑いしながらの見立てと。官僚としては、口が裂けても、そんなことは言えないのだから。

それはともかく、太安万侶は、文字の歴史の記載には違和感を覚えたに違いない。神による、尊崇に値する造字行為とは語られていないどころか、貴種とは無縁な一官僚の思い付きで文字化が始まったと明言しているからだ。
倭的発想だと、この記述内容だと単なる工芸品制作と同じ。これでは、下手をすれば、卑の領域での出来事となってしまいかねない。
もっとも、文字の起源は帝国起源神が司った≪易≫とすることで、権威付けてはいる。しかし、それは官僚が対象とする大衆世界とは縁遠い行為で、形而上の思考で構築された秩序ある世界観に基づいたもの。そこには、一官僚の思い付きに繋がる論理性が完璧に欠落している。(鳥足跡を記号化したものを、便利性から利用し始めたというのは、単純な実利主義。両者の間には、とんでもない飛躍がある訳で。)
・・・こうした創作歴史を正式なものとして認知させることで儒教国家が成り立っていることになる。

太安万侶はそれにすぐに気付いたに違いない。
・・・現代流に云えば、「說文解字」とは、儒教学問利権を確定させた最重要テキスト。他書代替はあり得ない。(漢代に、学問的派閥が政治勢力そのものに。科挙制度がそれを導いたのである。勢力間の角逐は熾烈であり、権謀術数が駆使される。)

そもそも、字体分類に映るようにも記載しているところが、いかにも感を醸し出す。(もちろん、秦朝が使っていた大隸 小隸 刻符 虫書 摹印 署書 殳書 隷書の8種から変化したということでしかないが。
ともあれ、"及亡新居攝〜"の箇所を"時有6書"の⑨段にするか⑧段にするかは悩ましい。≪平皇帝時≫とでもしてくれれば⑧になるが。・・・前漢平帝を毒殺し、短期滅亡クーデター政権[8-23年]樹立。周朝崇高路線であり、その≪新皇帝≫が一気に6書を制定し古文を復活させたというのが、ここらの主旨だろう。)

 時有六書:
  一曰{古文}…≪孔子≫壁中書也
  二曰{奇字}…卽 古文 而 異也
  三曰{篆書}…卽 {小篆}
  四曰{左書}…卽 {秦隸}書
         秦始皇帝使下杜人程邈所作也
  五曰{繆篆}…所以{摹印}也
  六曰{鳥蟲書}…所以{書幡}信也


常識的には、篆とか隸とかの違いは使用状況で決まったもの。もともとは、金属・石・竹(特別に帛にも。)に記録する場合の字体。筆記具相当の構造はわからないものの、最初は必ず水平運筆になるのは物理的に当たり前で、それに合う字体となる。(そういう点から見れば、文字体名称の大小の区別にはたいした意味はなかろう。)「說文解字」 は、誰でもがそう思っていた、秦朝設定文字を最初の帝国統一基準として認めただけのこと。

字体の発展性で画期なのは、左右回転運筆が可能となった点。これにより、丸味主体のデザインになった訳だ。硬い材質から柔軟性ある平面性豊かな対象物に書くことになれば当然の変化と云えよう。
それが一歩進めば、現代に通用する楷書となる。上下躍動運筆となり、点、留、跳といった表現が自由自在になったので大変化。

これらと、鳥蟲書は次元が異なる。オレンジ・アップル分類を敢えて行っていると言える。誰でもわかる様に、この文字は南方で幡/旗に用いたりする装飾文字である。使いたい場面があれば利用するもの。
さらには、印章あるいは護符用の特別な文字を同列として並べるのだから驚き。フォントデザインなど目的に合わせ、五万と生まれるもので、この手の分類に意味は薄い。

・・・分類とは概念的なもの。「說文解字」は公的表記字体を掲示しているものの、根本思想はあくまでも尚古主義であり、反秦朝色に染め上げて記述しているのでこんな分類をしたくなるのである。政治色が強い分類観と考えるべきだろう。現代から見ればこうなる。
 甲骨・・・商朝体(漢代では文字認識が無く、1500年前など視野外。)
 古字・・・焚書で消滅:不明(周朝体存在を希求。)
 _字・・・秦朝体
 _字・・・漢朝体
 楷字・・・唐朝体(紙と毛筆。)
 活字・・・元朝体(消耗品の木製活字。)
 当用・・・明朝体
文字の実態から云えば、隸・篆・楷といった中原文字に対応する分類は、南方の楚文字と、西方の籀文字ということになろう。
  

叙 漢 太尉祭酒許愼記 

     

 (C) 2024 RandDManagement.com  →HOME