■■■ 「說文解字」[文字史]  ■■■
「說文解字」には200文字程度の、所謂、大篆が収録されており、なんの解説も無いものの、その意味は推定可能。・・・
⇒[竹木簡用書体登場]籀文(大篆)
 簡素第一の規範化
   柔軟な線引文字(全面線化)
   字画としては円弧中心(線の太さ均一)
   ほぼ長方形辞界(具象絵画的形状からの脱却)
 戦国代各国別仕様(篆以前の特徴も含んでいる。)
   …秦&六国文字(斉 楚 燕 三晋[韓 趙 魏]) etc.
 各国の膨大な異字体は自然淘汰。
⇒[公定書体確立]小篆
 焚書(用途毎の認可文字以外は抹消)と誤記罰
 情緒欠落の儀礼文字(改変禁忌)
   遵守は基本要素のみなので書体は自由(装飾性向上)
 徹頭徹尾標準化…視覚認知度の画期的向上
   均衡重視のかなり縦長の長方形辞界
   線の太さ均一(弾力筆)
   先端はできる限り丸味
   全体はできる限り左右対称
   部首分け可能な構成
 論理的簡素化の徹底
   可能な限りの部品省略あるいは代替
     重複/余分箇所 書記が面倒な形態の部品
   表意符の表音符化
⇒[崩し単純簡略化推進]隷書
 柔毛直筆駆使書記(隷)
   平直線・稜角付を基調(大量迅速書記向)
   基本扁平字体
 文字改造(代替・省略・変形)
   …作成文書量飛躍的増大に対処
 美的表現の追及
⇒[部品構成化+筆画重視]楷書@漢末(唐代成立)
 線書筆法@筆記用紙
⇒[民衆(非官僚層)向出版用木版活字化]@宋
⇒[大量印刷用活版化]@明

この辺りは、歴史観の捉え方である。
まず、忘れてならないのが、漢字を人民の文字発祥と見なせる理由が一無いという点。倭人が文字化社会を嫌っていたことでわかるように、国家に民が従属する社会が生まれて初めて文字が生まれたと考える以外に説明がつくまい。
それを受け入れるなら、甲骨文⇒金文⇒石符の流れを文字史としてママ受け入れない方がよかろう。甲骨とは、神との交信用であって、神聖なもの。特殊な専門集団が非公開で受け継いで用いていたいたと考えるのが自然。

ところが、その様な文字を、そのまま官僚が伝達や記録に用いることになったとしているのが現実。情報が欠落しているので止むを得ないが、論理性皆無の安易な推定。そこを突いたのが白川甲骨文字字体学とも言える。無理強引な推定が多いのは止むを得まい。

「說文解字」が卓越しているのは、王朝官僚が文字を発明したとの主張。(「易」は官僚と記載しておらず、発明者を王と見なしているかもしれない。)文字とは、国家統治用のコミュニケーション手段であるとの概念。(祭祀王国が卜占を官僚制度の一部として組み込むことになったといえよう。)要するに、甲骨から筮への転換を機に、甲骨文字が消滅した訳で、漢字の誕生とは「易」の成立でもあるとの考え方は当たっていると思う。

もう一つあげるなら、異体字の考え方がそれとなく披歴されている点。
文字は統治層が使うコミュニケーションの道具であるからして、王朝が決めた公定書体だけが通用していた筈はない。私的なコミュニケーションでの使用が強制されていた訳ではないのだから。従って、当て字を含む様々な用法や、部分改変が活発に行われていたと考えるべき。そんな能力を欠く官僚は知的レベルが低いと見なされておかしくなく、異体字発祥は官僚統制文字確立と裏表。
俗字とは、その様な文字の代表と言ってよいだろう。
  

     

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